つらねのため息

写真や少し長い文章を掲載していく予定。

遅まきながらライブドアの件について考えてみる

2006-01-22 00:07:01 | 日本のこと
まあ、一連の事件を見ても驚いた人は
そんなにいなかったに違いない。
どちらかって言うと「やっぱり」
といったような反応が多いんじゃないかと思う。

しかし、よくわからないけど、今回の事件が
「出る杭は打たれる」的なものとして理解されるのなら
この国の社会のなんと前近代的なことか。

自由競争の中で上手くやったものが勝ち、
失敗したものが負けるってのが資本主義だ。

ライブドアがルール違反をしたからではなく
新参者だからこういう結果を生じたんだって
風潮があるのはどうも解せない。

それと

本当かどうかは疑わしい気もするけど
耐震偽装問題つぶしのために
ライブドアの強制捜査が行なわれたとしたら
土建屋っていう最も「古い自民党」的なものを守るために
改革の象徴をスケープゴートにしたことになる。

小泉改革の良くも悪くも象徴であったホリエモンが
そんなもののためにつぶされたのだとすれば
「自民党をぶっ壊す」はなんだったのだろうか?

小泉構造改革は自由競争に満ちあふれた
新自由主義的な世界をつくるためではなく
既存の資本を守り育てるための
形を変えた護送船団だったってことだろうか?

21世紀の日本もITに象徴される新たな産業を育てるよりも
20世紀型の資本を守るってことなのだろうか?

時代の寵児だったはずの人物が
選挙で利用され、既存資本を守るために利用された
ドンキホーテでしかなかったとしたら、
この国はサッチャリズムすらまともに
もてなかったことになりかねない。

「一度目は悲劇で二度目は茶番」
誰かさんがそう言ってたのを
ふと思い出した。


神について断片的に

2006-01-15 01:14:24 | ノンジャンル
先日、酒の席で熱く宗教談義をしたので、
その余波でブログにも書いてみようかと思う。

(以下、私的な文章なので、あんまり面白くないかも)

まず、個人的な履歴を書くと、
ここ数年、無神論者で通している。
ただ、いつからそう決めたかは、あまり覚えていない。

大学に入ったころは神社にお参りに行って
何事かを祈った記憶があるので
大学に入ったあとでも「何か大いなるもの」の存在を
信じていたことは確かである。

ただ、大学四年のときに「無神論者です」
という発言をしたのは覚えているので、
恐らくその辺だろう。

それじゃあ、なぜ「無神論者」になったかっていうと
やっぱり大学に入ってからの人付き合いだろうか。

悩んだときや困ったときにすがるのは、神様や仏様じゃなく、
友人たちだということに気付いた事が大きい。

それに、近代医学のおかげで何とか生きながらえている身としては
神様のおかげというよりも科学のおかげっていう実感の方が
もともと強かったし。

それと大きかったのは
宗教って本当に必要なのって言う疑問。

特に一番身近な宗教、仏教の惨状には
疑問を呈さざるを得ないからだ。

両親の実家はそれぞれ浄土宗と浄土真宗だけど
葬式や法事にしてもなぜやるのかって言う理由がわからない。

へたくそなお経を聞かされてなんであんなんに
高額のお布施を払うのかもわからないし、
そもそも仏教での決まりごとに
従って進んでいく儀式にしたって
「そう決まってるからやる」
っていう以上のものは
誰も考えていないだろう。

蝋燭にしたって線香にしたって
それがどういう意味を持っているのかを
わかってる人なんていないんじゃないだろうか。

誰も何も理解していないのに、
「ただ決まっているからやる」
儀式でしかない。

そのくせ、仏教の儀式はやたらと
封建的な上下関係を温存する。
上座だ、下座だと席順にうるさいし、
うちの田舎では法事のあとに
「おとき(漢字がわからん)」なる
食事の会があるのだけど、原則男しか出れない
(「家」を代表してる人が女性の場合は例外)。
で、親族の女性が酒を注いだり、飯をよそったり
「甲斐甲斐しく」働くことになるわけだ。

およそ現在日本の仏教は「家」どうしの親戚づきあい、
近所づきあいを維持するという、古い封建制の残滓を
温存する「儀式」としての機能以上の働きを果たしていない。

浅学にして最近まで知らなかったのだけど
「えた・非人」っていうのは仏教起源だって言う事実も
仏教が日本の封建制と分かちがたく
結びついていることの表れだろう。