昨今の脱原発運動の盛り上がりにはなんとなく違和感を感じている。もちろん、運動の目指している方向性に異論はないし共感はしている。しかし、「どうして今?」という気持ち、これだけの事故を経験する前に何とかできなかったのか、そんな思いがどこかになんとなく引っ掛かってもいる。例えば新潟県中越沖地震の時の下記のような記事。柏崎市長が感じた違和感を私たちはあの時、共有できず、それに向きあうこともしなかった。自戒の念も込めて記憶にとどめておきたい。
アサヒ・コム:柏崎市長「影響ない首都圏に違和感」 地震の原発停止で(2007年08月11日10時19分)
アサヒ・コム:柏崎市長「影響ない首都圏に違和感」 地震の原発停止で(2007年08月11日10時19分)