つらねのため息

写真や少し長い文章を掲載していく予定。

納得

2006-03-14 00:00:00 | 過去ログ転載
Herbert KitscheltのThe Logics of Party Formation: Ecological Politics in Belgium and West Germanyをここのところ読んでいたのだが、どうもKitscheltが左翼リバタリアン政党の開放性や流動性を共産主義グループのセクト主義との対比で強調するのがいまいち実感がわかずにいた。Kitscheltが北欧の新左翼政党まで左翼リバタリアン政党の範疇に含めているところが話をややこしくしているわけだが。

んで、今日大学に行って自治会のタテカンやらなんやらを眺めてようやく話を理解した。確かにあのセクト主義的閉鎖性と比べれば緑の党はオープンで非常に流動的な組織だ。

やはり、学問は実地で実感してなんぼと改めて感じた次第。

備忘録

2006-02-27 00:00:00 | 過去ログ転載
研究者を志望するものとして常に心にとどめておかねばいけないと思っていることがある。はじめて、世の中に対して感じた矛盾、政治学を志したときに目指していたもの、そういういわば「初心」を忘れないようにしなければいけないと思ってきた。「初心忘るべからず」。だからそういうものを与えてくれた人やものを大事にして生きて行こうと思ってきた。

でも、それだけではあまりに過去に向きすぎなのかもしれない。苦沙弥先生によれば「自説が変わらないのは発達しない証拠」である。自分が今日まで生きてきたことと同じように今を生き、明日を生きる必要がある。自分のルーツを大切にしながらも、「今」と「明日」の変化についていかねばならないだろう。E.H.カーのいうように歴史が「現在と過去との絶えざる対話」であるならば、自分史もまた今の自分と自分が背負ってきた様々なものとの対話の中で紡ぎ出されていくものだ。

兵どもが夢のあと

2004-09-02 00:00:00 | 過去ログ転載
アテネオリンピックが終わった。世間では盛り上がっていたようだが個人的には深夜まで起きているのがつらかったのでリアルタイムで見たというのはあんまりない。

それにしても今回もまた出たドーピング。やっぱりオリンピックそのものの体質とでもいうべきものに問題があるように思う。もちろん「ずる」はいけないことだが根はもっと深い。問題はオリンピックの質的な変化にある。元来オリンピックは色々な国の人たちがその実力にかかわらず競技しあうことに意味があったはず。使い古された言葉だが「参加することに意義がある」のである。別にプロではないのだから結果は関係ない。金メダルというのはそういう人たちの中で最高のプレーをした人に贈られる名誉だったはずだ。ところがこの関係が逆転して金メダルを取ることが目的となりオリンピックは世界一を決める争いになってしまった。いわばオリンピックがプロスポーツになってしまったのだ(そういえば放送権料やら何やらオリンピックってのはビッグビジネスらしいが)。

そういう意味では日本の獲得したメダルの数がいくつ増えたとか何とかいって喜んでいるのとドーピングをした選手は同じ穴の狢ではないだろうか。そんな気がする。

「反日サポーター」考

2004-08-04 00:00:00 | 過去ログ転載
なんだかおかしな話だ。歴史的経緯を考えればブーイングする中国人の気持ちもわからないではない。国歌斉唱のときぐらいはブーイングをやめてほしいというのも日の丸・君が代の意味がわかっていない歴史感覚の欠如した発想だろう。おかしいのはスポーツが国というとても政治的なものを背負わなければならないということだろう。なんで世界的な大会はみな国家が単位なんだろう?政治(学)的文脈ではとても注意して扱われるべき「ナショナル」という単語がスポーツの世界では自然なのもちょっとおかしい。「ナショナルチーム」というチームの存在自体がとても政治的だ。そういう構造になっている限りこういう問題は必ず起きる。どうしてサッカー場で日の丸が振られ君が代が歌われるのかちゃんと考えるべきだろう。

いずれにせよ自分で某神社に参拝して火種を作っておきながら「政治とスポーツは別」などといけしゃあしゃあと発言している総理の感覚はいかがなものだろうか。冷静な日中両国政府の対応は評価するべきだが。

イラクについて最近思うことなど。

2003-12-02 00:00:00 | 過去ログ転載
ついに日本人の死者が出ました。起こるべくして起こったといえばそれまでですが、これで自衛隊派遣に関する議論になることは必定。果たして政府はどうするのでしょうかね。

ぼくは今回の事件をきっかけに派遣をやめるようなら、派遣した方がよっぽどましだと思う。だってそれは暴力に負けたことにしかならないのだから。そもそもこの程度の死者でビビってしまうこと自体、自衛隊派遣に何の大義もないことを証明している。ちゃんと意味があることならば2人の死者が出たくらいで方針が揺らぐようなことはないはずだ。「そもそも論」だけれども、そもそもアメリカの戦争に大義はあったのか。イラクを何故アメリカが占領しているのか。そしてそれに日本が協力する意味は何か。そういった議論が必要だと思うし、何よりそういう視点から派遣は中止するべきだと思う。日本人が何人死ぬかという議論はいい加減やめてもらいたいものだ。