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「主権回復の日」は沖縄にとって「屈辱の日」

2013年04月29日 14時46分18秒 | ドンキホーテ
 東北のみなさん こんにちは

 沖縄県民が屈辱の日とする昨日4月28日、政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が開かれました。沖縄では県を始とする多くの地方義会が式典に反対する決議を可決し、当日は式典反対の大きな市民集会が開かれました。式典に招待されていた沖縄県知事も欠席しました。

 61年前のこの日、サンフランシスコ講和条約が発効し、敗戦後アメリカの占領下にあった日本は主権を回復しました。しかし沖縄などの地域は引き続きアメリカの施政下に置かれ、沖縄県民にとっては「日本から切り捨てられた屈辱の日」として記憶されています。そしてそれが、米軍基地の島として県民が大きな苦渋を強いられている今に続いています。安倍首相でさえ式典挨拶の中で「沖縄が経てきた辛苦に深く思いを寄せる努力をすべきだ」と述べました。

 4月28日はこの沖縄の方々の痛みを分かち合う日であるべきです。以下は全会一致で可決された沖縄県議会の抗議決議です。
 冒頭記事と写真は毎日新聞のウエッブページから。

 4・28「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」に対する抗議決議
 3月7日の衆議院予算委員会において、安倍晋三首相はサンフランシスコ講和条約が発効した4月28日を「主権回復の日」と位置づけ、政府主催の式典を開催する考えを表明し、3月12日の閣議で決定した。
 日本は1951年9月8日にアメリカ合衆国を初めとする連合国諸国との間でサンフランシスコ講和条約に調印し、翌年4月28日に発効した同条約第3条によって北緯29度以南の奄美・沖縄・小笠原は日本から分離され、米国の施政権下に置かれた。
 安倍首相は国会でサンフランシスコ講和条約の発効で我が国の主権は完全に回復したと述べているが、その日をもって日本から切り離された沖縄はその主権下になかった。
 ゆえに4月28日は、沖縄の人々にとって「屈辱の日」にほかならないのである。
 沖縄は、去る大戦で本土防衛の捨て石とされ、二十数万人余のとうとい命が奪われた。
 戦後も新たな米軍基地建設のため、銃剣とブルドーザーによる強制接収で米軍基地は拡大され、1972年の本土復帰後も米軍基地は存在し続けている。県民は今日なお、米軍基地から派生する騒音問題や米軍人・軍属等による事件・事故等により、日常的に苦しめられ、さらには県民総意の反対を押し切る形でオスプレイ配備、辺野古基地建設に向けた手続が進められている。
 政府がまず行うべきことは、沖縄における米軍基地の差別的な過重負担を改めて国民に知らしめ、その負担を解消することではないか。
 沖縄が切り捨てられた「屈辱の日」に、「主権回復の日」としての政府式典を開催することは、沖縄県民の心を踏みにじり、2度目の沖縄切り捨てを行うものであり、到底許されるものではない。
 よって、本県議会は、今回の政府の式典開催に反対し、強く抗議する。
 上記のとおり決議する。
  平成25年3月29日


沖縄県議会

(あて先)

内閣総理大臣
内閣官房長官
コメント (7)
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