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沖縄県民11万人の抗議

2007年09月30日 23時04分46秒 | ドンキホーテ
 今日9月30日付けの毎日新聞によると、沖縄戦での住民集団自決を巡り、旧日本軍の命令、強制、誘導などの表現が削除された教科書検定を批判する沖縄県民大会が宜野湾市で開かれ、約11万人が参加した。
 95年の米兵による少女暴行事件に抗議する大会(約8万5千人)を大幅に上回った。

 私は私たち同時代の人に与えれれた使命を「歴史の批判に耐えられる行動を行う」ことだと考えています。
 それは過去の人達の「希望」を汲み取り、実現することです。つまりは、何代も前の先人達が司元の判断や行動を見た時に、「司元は良い判断、行動を行った」と
言うような行いをするのが私たち、今を生きる者に与えられた使命だと思っています。

 沖縄の方々の抗議の集会を前にして、私はその使命をもう一つ付け加えようと思いました。
 それは、過去の人達の希望を実現するよう今努めるのと同時に、過去から現在に連なる歴史を未来へと引き継ぐことです。

 沖縄県民の方々の今回の抗議集会はまさしく、過去の人達の希望「もう二度とあんな悲惨を繰り返して欲しくない」を実現し、そしてそれを未来へ引き継ぐことになります。

 渡嘉敷島の集団自決生存者・吉川嘉勝さん(68)の証言(毎日新聞からの要約)。
 米軍が1945年3月27日に上陸。島の駐在巡査を通じて「北山に集まれ」と伝えられた。村民数百人が身を寄せ合っていた。「天皇陛下万歳」の声とともに手榴弾が炸裂し始めた。
 役場職員だった兄は「役場で渡された」手榴弾を持っていたが、叩きつけても爆発しない。母が叫んだ。「その手榴弾は捨てなさい。生きられる間は生きよう」。無我夢中でその場を離れた。
 吉川さんは言う「手榴弾は紛れもなく日本軍から渡された。(検定)がこのままだと、あの時代がまた来るかもしれない」

 私は吉川さんが嘘を言っているとは思えません。毎日新聞が事実を捻じ曲げて記事にしているとも思えません。
 この歴史を次代に引き継ぐのも、同時代に生きる私たちの大切な役目だと思います。
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