みなさん こんにちは
父は15年ほど前に脳梗塞を発症してからずっと大阪警察病院に通っていました。昨年11月12日の内科検診で少しおかしいと言われ、同24日にCTを受けました。その結果を妻が翌日に聴きに行くと、大腸と肝臓に腫瘍が見られる、循環器内科を受診してくれ。で、12月3日に父、妻、私で循環器内科を受診しました。やはり大腸がんが肝臓にも転移していてステージ4だと。91歳の年齢を考えて、手術や放射線、抗がん剤の治療をするかどうか家族で考えてくれと。すぐに姉妹にも連絡し、数日後に父、姉妹、妻、私で相談。父の意見も含め治療はしないことにしました。12月10日に父、姉妹、妻らで再度受診、そのことを医師に伝えました。父の妹3人にもステージ4のがんで余命も短いと伝えました。
CTを受ける前の11月23日には、娘家族らと一緒に堺の方にみかん狩りも行きました。車いすながら、みかん山にも入り、その後、孫が芋堀する様子も元気に見ていました。帰りにはファミリーレストランでハンバーグも少し食べました。お正月のお祝いもちゃんと座敷に座って皆と頂きました。少しですが、お祝いのお酒も飲んで、赤飯にほんとに細かく切った雑煮のおもちも。
元旦には、欲しかったカステラがなかったので、妻がバナナならあるというと、それを使ってバナナジュースを作れと、わがままも言っていたほどです。
正月半ばに、近くのかかりつけの医院で再びCTを撮ってもらい血液検査をして、あと半年は大丈夫だろうと言われていました。尼崎と京都の叔母がそれぞれ2度ほど見舞いに来てくれた時は、若いころの自慢話に花を咲かせていました。
ところが、2月に入ると急に体力がなくなりました。それまでは栄養を得ようと自ら編み出し妻に作らせていた「牛肉、サツマイモ、玉ねぎ、にんじん、ご飯」等々を入れた特製おじやを毎日食べていたのをたべなくなり、一日に茶おかい軽く一膳と、コップ半分ほどのジュースに減りました。大腸がんのせいなのか、極端に食欲が落ちました。2月10日過ぎにはほぼ歩けなくなり寝たきりに。それから、私、妻、姉妹で当番で毎晩夜に看護につきました。それでもこんなに早くに亡くなるとは思ってもみませんでした。当日も午前中は意識もはっきりしていて、ヘルパーさんに体を拭いてもらったり。前夜、腰が痛いというので、訪問医療の先生に尋ねて置き薬の痛み止めを飲ませるとその痛みもなくなり、穏やかにベッドで過ごしていました。そのヘルパーさんとお昼にたまたまスーパーでお会いしたら、「これから長丁場になりますが、頑張ってやっていきましょう」と励まされました。
こんなに早く亡くなるのがわかっていたら、もう少し大事にしてやったらよかったとも思ってしまいます。ただ、このまま寝たきりで本人もつらかろうと思うと、希望していた自宅で子供や孫ひ孫、妹に看取られながら、痛みもなくすうーっと意識を失っていくように亡くなったのは、良かった。
これから先は宣伝です。
造花のことなら、大阪で100年の歴史を誇る造花輸入問屋の(有)ニューホンコン造花へ。卸専門です。装飾造花、ギフト造花から菊、百合、樒(シキビ、しきみ)、榊(サカキ)など仏花、神様用造花まで扱っています。
(有)ニューホンコン造花・営業本部 〒581-0845 八尾市上之島町北5-32-2
TEL 072-923-5587 FAX 072-996-4187
ホームページ http://nhkf.jp E-mail info@nhkf.jp
父は15年ほど前に脳梗塞を発症してからずっと大阪警察病院に通っていました。昨年11月12日の内科検診で少しおかしいと言われ、同24日にCTを受けました。その結果を妻が翌日に聴きに行くと、大腸と肝臓に腫瘍が見られる、循環器内科を受診してくれ。で、12月3日に父、妻、私で循環器内科を受診しました。やはり大腸がんが肝臓にも転移していてステージ4だと。91歳の年齢を考えて、手術や放射線、抗がん剤の治療をするかどうか家族で考えてくれと。すぐに姉妹にも連絡し、数日後に父、姉妹、妻、私で相談。父の意見も含め治療はしないことにしました。12月10日に父、姉妹、妻らで再度受診、そのことを医師に伝えました。父の妹3人にもステージ4のがんで余命も短いと伝えました。
CTを受ける前の11月23日には、娘家族らと一緒に堺の方にみかん狩りも行きました。車いすながら、みかん山にも入り、その後、孫が芋堀する様子も元気に見ていました。帰りにはファミリーレストランでハンバーグも少し食べました。お正月のお祝いもちゃんと座敷に座って皆と頂きました。少しですが、お祝いのお酒も飲んで、赤飯にほんとに細かく切った雑煮のおもちも。
元旦には、欲しかったカステラがなかったので、妻がバナナならあるというと、それを使ってバナナジュースを作れと、わがままも言っていたほどです。
正月半ばに、近くのかかりつけの医院で再びCTを撮ってもらい血液検査をして、あと半年は大丈夫だろうと言われていました。尼崎と京都の叔母がそれぞれ2度ほど見舞いに来てくれた時は、若いころの自慢話に花を咲かせていました。
ところが、2月に入ると急に体力がなくなりました。それまでは栄養を得ようと自ら編み出し妻に作らせていた「牛肉、サツマイモ、玉ねぎ、にんじん、ご飯」等々を入れた特製おじやを毎日食べていたのをたべなくなり、一日に茶おかい軽く一膳と、コップ半分ほどのジュースに減りました。大腸がんのせいなのか、極端に食欲が落ちました。2月10日過ぎにはほぼ歩けなくなり寝たきりに。それから、私、妻、姉妹で当番で毎晩夜に看護につきました。それでもこんなに早くに亡くなるとは思ってもみませんでした。当日も午前中は意識もはっきりしていて、ヘルパーさんに体を拭いてもらったり。前夜、腰が痛いというので、訪問医療の先生に尋ねて置き薬の痛み止めを飲ませるとその痛みもなくなり、穏やかにベッドで過ごしていました。そのヘルパーさんとお昼にたまたまスーパーでお会いしたら、「これから長丁場になりますが、頑張ってやっていきましょう」と励まされました。
こんなに早く亡くなるのがわかっていたら、もう少し大事にしてやったらよかったとも思ってしまいます。ただ、このまま寝たきりで本人もつらかろうと思うと、希望していた自宅で子供や孫ひ孫、妹に看取られながら、痛みもなくすうーっと意識を失っていくように亡くなったのは、良かった。
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