つらねのため息

写真や少し長い文章を掲載していく予定。

「浦和」が付く駅名考

2018-03-21 11:49:00 | ノンジャンル
「浦和」がつく駅は全部で8つある。しかもその多くは浦和に東西南北などがついただけの平板な名前だ。そこでこれらの駅に浦和がつかなっかたらどういう駅名になるだろうかを考えてみた。なお、駅の沿革などの情報は旧浦和市が編集発行した『わがまち浦和』(1992年)を適宜参照した。また既に存在する駅名との重複などは特に考慮していない。

浦和駅:さいたま市浦和区高砂一丁目―wikipedia―
1883(明治16)年7月、日本鉄道上野熊谷間開業とともに営業開始。
この駅は確かに浦和駅を名乗るにふさわしいだろう。

北浦和駅:さいたま市浦和区北浦和三丁目―wikipedia―
1936年(昭和11年)9月開業。
周囲は江戸時代には針ヶ谷村といい、1889(明治22)年に合併して木崎村、1932(昭和7)年に浦和町と合併した。合併の直後に開業したことになる。合併前であれば木崎駅、あるいは針ヶ谷駅などの名前になっていたのではないだろうか。ただ木崎村といってもかなり外れであり、個人的には針ヶ谷駅を推したい。

南浦和駅:さいたま市南区南浦和二丁目―wikipedia―
1961年(昭和36年)7月開業。
所在地は江戸時代には大谷場村といい、1889(明治22)年に合併して谷田村、1932(昭和7)年に浦和町と合併した。開業時には既に合併から年月が経っているが浦和を使わないのであれば、旧村名から谷田駅、もしくは当時の大字でもあった大谷場駅とすることが考えられたはずである。

東浦和駅:さいたま市緑区東浦和一丁目―wikipedia―
1973年(昭和48年)4月、武蔵野線開通と同時に営業開始。
周辺は江戸時代の大牧村。1889(明治22)年に合併して尾間木村となり、1940(昭和15)年、浦和市と合併した。浦和を使わないのであれば、旧村名から尾間木駅とするのが順当だろうか。

西浦和駅:さいたま市桜区田島五丁目―wikipedia―
東浦和駅と同じく、1973年(昭和48年)4月、武蔵野線開通と同時に営業開始。
周辺は江戸時代の田島村。1889(明治22)年に合併して土合村となり、1955(昭和30)年、浦和市と合併した。浦和とつかない駅名を考えると旧村名からは土合駅だが、田島駅も候補になるか。

武蔵浦和駅:さいたま市南区別所七丁目―wikipedia―
1985(昭和60)年9月、埼京線開通と同時に開業。
近世の別所村の地。1889(明治22)年に合併して六辻村となり、1938(昭和13)年には町制を施行して六辻町となる。1942(昭和17)年に浦和市と合併した。浦和を使わないで考えると地名からは別所駅だが、旧六辻町唯一の駅であり、六辻駅もあり得るか(合併から開業まで40年以上たっているが)。

中浦和駅:さいたま市南区鹿手袋一丁目―wikipedia―
武蔵浦和駅と同じく1985(昭和60)年9月、埼京線開通と同時に開業。
近世の鹿手袋村。1889(明治22)年に合併して土合村となり、1955(昭和30)年、浦和市と合併した。浦和を使わずに考えるならば、個人的には鹿手袋駅を推したい。

浦和美園駅:さいたま市緑区美園四丁目―wikipedia―
2001年(平成13年)3月、埼玉高速鉄道線開業とともに営業開始。
区画整理事業により地名が変わってしまい分かりにくいが、おそらく近世の下野田村の地。1889(明治22)年に合併して大門村となり、1956(昭和31)年、合併により美園村となった。1962(昭和37)年には美園村を解体して浦和市に合併した。美園が駅名についているが、仮称でもあったという、日光御成街道の宿場町以来の伝統ある大門の名前を残しても良かったと思っている。

こうして改めて見てくると、ここで考えたこととは逆に、区画整理などをきっかけに駅の周辺がその駅名をもとにした地名へと転化していった事例も散見される。また旧浦和市内の駅は武蔵野線や埼京線など比較的後年になってから開業した路線の駅が多く、浦和市への合併からかなりの年月を経てから開業したことが、旧地名ではなく○○浦和のような名前になった理由として考えられるように思う。

『新撰21』

2010-01-17 22:50:00 | ノンジャンル


相方が参加した俳句の本が出ているらしいので宣伝。

といってもぼくはよくわからないので、とりあえず出版社のコピーをそのまま貼り付け。

U-40による2100句のアンソロジーが、
今世紀の俳句の行方を占う鍵として纏まります


詳しく知りたい方、購入されたい方はこちらから

「ファン」考

2006-03-21 22:41:50 | ノンジャンル
日本中WBCで盛り上がっているが、今日から将棋の第55期王将戦七番勝負第7局が新潟県佐渡市の「ホテル大佐渡」で始まったことはあんまり知られていないだろう。

羽生三冠の三連勝の後佐藤棋聖の三連勝で迎えた第7局、羽生三冠が踏みとどまるのか、佐藤棋聖が王将位を奪取するか。

将棋界ではタイトル戦で三連勝のあと四連敗ということが過去一度もない。しかし、羽生三冠は森内名人にタイトルを奪われた棋王戦、谷川九段に敗れたA級順位戦プレーオフとここのところ調子を落としているので、ひょっとするとひょっとするかもしれない。結果が気になるところである。

ちなみにインターネット中継はこちら

さて、ぼくは将棋ファンである。しかし、ここ数年将棋を指したことはおろか駒に触れたことすらない。テレビのNHK杯戦を観戦したり、今回の王将戦のようにインターネット中継があるときはそれを観戦したりして楽しんでいるわけだ。おそらくぼくのような将棋ファンは少数派であろう。大概の将棋ファンはプロの将棋を見て楽しむと同時に自ら詰め将棋を解いたり街の将棋道場のようなところで将棋を指して楽しむいわばアマチュアプレーヤーである。この競技人口≒ファン層という状況を変えない限り、将棋ファンの革命的増大は望み得ない。

これが野球やサッカーなどのメジャースポーツになると様相は一変する。これらの競技をやったことがない人間ですらそれなりの知識を持って観戦することができるし、贔屓のチームを応援する。なかにはルールをよく知らなくても選手の外見や言動なんかをもとにファンになる人も出てくる。こうしたいわば「素人ファン」の獲得こそが大衆社会にプロスポーツが生き残る方法であろう。すなわち競技を実際にプレーしないが、観戦などによって楽しむ人々の存在である。

このようないわば「プレーしない受け手」の存在は音楽や文学の世界にある。楽器をまったく弾けなくても人々は日常的に音楽を聴き楽しんでいる。ウォークマンやiPodの浸透はそのことを如実に物語る。カラオケという問題はあるけれども、そこでは人々は音楽の作り手として振舞うのではなく、むしろそれを消費しているのであって、その意味でカラオケは音楽の新たな「受け方」を提供したに過ぎない。

また、小説を読む人の殆どは自ら執筆するという経験を生涯持たないであろう。

というわけで、一将棋ファンとしては将棋を知らない層へと将棋人気が広まっていくことを期待してやまない。例えば「○○九段の将棋に打ち込む姿勢が好き」とか「○○八段の駒を動かすときのしぐさが何とも言えない」とか、単に「○○四段、かっこいい~」とか。

そういう意味で言えば昨年、将棋界で61年ぶりとなるプロ編入試験の末プロとなった瀬川晶司四段の事例は非常に面白い。瀬川四段がこれからトップ棋士になる可能性はゼロとは言わないが限りなく小さいだろう。しかし、彼のプロ入りによって将棋を知らない層へも将棋が広まったという普及の効果は大きなものがある。彼の指す将棋そのものではなく、一人の夢をあきらめた人間が再びその夢を現実のものにするというドラマを作り出したことによって、あの編入試験は一つの意味をもったし、それのみで、瀬川四段はプロとしての資格を持つのである。

もっとも、「素人ファン」の増大は決していいことばかりではない。それは様々なかたちでのファンの質的変容をもたらす。例えばあらかじめ収録されたテレビ棋戦の結果を放映前に将棋棋士のファンサイトなどで公開することはしないというルールがあるけれども、これもファンの善意によって成り立っているルールであって破ろうと思えばいくらでも破ることができる(実際某巨大掲示板に流出したことがある)。また数年前の羽生7冠誕生の際に、(7冠誕生という)結果のみを追い求めたマスコミの理不尽な報道が不公平な状態を生み出してしまったことは島朗八段の名著『純粋なるもの』に詳しい。ファン層の増大はアマチュアプレーヤーとプロが形成している一種のコミュニティを崩壊させかねない。「勝った」、「負けた」という結果のみが追い求められたり、極私的なことが話題に上がったりするのは様々なところで目にする。

また一方でファンの「コア化」とでもいうべき事態も進行する。例えば作家の私信や未発表原稿が流出したり、ブートレグが出回ったりするのもそれらを欲する変質狂的なファンが存在するからに他ならない。

こういったファンの多層化は本来注目されるべきプレーや作品への眼差しを減じさせる、もしくは少なくとも変容させる効果を持つ。様々な予備情報を得た上では、ファンがプロの営為をそのものとして純粋に味わうことは難しい。

もちろん、あらゆる予備情報を遮断することは不可能である。もし可能であるとしても、おそらくそれは情報を遮断している(平たく言うならばミステリアスな雰囲気を作り出している)という「情報」を与えるという意味合いを持つ。

いずれにせよ「プロであること」や「ファンであること」は意外に難しい含意を持っているような気がしてならない。

Vanの続き

2006-03-13 21:09:56 | ノンジャンル
昨日の記事を書きながら思っていたこと。

「Martin Van Burenっていたよなあ」。

名前だけはフルネームで思い出せるのに誰だかさっぱりわからない。

Vanとつけばオランダ人と勝手に決め込んでいたのでヨーロッパ系を中心に考えてたんですが、さっき自転車こいでてふと思い出した。

アメリカ合衆国第八代大統領でした。

だめですね。昔は合衆国歴代大統領をそらんじてたのに。

いまググってみたらこの人もオランダ系らしい。

そういえば、ブッシュVSゴアのときに現職の副大統領が大統領選挙に勝利すればVan Buren以来の快挙のようなことが報道されてた気がする。

ところで勝手にJohn Quincy Adamsの副大統領だったと思い込んでたんですが、Andrew Jacksonの副大統領から大統領になったようです。

色々、お勉強になりました。

神について断片的に

2006-01-15 01:14:24 | ノンジャンル
先日、酒の席で熱く宗教談義をしたので、
その余波でブログにも書いてみようかと思う。

(以下、私的な文章なので、あんまり面白くないかも)

まず、個人的な履歴を書くと、
ここ数年、無神論者で通している。
ただ、いつからそう決めたかは、あまり覚えていない。

大学に入ったころは神社にお参りに行って
何事かを祈った記憶があるので
大学に入ったあとでも「何か大いなるもの」の存在を
信じていたことは確かである。

ただ、大学四年のときに「無神論者です」
という発言をしたのは覚えているので、
恐らくその辺だろう。

それじゃあ、なぜ「無神論者」になったかっていうと
やっぱり大学に入ってからの人付き合いだろうか。

悩んだときや困ったときにすがるのは、神様や仏様じゃなく、
友人たちだということに気付いた事が大きい。

それに、近代医学のおかげで何とか生きながらえている身としては
神様のおかげというよりも科学のおかげっていう実感の方が
もともと強かったし。

それと大きかったのは
宗教って本当に必要なのって言う疑問。

特に一番身近な宗教、仏教の惨状には
疑問を呈さざるを得ないからだ。

両親の実家はそれぞれ浄土宗と浄土真宗だけど
葬式や法事にしてもなぜやるのかって言う理由がわからない。

へたくそなお経を聞かされてなんであんなんに
高額のお布施を払うのかもわからないし、
そもそも仏教での決まりごとに
従って進んでいく儀式にしたって
「そう決まってるからやる」
っていう以上のものは
誰も考えていないだろう。

蝋燭にしたって線香にしたって
それがどういう意味を持っているのかを
わかってる人なんていないんじゃないだろうか。

誰も何も理解していないのに、
「ただ決まっているからやる」
儀式でしかない。

そのくせ、仏教の儀式はやたらと
封建的な上下関係を温存する。
上座だ、下座だと席順にうるさいし、
うちの田舎では法事のあとに
「おとき(漢字がわからん)」なる
食事の会があるのだけど、原則男しか出れない
(「家」を代表してる人が女性の場合は例外)。
で、親族の女性が酒を注いだり、飯をよそったり
「甲斐甲斐しく」働くことになるわけだ。

およそ現在日本の仏教は「家」どうしの親戚づきあい、
近所づきあいを維持するという、古い封建制の残滓を
温存する「儀式」としての機能以上の働きを果たしていない。

浅学にして最近まで知らなかったのだけど
「えた・非人」っていうのは仏教起源だって言う事実も
仏教が日本の封建制と分かちがたく
結びついていることの表れだろう。