どんこの空(そら)に 。

きっと何かが足りない~それを探す日記~

変化のとき。

2021-02-17 | Sandstorm



新しい職場になることが決まり、それに関係する諸々の契約や手続きをしている。
そこで思うのは、今までの既に10年以上も変わらなかった自分の立場や見られ方みたいなモノが当然のことながらまったく違うということである。
良い意味では、新しく会う人達に少なからず自分に期待や興味を持ってもらえていること。
悪い意味では、新しい場所ではこれまで自分が積み上げてきたものが役に立たないということだ。
まあ人間なんて本来いい加減で曖昧な生き物であるということを信じて疑わない自分なので、10年も同じような人達に囲まれて同じような場所にずっといたら、まず間違いなくずる賢くなっていることの方が断然多くなってしまっているように思う。
楽な方向や楽な場所に落ち着き、また立場を守るために保守的な行動になったり愚痴をこぼしたりしている理想とは解離した自分を、私は知っている。
新しい場所で、人は変われるだろうか?
自分は変われるだろうか?
少なくとも良い意味での期待や興味に晒される中で、今までの自分ではいられないだろう。
一人一人の自分らしさとか、マイノリティへの差別問題とかが叫ばれている昨今ではあるが、自分が変わることだって時には必要だ。



そもそも自分らしさって、どこから来るのだろう。
それはいつ出来上がるのだろう。
それを守るために既存の社会と戦うことが正義みたいな風潮が強くなっているけれど、人は死ぬまで精神的に成長するものだとしたら、そのほとんどの人がまだ自分すら出来上がっていない未完成の存在でしかない。
確かに産まれた瞬間から個人として権利は持っているのだと社会で規定されてはいるが、まだ学校にも行かないような子供が自分らしさのために社会を否定するのは明らかに違うように思う。
まあ一般的にはその国の成人としての年齢を迎えた時ということなのだろうが、現実的に“昨日まで子供で今日から大人”なんてことなどありえるはずもない。
現代の進化し続けるネット社会では正しくないものは感情的に徹底的に排除されてしまうという性質を持っているが、もともと人間自体が自分のことすら暗示にかけてしまう曖昧な存在で自分自身の深層心理すらわからないまま生きている人が大多数なのに、あまりにも現実的でない正論にへきへきすることもしばしばある。



そういう意味で、私は自分らしさを主張する前にまだ自分が変われると思いたいし、そう思っている。
自分を否定するわけではないが、私は自分がまだ未完成だと思うから。
自分の正義のためにせっかく前を向いている周りの人達の足元をつかんでまで邪魔をすることはしたくない。
あくまで、今はそういう気持ちでいるべきであると考えている。
ただもうひとつ、私はこれを正論として誰かを論破するつもりもさらさらない。
私はこの世界よりも、またこの国よりも、はたまたこの地域や会社という組織よりも、自分の周りの人達とうまくやっていきたいと思っているだけである。
新しい場所は、自分が変われるチャンスでもあるのだ。
まあいつまで続くかわからないけれど。





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