どんこの空(そら)に 。

きっと何かが足りない~それを探す日記~

東海ダービー馬?

2007-02-19 | 名古屋競馬の話
日曜日の名古屋開催より、吉田稔ジョッキーが再び地元にて騎乗開始。
最終レースでは、昨年の東海ダービー馬”ホウライミサイル”号とのコンビで見事勝利を収めました。
あの吉田騎手の落ち着いた騎乗を見て、また本来の名古屋競馬の日常が始まったことを感じるファンも多いことでしょう。

またこの最終レース、ホウライミサイル号のレースぶりはさすがというべきかB級のレースでは力の違いを見せつけ、最後の直線では、最後まで吉田ジョッキーのムチが入ることすらありませんでした。
”東海ダービー馬”の今後にさらなる期待が寄せられます。



そこで今回は、少し”東海ダービー馬”について調べてみました。
これまで36回行なわれた東海ダービーも、そのレース自体が紆余曲折を経て、現在の形態になってきているようです。
まず、このレースが過去34回までは”名古屋優駿”という名称であったことも知らぬファンはいないでしょう。
また当然このレースが、名古屋競馬の3歳クラシックの最大のレースであることは昔から変わりはないのですが、1996年から2004年までの間は、交流重賞として行なわれていたこともありました。
何よりも、賞金の変わりようには驚き。
交流重賞として行なわれていた間の優勝賞金が3000万であったのが、2005年以降のこのレースの賞金はわずか300万。
10分の1になってしまいました。
さらにさかのぼって1995年以前の”名古屋優駿”でさえも、優勝賞金が1300万円であったことを考えれば、何か可哀想な気がします。


また次に、このレースの勝ち馬がその後どんな活躍を見せていたのか調べてみようと考えたのですが、意外とデータは残っていないものです。
交流重賞となる前の遥か昔には、トミシノポルンガ号(安藤勝己)やら、ライフアサヒ号(吉田稔)やら、こんな無知な私でも名前くらいは知っているような馬もいるのですが、残念ながら競走成績などのデーターは拾えませんでした。

さらに交流重賞となった1996年以降の9年間でも、東海公営所属で勝った馬はわずか2頭。
1997年のシンプウライデン号(安藤勝己)と御存知2004年のタカラアジュディー号(丸野勝虎)のみです。
2005年のセントレアリキ号は中央に戻っていってしまったようですし、ホント、この10数年の間の”東海ダービー馬”の未来は全く読めません!(笑)

去年のこの東海ダービー馬、”ホウライミサイル号”の活躍を、吉田稔騎手共々期待したいものです。



名古屋競馬のサイトで、2004年の名古屋優駿(GⅢ)のレースを見ました。。。。。
丸野勝虎ジョッキーの会心の逃げ切りでしたね。
タカラアジュディー号の故障の具合も心配です。。。



それでは、また。




<P.S.>

フェブラリーSは、惨敗でした。。。(泣)
アンカツを切ってしまったところで私は終わってしまいました。
でもこの馬の種牡馬って聞いたことないなぁ。
また調べておこう。。。







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