えびす顔の造花卸売問屋元社長からの手紙

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東野圭吾「あの頃ぼくらはアホでした」の母校東生中

2022年07月15日 14時46分18秒 | 本・セミナー
 みなさん こんにちは
 
 超人気小説家の東野圭吾さんが、小中高大学生時代の思い出を綴ったエッセイ「あの頃ぼくらはアホでした」を読みました。ご存じの方も多いと思いますが、東野さんは大阪市立小路小学校、同東生野中学のご出身です。小学校は違いますが、中学は私と同じで、東野さんが3年先輩です。ちょうど東野さんが卒業された年に私が入学した格好です。

 エッセイの中で東生野中学はH中学として登場。「ワルの巣窟、悪名とどろくオソロシイ学校で学級委員をやっていた”命がけ”の中学時代」と表現しています。私の中三の時に担任だった体育の多々見先生もT先生として登場します。

 ワルの巣窟のH中学で衝撃的な事件が起きます。クラス対抗球技大会のバスケットボール、ワル達はここぞとばかりに暴れだします。コートでするのはバスケットボールでなく喧嘩です。挙句に一人が隠し持ったドライバーで相手チームの選手の太ももを突き刺します。みるみる白いトレパンに血が滲みます。もちろん試合はこれで終了。けがをした生徒は病院へ。
 この試合の審判をしていたのが新今里一北町会長のAさんです。Aさんは私と同じく地元育ちで私より3つ上。つまり東野さんと東生野中学で同級生でした。背が高くバスケットボール部員。当時の様子を尋ねると、「試合前から荒れるのはわかっていて、コートのあちこちで小競り合いがあった。すべて流した。ドライバーの件は覚えていない」と。いくらバスケットボール部員で審判をしていたとしても、ワルたちが同級生のAさんの言うことを聞く訳がありません。ここは流すしかなかったんでしょう。Aさんもこの本を読んでいて、「エッセイは少しもって書いている。学校が無茶苦茶荒れているというほどではなかった。やんちゃな生徒はたくさんいたけれど」と。

 3年後輩の私の時代にもこの雰囲気は少し残っていました。この私でさえ、お昼に学校を抜け出しお好み焼きを食べに行って、そのまま授業をさぼって家に帰ったりしました。それでもAさんが言うようにやんちゃな子が多かったという具合です。素晴らしい先生も多く、ワルも真面目も何となく仲良くやっていました。それにしても3年下の私たちの時代には球技大会はありませんでした。これを機に無くなったんでしょうね。

 東野さんは1958年生まれです。私より二つ先輩。ただエッセイを読んでいるとどうも三つ上のよう。ネットで調べてみると2月の早生まれで、学年は三つ上だと判明。納得できました。
  
 これは、小説家の東野さんが書いたエッセイです。Aさんが言うように少しもったフィクションも加わっているでしょう。さらには50年も前の話。今の東生野中学とは全く違います。我が母校への誤解がありませんように。

 ちなみに、東生野中学からは男子バレーボールのオリンピック金メダリスト、関西大学理事長、上場企業の社長、大阪市区長、名古屋大教授、ドイツ文学者、日本アイ・ビー・エム社員、えびす顔の造花卸売問屋元社長などそうそうたるメンバーを輩出しています。 このメンバーの後ろ三人は新今里一北町会の面々です。選考に偏りがあってすみません。 

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