今月の上旬、手術を受けるために入院した。入院中、当然のことながら良いことも嫌なことも色々とあったが、一番良かったことは看護師さんたちの仕事ぶりを間近で見ることができたことだと思う。看護師さんの仕事、それは文字通り、看護のプロフェッショナルとしての仕事なのだと改めて感じたのだ。
様々な医療に関する専門的な技術や知識を持つことはもちろんのこと、それらをどのように行うかの判断力も求められる。心身の状態も様々な患者の多種多様な要望にもこたえなければならない。時には理不尽なことを言われることもあるだろうし、患者を励ましたり、また、逆に指導をしなければいけないこともあるだろう。同じ励ますにしても患者のプライバシーにも配慮しないといけないだろうし、患者の状況によっても使うべき言葉も変わってくる。また、それらをチームで行うためのチームワークも求められる。
日々、刻々と変わる多様な状況に対応しながら、こうしたことを間違いなくこなしていく看護師さんたちの仕事ぶりは見ていて驚異的ともいえるようなものだと思ったし、心の底から感嘆と尊敬の念を抱かされた。まさに、こういう仕事がプロフェッショナルなのだと思う。
今回、普通の生活をしていてはなかなか知ることの出来ない仕事人の世界を垣間見る機会を得られたことは、とても良かった。入院中、何かをしてもらうたびに感謝の言葉を伝えるようなことぐらいしかできなかったが、看護師という仕事の社会的評価はもっともっと高くていいと改めて思った。
様々な医療に関する専門的な技術や知識を持つことはもちろんのこと、それらをどのように行うかの判断力も求められる。心身の状態も様々な患者の多種多様な要望にもこたえなければならない。時には理不尽なことを言われることもあるだろうし、患者を励ましたり、また、逆に指導をしなければいけないこともあるだろう。同じ励ますにしても患者のプライバシーにも配慮しないといけないだろうし、患者の状況によっても使うべき言葉も変わってくる。また、それらをチームで行うためのチームワークも求められる。
日々、刻々と変わる多様な状況に対応しながら、こうしたことを間違いなくこなしていく看護師さんたちの仕事ぶりは見ていて驚異的ともいえるようなものだと思ったし、心の底から感嘆と尊敬の念を抱かされた。まさに、こういう仕事がプロフェッショナルなのだと思う。
今回、普通の生活をしていてはなかなか知ることの出来ない仕事人の世界を垣間見る機会を得られたことは、とても良かった。入院中、何かをしてもらうたびに感謝の言葉を伝えるようなことぐらいしかできなかったが、看護師という仕事の社会的評価はもっともっと高くていいと改めて思った。
今年もまた、3月11日がやってきた。2年という月日が長いのか短いのかわからないが、メディアでは盛んに「被災地のいま」や「遅々として進まぬ復興」が取り上げられている。
にもかかわらず、ぼくはこの「3.11」という日付が象徴させられている何ものかに違和感を拭えずにいる。その違和感が何なのか、少し考えてみた。
3月11日、より正確には3月11日14時46分、三陸沖で巨大地震が発生した瞬間だ。しかし2011年のその日、その瞬間自分は何を感じただろうか。大きな地震に驚き、あたふたしながらも、それがどのようなものかはまだ知らずにいた。それは恐らく被災地にいた方も同じであって、この揺れがその後に巨大津波を引き起こし、原発事故につながるとは考えもしなかったのではないだろうか。そう、今日多くの人が冥福を祈った方の大半は2011年3月11日14時46分にはまだ生存されていたに違いないのだ。
それでも、3月11日14時46分という瞬間はあの大災害を象徴するものになってしまっている。ぼくはそこにひとつ大きな違和感を覚えるのだ。なぜ、揺れが発生した瞬間が重要なのか。それが多くの人の命を奪うことになる津波を引き起こしたことは確かだけれども、それは単なる地震や津波という自然災害といえるのだろうか。多くの方の命を奪ったのは天災だけではなく、「自然をコントロールできる」というこの社会の驕りにもあったのではないだろうか。「3.11」という瞬間に追悼をすることへの違和感がそこにある。
このことは原子力災害を考えるとより明確になる。少なくとも福島第一原子力発電所の事故に関する限り、地震や津波に責を帰することはできない。あの原子力発電所は誰に断るでもなくこの社会があの場所につくったものであり、2011年3月11日よりずっと前からそこに存在していた。人間が勝手につくったものが引き起こした災害が自然災害と呼べるはずもない。「3.11」にそれを象徴的に負わせるのは筋違いではないだろうか。
そしてもう一つの違和感はいうまでもなく、この一日だけを記念日的に切り取ることの違和感だ。原子力発電所の事故に終息のめどがつかないことは指摘するまでもない。被災地では多くのひとがいまだに「復興」という言葉からは程遠い日常を過ごしておられる。現在進行形で進む日々の中で、一日だけを遠くから切り取ることは、やはりどこかおかしなものを感じてしまう。もし「3.11」が重要であるなら、残りの364日も同様に思いをはせるべきだろう。
ただ、そんな違和感にもかかわらず、こういう日は重要なのかもしれないとも思う。あれほど見掛けた「がんばろう」の文字を街なかで見つけるのに苦労するようになってしまった。結局のところ、被災地から離れたところでの生活の中で、あの大災害の実際を思い起こすことはなかなか出来なくなってきている。この「記念日」はそのきっかけとしては有効だろう。
結局のところ、そんな自戒を込めた結論しか導き出せないことが、何とも情けなく、不甲斐ない。
にもかかわらず、ぼくはこの「3.11」という日付が象徴させられている何ものかに違和感を拭えずにいる。その違和感が何なのか、少し考えてみた。
3月11日、より正確には3月11日14時46分、三陸沖で巨大地震が発生した瞬間だ。しかし2011年のその日、その瞬間自分は何を感じただろうか。大きな地震に驚き、あたふたしながらも、それがどのようなものかはまだ知らずにいた。それは恐らく被災地にいた方も同じであって、この揺れがその後に巨大津波を引き起こし、原発事故につながるとは考えもしなかったのではないだろうか。そう、今日多くの人が冥福を祈った方の大半は2011年3月11日14時46分にはまだ生存されていたに違いないのだ。
それでも、3月11日14時46分という瞬間はあの大災害を象徴するものになってしまっている。ぼくはそこにひとつ大きな違和感を覚えるのだ。なぜ、揺れが発生した瞬間が重要なのか。それが多くの人の命を奪うことになる津波を引き起こしたことは確かだけれども、それは単なる地震や津波という自然災害といえるのだろうか。多くの方の命を奪ったのは天災だけではなく、「自然をコントロールできる」というこの社会の驕りにもあったのではないだろうか。「3.11」という瞬間に追悼をすることへの違和感がそこにある。
このことは原子力災害を考えるとより明確になる。少なくとも福島第一原子力発電所の事故に関する限り、地震や津波に責を帰することはできない。あの原子力発電所は誰に断るでもなくこの社会があの場所につくったものであり、2011年3月11日よりずっと前からそこに存在していた。人間が勝手につくったものが引き起こした災害が自然災害と呼べるはずもない。「3.11」にそれを象徴的に負わせるのは筋違いではないだろうか。
そしてもう一つの違和感はいうまでもなく、この一日だけを記念日的に切り取ることの違和感だ。原子力発電所の事故に終息のめどがつかないことは指摘するまでもない。被災地では多くのひとがいまだに「復興」という言葉からは程遠い日常を過ごしておられる。現在進行形で進む日々の中で、一日だけを遠くから切り取ることは、やはりどこかおかしなものを感じてしまう。もし「3.11」が重要であるなら、残りの364日も同様に思いをはせるべきだろう。
ただ、そんな違和感にもかかわらず、こういう日は重要なのかもしれないとも思う。あれほど見掛けた「がんばろう」の文字を街なかで見つけるのに苦労するようになってしまった。結局のところ、被災地から離れたところでの生活の中で、あの大災害の実際を思い起こすことはなかなか出来なくなってきている。この「記念日」はそのきっかけとしては有効だろう。
結局のところ、そんな自戒を込めた結論しか導き出せないことが、何とも情けなく、不甲斐ない。
最近たびたびチェックしていた月刊『Rail Magazine』編集長、名取紀之さんのブログ「編集長敬白」。そこに「北ドイツのナローを巡る。(1)」という記事が載ったのが去年の10月だった。「洋上に浮かぶ小島Nordstrandischmoorへと北海を渡る600㎜の軌道」という説明とともに掲載された写真はとても印象的であった。
その「編集長敬白」の最新記事によると、この「島軌道」がテレビ番組になるという。
その番組はBSジャパンで毎週木曜夜10時半から放送されている「ドイツ鉄道の旅」。8月4日放映予定の「#5 海を渡る列車 ~世界遺産・北の小島から~」でこの「島軌道」が取り上げられるという。これは楽しみだ。
その「編集長敬白」の最新記事によると、この「島軌道」がテレビ番組になるという。
その番組はBSジャパンで毎週木曜夜10時半から放送されている「ドイツ鉄道の旅」。8月4日放映予定の「#5 海を渡る列車 ~世界遺産・北の小島から~」でこの「島軌道」が取り上げられるという。これは楽しみだ。