(1)消費税
日本の政治をめぐる言説を見ていてもっとも不思議なのは増税を積極的に唱える言説が見当たらないことだ。確かに二大政党は消費税の引き上げを唱えている。しかし、それは「国庫にお金が足らないからそれを補うために税を引き上げましょう」という議論だ。いわば受け身的な増税論だ。そうではなくて「私たちはこうこうこういう政策をとりたい。しかし、すでに赤字である国家財政にそんな余裕はない。だから税を引き上げてそれによって新政策の財源を賄いたい」というような議論があってもいいではないか。
消費税は確かに法人税や所得税に比べれば庶民にとって負担となる税だ。しかしそれでも人々に遍く課税し、必要とされるところに配分するのは、国家の再分配機能に他ならない。それなのに、なぜこの国ではほぼタブーのような扱いを受けているのか。特に本来「大きな国家」を指向するはずの左派に消費税への忌避感が強いのはいただけない。「福祉国家」を担保するための財源をいかにつくるかという議論はきちんとしなければならないはずだ。
消費税に関連して思うのは「消費税を増税する際には衆議院を解散して国民に信を問う」という議論だ。一見、もっともらしく聞こえるが、二大政党がともに消費税増税を唱えている中でどのように「信を問う」のか。民主党と自民党をたした得票率が50%を超えれば消費税増税が国民の信を得たということになるのでは何の意味もない。消費税増税に反対するためには共産党政権を誕生させるしかないというのでは、いかがなものだろうか。
要するに消費税増税は「国民に信を問う」ことが重要なのではなく、各党がいかに議論して成案を得るか、それによっていかに永続的なシステムをつくり上げるかということが問われているのだと思う。「選挙で勝てば税を上げていい」ではなくて、多少政権の枠組みが変わったところで、変更する必要がないようなしっかりしたシステムをつくることができるかどうかなのだ。国会としての合意形成の能力が問題なのだ。
(2)ねじれ国会
もう一つ思うのは、いわゆる「ねじれ国会」に関する議論だ。国会の現状についての解決策として大連立や、民主党と公明党やみんなの党との連立の議論がもちあがる。しかし、それでいいのだろうか。
個人的には、政策ごとに多数派を形成する努力がしっかりとなされるべきだと思う。日本の参議院がかなり強い拒否権プレーヤーであるという議論はその通りだと思う。しかし、内閣は衆議院の多数派によって支持されていれば十分である。問題はそういう政治的支持基盤と、政策的な支持の広がりが同一視されていることだと思う。民主党政権は、自民党政権に違い自らの左右双方に野党を持つ政権である。つまり右寄りの政策をとれば自民党など右派の、左寄りの政策をとれば社民党や共産党など左派の協力を受けることができる(理論的には)。そして、それは節操のないことではなく民主党という政党の立ち位置から言えば、ごく自然なことだ。そのようにしてテーマごとに多数派をつくる努力をすることが非常に重要だと思う。そして、政策への支持はできるだけ幅広く形成されることが重要だ。それによってさらなる政権交代後にもその政策が継続される素地が生まれる。それは国民から見ればとても望ましいことだ。
なぜ、このようなことを言うかというと、現在の参議院の勢力図を考えると、自民党を中心とする側も、もちろん民主党を中心とする側も多数派を握ることができないからだ。解散のない参議院がこのような状況であることを考えると、向こう三年は「ねじれ国会」が続くことは確実である。だからこそ、国会の合意形成能力の深化が必要なのだ。
その意味でいえば、内閣総辞職や衆議院の解散では、何の解決にもならないことは明白である。次の内閣ができたところで、直面するのは「ねじれ国会」。予算をあげるために、一年に一回内閣総辞職ではあまりに国民をばかにしている。国会が議論をし、合意形成をする場となることを願う。
日本の政治をめぐる言説を見ていてもっとも不思議なのは増税を積極的に唱える言説が見当たらないことだ。確かに二大政党は消費税の引き上げを唱えている。しかし、それは「国庫にお金が足らないからそれを補うために税を引き上げましょう」という議論だ。いわば受け身的な増税論だ。そうではなくて「私たちはこうこうこういう政策をとりたい。しかし、すでに赤字である国家財政にそんな余裕はない。だから税を引き上げてそれによって新政策の財源を賄いたい」というような議論があってもいいではないか。
消費税は確かに法人税や所得税に比べれば庶民にとって負担となる税だ。しかしそれでも人々に遍く課税し、必要とされるところに配分するのは、国家の再分配機能に他ならない。それなのに、なぜこの国ではほぼタブーのような扱いを受けているのか。特に本来「大きな国家」を指向するはずの左派に消費税への忌避感が強いのはいただけない。「福祉国家」を担保するための財源をいかにつくるかという議論はきちんとしなければならないはずだ。
消費税に関連して思うのは「消費税を増税する際には衆議院を解散して国民に信を問う」という議論だ。一見、もっともらしく聞こえるが、二大政党がともに消費税増税を唱えている中でどのように「信を問う」のか。民主党と自民党をたした得票率が50%を超えれば消費税増税が国民の信を得たということになるのでは何の意味もない。消費税増税に反対するためには共産党政権を誕生させるしかないというのでは、いかがなものだろうか。
要するに消費税増税は「国民に信を問う」ことが重要なのではなく、各党がいかに議論して成案を得るか、それによっていかに永続的なシステムをつくり上げるかということが問われているのだと思う。「選挙で勝てば税を上げていい」ではなくて、多少政権の枠組みが変わったところで、変更する必要がないようなしっかりしたシステムをつくることができるかどうかなのだ。国会としての合意形成の能力が問題なのだ。
(2)ねじれ国会
もう一つ思うのは、いわゆる「ねじれ国会」に関する議論だ。国会の現状についての解決策として大連立や、民主党と公明党やみんなの党との連立の議論がもちあがる。しかし、それでいいのだろうか。
個人的には、政策ごとに多数派を形成する努力がしっかりとなされるべきだと思う。日本の参議院がかなり強い拒否権プレーヤーであるという議論はその通りだと思う。しかし、内閣は衆議院の多数派によって支持されていれば十分である。問題はそういう政治的支持基盤と、政策的な支持の広がりが同一視されていることだと思う。民主党政権は、自民党政権に違い自らの左右双方に野党を持つ政権である。つまり右寄りの政策をとれば自民党など右派の、左寄りの政策をとれば社民党や共産党など左派の協力を受けることができる(理論的には)。そして、それは節操のないことではなく民主党という政党の立ち位置から言えば、ごく自然なことだ。そのようにしてテーマごとに多数派をつくる努力をすることが非常に重要だと思う。そして、政策への支持はできるだけ幅広く形成されることが重要だ。それによってさらなる政権交代後にもその政策が継続される素地が生まれる。それは国民から見ればとても望ましいことだ。
なぜ、このようなことを言うかというと、現在の参議院の勢力図を考えると、自民党を中心とする側も、もちろん民主党を中心とする側も多数派を握ることができないからだ。解散のない参議院がこのような状況であることを考えると、向こう三年は「ねじれ国会」が続くことは確実である。だからこそ、国会の合意形成能力の深化が必要なのだ。
その意味でいえば、内閣総辞職や衆議院の解散では、何の解決にもならないことは明白である。次の内閣ができたところで、直面するのは「ねじれ国会」。予算をあげるために、一年に一回内閣総辞職ではあまりに国民をばかにしている。国会が議論をし、合意形成をする場となることを願う。