えびす顔の造花卸売問屋元社長からの手紙

かすかな希望を抱いて幸せを自慢する尊大な手紙。重複掲載御免。造花仏花の造花輸入卸売問屋ニューホンコン造花提供

1945年10月11日とパキスタン地震

2005年10月12日 02時28分06秒 | ドンキホーテ
 昨日、10月11日付毎日新聞夕刊連載「占領の秋 1945」。
 60年前のこの日、
 「ゲーテ研究家の東京高校ドイツ語教授が栄養失調で死去。教授は国の呼びかけを守り闇市には手を出さず、配給と家庭菜園で妻子7人を養ってきた。しかし自分のまで子に回し、ついに倒れた」
 と。

 同じ類の話が。法を守るある検事も、同様に亡くなった。

 こんな話を聞く度に、「人の幸せとは人間の価値とはなんぞや」と考え込んでしまう。
 ドイツ語教授や検事の家族はそれで幸せだったのだろうか。
 生きるために闇米に手を出した人は教授や検事に比べ人としての価値が劣っていたのだろうか。

 私の答えは「否」である。

 よく頑張ったとか、正義に生きたとか、人のために尽くしたとかは、人の価値や幸福になんら関係がない。

 私がよく頑張った時に私や家族が幸せだったかと言えば、そんなことはない。
 その時の方が今の私より人としての価値が高いかと言えば、そんなことはない。

 卑近な例で示す。
 「甲子園で阪神タイガースを応援する私と、少しでも社会に役立つためにと仕事に励む私。どちらの私が価値が高いのだろうか。どちらの私が幸せなのだろうか」
 推し量る術など私は持ち合わせていない。

 人が人の価値を定めることなんか決して出来ない。
 人の価値や幸せは「よく頑張ったとか、正義に生きたとか、人のために尽くした」とかとは全く関係がない。
 それを知りうる手立てはもっと奥深い所にある。若しくは無いかもしれない。
 
 パキスタン大地震で数万人の方がお亡くなりになりました。
 「一瞬にしてお亡くなりになられた方々の人としての価値や幸せ」と「私のそれ」をさえ比べ考えます。
 被災者の方へ暖かい生野の我が家から、「我が腹を少しも痛ませず」であるけれど行動を起こそう。

 毎日新聞社会事業団がパキスタン大地震の救援金を受け付けています。

〒530―8251
大阪市北区梅田3の4の5、
毎日新聞希望のネットワーク「パキスタン大地震救援金係」。

郵便振替は00930・8・185415。
 
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