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えびす顔の造花卸売問屋元社長からの手紙

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松山五郎氏逝去「核兵器が廃絶されないなら死んでも死にきれない」

2021年07月23日 14時46分18秒 | ドンキホーテ
 みなさん こんにちは

 広島で被爆、その後核兵器廃絶運動に長年携わってこられた松山五郎さんが、2月16日にご逝去されました。娘さんからいただいたご逝去のお知らせにお歳は書いてありませんでしたが、被爆当時16歳だったとあり享年92歳でいらっしゃったんではないでしょうか。

 松山さんとは約20年前に緑の地球ネットワークが北海道でアイヌの方々と一緒に植林活動を始めた際に北海道で知り合いました。私は仕事で忙しくその運動「チコロナイ」に会員として参加するだけになってしまいましたが、松山さんはその活動の地・二風谷に毎年足を運んでいらっしゃって、その様子を伝えてくださっていました。十数年前に大阪商工会議所東支部異業種交流会フォーラム・アイで平和を考える勉強会を始めた際には、大阪生野までお越しいただき広島での被爆体験を語ってもらいました。松山さんのご講演の良さもあって、平和を考える勉強会はその後9年続きました。その勉強会や南京大虐殺を歴史にとどめる活動のご案内を差し上げると、時間が許す限りお越しいただきました。平和や人権についての造詣も深く、私がいろんな問題をどう考えるべきかと悩んだ際の相談にも乗ってもらっていました。米国・オバマ大統領が広島を訪問したことに賛否がある中、尋ねると松山さんは意義があったと評価されていました。

 寝屋川市の被爆者らで作る会「寝屋川市広長友の会」でも積極的に活躍され、アメリカ・ニューヨークの国連にも何度も足を運ばれています。寝屋川に住む被爆者78人の被爆体験を集めた「ヒロシマ・ナガサキ 八月のあの日」の編集の中心的な役割を果たされました。自身も含め被爆者が高齢化、亡くなっていく中、「核廃絶」のための被爆者の証言を次代に残そうとの強い思いからです。「核兵器が廃絶されないなら、死んでも死にきれない」と仰っていました。その思いを次代の私たちは頭と体に刻まないといけない。その思いを必ず継いでいかないといけない。それは私たちに課せられた使命です。

 気功の先生でもあった松山さんがさらにお師匠さんから教えてもらったという言葉はずっと、私の頭の中にあります。
 「自分が100%正しいと思っていても、一歩下がって相手に譲れ。相手に譲ってわだかまりを解け。」
 そんな生き方を貫かれてきた方です。この考えこそが平和の要なのかもしれません。
 謹んでお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈りします。

 写真の横断幕を持つ水色シャツ姿が松山さん。その証言集「八月のあの日」の裏表紙から転載。
 なお、その「八月のあの日」は二部ほどお譲りできます。読んでみたいと思われる方は、ぜひ司元までご連絡をください。そして次代に引き継いでいってください。

 これから先は宣伝です。
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