夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

美の本質

2015年12月17日 14時11分08秒 | 日記
美の本質は『型』にある。剣術、弓術、薙刀、華道、茶道、その他諸々、日本の美は型に内包されている。そこを逸脱する時あらゆる物、事は下卑た品位のないものになる。

夫婦別姓などと言う、日本の生活の美に関わる型を害い、以て日本を解体に導こうとしてモノが居たようだ。それに目くらましされる程度の見識しか持ち併せない裁判官も数名居たようだ。

『型』の何たるかかも判らぬものが『型にはまる』事を馬鹿にして、以て開明進歩的だと言い張る、自分が未熟で愚かであることに気が着かない。
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法と倫理

2015年12月17日 11時41分25秒 | 日記
法に2種類ある。人間が作った法(所謂憲法、法律、法治国家の法)と神の法、倫理である。

人間の法を巧妙に利用して、或はそれを隠れ蓑にして神の法を犯す者共が居る、特に最近炙りだされて明らかに見え始めた。法治国家と雖も人間のすることであるから法整備が間に合わない、或は人心や票を恐れて整備を怠る、等のことがあろう。

神の法は一見無力、でも古くから言うように『天網恢恢疎にして漏らさず』・・・不逞の二足歩行獣は一頭残らず網にかかっていよう、人間の眼は逃れ得ても神の眼は逃れられない、何故なら全ての人間の中に神の出城がある、それがその人間を裁く。倫理に悖る罪は執行猶予、情状酌量、軽重さじ加減などと言うものはどうやらなさそうだ。

世界に起こっている現象を見て居ると『日の終わり』つまり神の安息の7000年の終わりが近いようだ。その時総ての人類は生死にかかわらず神の法に照らして人類として残されるか、人類戸籍抹消廃棄焼却とするか判定されるだろう。最後の審判とか地獄の業火、責め苦などと言うものは根拠のない作り話だ、と言う主張は、『信じることが欲に負けて真剣に考慮していない』だけの話だ。黙示録にはちゃんと書いてある。
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basic income

2015年12月16日 13時42分44秒 | 日記
またbasic incomeについて書く。今しがたたまたま見えない貧困について読んだ。デリバリー・ヘルスで生きる女性の話である。全く先が見えない状況であるがそのような生き方になった理由は100パーセント本人の所謂自己責任と言っていいのか?との疑念がぬぐえない。

三橋美智也が『とんびがくるりと輪を欠いた・・・』なんて歌っていた時代を境に日本の農漁村は崩壊を始め、血縁も地縁も経済界の発展の為にズタズタにされたのではなかったか?私が小学校低学年の頃、みんな貧しかったが『何とか生きてゆける』と気分的にしろ楽観のようなものはあった。その『空気』を経済界優先の為に全く払拭し去ったのが為政者であり、為政者を動かして利得に与った人々ではなかたのか?

政治や経済については門外漢だから乱暴な意見かもしれないが国民に『生存の不安』を持たせないことは国家の使命ではないのか?無論それに対して相応の『責務の観念』が必要・・・昔の共同体では集団に対する倫理観が残っていたように思う・・・ではある。

今日の社会は『欲』を先行させて『倫理』を脇へ措き、以て犠牲者を出したのではあるまいか。少なくともきらびやかなネオンサインの町で夜毎居酒屋で飲み食いする人々が居る一方で明日の身が不安な人々も居るこのアンバランスを何とかしなければならないと、思わないなら政治家ではないと思う。

酒場放浪記をよく見て居たがこれを考えると最早空々しい。断っておく、このような事象を言論や政治運動のタネにして利得を得ようとする者共が居る事は知っている、汚らわしい!
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女性と職業

2015年12月16日 11時33分24秒 | 日記
以前勤めていた造船会社の設計部、女性社員のお喋りに切れて『喧しい、静かにしろ、仕事中だぞ!』と大声で怒鳴ったことがあった。普段物静かな私が怒鳴った、それも傍に居る部長も素知らぬ顔をしている状況であったので一同びっくりして一瞬シンとなった(お喋り女性社員を叱る度胸もないヘタレ部長)。

件の女性社員たちの処に行って『もっとまじめに仕事をせんか!』と言ったら『アタシタチは同じ仕事をしても男性社員と較べて給料は低いし昇進の機会も開かれていない』と言った。『だったらそれを人事部長の処へ行って言え』と言ったのだが、深く考えさせられた。確かにそうなのだ、別の部署に真摯に仕事をして実績を積み、無くてはならぬ存在の女性社員がいるがその功績は全く評価されていない、私自身もオカシイことだと考えていた。

性差別をする企業はその根本的な姿勢で間違っていると思う。同じ仕事なら横一線に並べるべきである。内情を詳しくは知らないから偉そうには言えないがこの点、自衛隊は極めてフェアな組織ではないかと考えている。男と女とで体格、身体能力、メンタリティ、色々違う、そこを『区別』はするが『差別』はしていないと見る。それに較べれば一般企業、特に地方の企業は未だにオヤジ臭紛々たるものかもしれない。

だが、かく言った彼女たちの『理屈は解る』・・・しかしそれでは『職業人としての自分』を客観的に見て『いつまでも給料の為にだけ』仕事をする、でいいと思っているのだろうか?『最新のポルシェが最高のポルシェ』と言うが、新しい仕事に取り掛かる度に、『今度はもっといい仕事をしよう』と思わないのだろうか?

いや、これは女性社員だけに留まらず男性社員にも言いたい事である。自分の仕事をたゆまず進歩させる、そのことと給料とは関係ないのではないか?職業人としては・・・?給料がこの程度だから、或はどうせペーペーだから、仕事もこんなもので、と言う人は多分最後までウジウジと職業人生を送ると思う。
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マヤ暦、フォトンベルト、ライトワーカー、コルマンインデックス、マイトレーヤ、などなど

2015年12月16日 09時56分20秒 | 日記
これらの言葉は2007年から2012年辺りにネット上に頻繁に見られた言葉である。一言で言えば人類苦難の時代の終焉が直近に迫っているとの希望を掻き立てる論調であった。そしてその内容は、人類の顕在意識での自助努力によって地上のユートピア化が成し遂げられるのではなく天体の物理的な推移、人間の内在無意識の変革、或は超越的存在の意図、などのような事象によって齎されると言う内容であった、つまり人類に対する絶望感と表裏一体を成しているわけである。

スピリチュアルな何かが『好むと好まざるに関らずユートピアが間もなく訪れる』と囁く、それを紹介する、ような記事もあったし今でもあるかもしれない。

私はこれを総て『あるものの騙し』だと思っていた。今でもネット上には地球外生命体やUFOの記事が沢山あるが総て騙し、目くらましの類だと思っている。その騙しによって人類は肝心の物事から目を逸らさせられる。マタイ伝の24章にあらかじめ警告されている・・・多くのモノが『私がキリストである』と言ってやってくるが、騙されてはいけない、と。しかしそのような事象こそがまさに人類史の決算が迫っていることを暗示している。

聖書などと言うものはキリスト教会の経典だと多くの日本人は思っているだろう。言い換えれば『イワシの頭』の一種である、と。しかし、現代世界を形造っている、或は覆っている根本思想、例えば法の下の平等、正義、或は愛、博愛、善意、法治国家、等々の理念は総てキリスト教由来のものではないか?同時に世界を混乱させてしまったのもまさにキリスト教世界が播いた種、巧妙な博愛教育の蔭で行った植民地化、共産主義思想などではないか?

つまり人類は好むと好まざるとに関わらず聖書を書いた誰かの思想なり観念なりの域内でその方程式の範疇で生きていると言う事にならないか?だったらその著者が何を予見しているかを随聞するのは真っ当な理性的行為であろう。く/font>
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