筑波大学の附属図書館のウェブサイト内に古絵図資料一覧というコーナーがありそこに『越後國細見大繪圖』というものがあることを知った。
これは天保13年(1832年)のころの地図らしいが、ぼくの土地勘がある高田~糸魚川にかけてついてもいくつか面白い発見があった。
以下思いつくままにあげていく。
・「南葉山」が「難波山」となっている。
・「有間川」が「有馬川」となっている(そもそもwikipediaの有間川の項でこの地図のことを知ったのだが)。
・徳合は現在海側が「浜徳合」、山側が「徳合」となっているが、この地図では海側が徳合、山側が「山徳合」となっている。
・「仙納」は「千納」
・能生は地名は「能生」となっているが川の名は「能川」となっている。
・直江津が当時「今町」と呼ばれていたのは知っていたが、その沖合いに「直江浦」という書き込みがある。当時はそう呼んでいたのだろうか。
他にも発見がありそうなので、また、じっくり見て行きたい。
これは天保13年(1832年)のころの地図らしいが、ぼくの土地勘がある高田~糸魚川にかけてついてもいくつか面白い発見があった。
以下思いつくままにあげていく。
・「南葉山」が「難波山」となっている。
・「有間川」が「有馬川」となっている(そもそもwikipediaの有間川の項でこの地図のことを知ったのだが)。
・徳合は現在海側が「浜徳合」、山側が「徳合」となっているが、この地図では海側が徳合、山側が「山徳合」となっている。
・「仙納」は「千納」
・能生は地名は「能生」となっているが川の名は「能川」となっている。
・直江津が当時「今町」と呼ばれていたのは知っていたが、その沖合いに「直江浦」という書き込みがある。当時はそう呼んでいたのだろうか。
他にも発見がありそうなので、また、じっくり見て行きたい。