『シオンの議定書』第十一議定書注釈
【第十一議定書注釈開始】ここからは、第十一議定書(下記転載文書)の注釈に入る。
いよいよ、ここからは彼ら(シオニストユダヤ人)の真骨
頂、世界統一政府樹立に関するアジェンダ(計画)について語っていく。この事は今、多くの兆候が顕れているので、その警告が多く発せられるようになった。
反グローバリズム運動だとか、反シオニスト運動、あるいは反One World
Orderとかそのものズバリのモノもある。ならば、この第十一議定書を深く読み解くことである。すでに100年以上も前に、高らかに謳っているその決意
には、並々ならぬモノがすでにある。そして、それは峻厳であり、生やさしいモノでないことが読み取れる。
注意すべきは、彼らは決して改悛することがないと云っている。その素振りすら見せることは、計画そのものの破綻だとすら述べている。あたかも強盗に踏み入らせたとき、『命ばかりはお助けを!』と云っても、聞き入れることはあり得ない。
断じて、One World
Orderに踏み入れさせるわけにはいかない。これが肝要である。すでにアメリカでは、数多くの強制収容所が秘密裏に建設せられ、
ギロチン(なんで?)が
数千万台発注され、備蓄されている。彼らの云う、峻厳な処置というのは、処刑であり、それもギロチンなのだ。【注釈終了】
【転載開始】『シオンの議定書』第十一議定書
国家評議会(国政会議)は、いわば、支配者の権威につけた光背であり、立法府の〝見世物〟の役割として、支配者が出す法令案を編集する委員会と言ってもよいであろう。
時に、われわれが用意している新憲法の要項は次の如きものである。われわれは、法、権利、正義を確立する。
(一)立法府に示唆するかの如く、
(二)一般法令と見せかけた大統領令、上院の命令、ならびに内閣の命令であるかの如く装おった国家評議会の決議により、ならびに
(三)適切な時到らば・・革命という形で。
われわれの行動計画の大綱は確立したから、国家機関をすでに述べた方針に従わせ、革命の完遂を促すべきあれこれの組合せの細目に入ろう。これら
の組合せとは、新憲法発布の翌日からは、新聞報道の自由、結社の権利、信教の自由、その他あまたの事柄は、人間の記憶からは永久に抹消されなければならな
いか、急激な変更が加えられなければならないということを意味する。われわれが即刻全命令を公布できるのは、まさにその瞬間のみである。それ以後では、顕
著な改革案はことごとく危険である。
その理由は次の通り。もしもその改革が峻厳さを増したものであり、幾分でも厳格かつ極限まで行ったのもならば、この先どこまで厳しい改革がなさ
れるのかという恐怖で絶望感に囚われてしまうかも知れない。その逆に、最初よりも緩和した改革案を出すと、われわれが悪いことをしたのに気付いたかのよう
に取られるし、そうなると、われわれの権威不可謬性の威信が失墜するか、われわれが恐れを抱いて譲歩措置をとらざるをえなかったと言われるだろう。強制的
という印象はぬぐえないから、そのためにわれわれが感謝されることはない……以上二つとも新憲法の威信を傷つける。われわれが人民に叩き込まなければなら
ないのは次のことである。憲法発布のその瞬間、世界の人民は革命が成し遂げた厳然たる事実に呆然とし、まだ恐怖心と半信半疑の気持に捕われている時から、
われわれがすこぶる強力、難攻不落、かつ、十二分過ぎるくらい力に溢れていて、いかなる場合であっても、彼らに一顧も与えず、彼らの意見や意志には一瞥も
加えず、いかなるささやかな反抗の表明も示威も、時と所を問わず、一つ残らず粉砕する用意があり可能であり、われわれは取るべきものはすべて取り、いかな
る事情にせよ、われわれは彼らと権力を分け合うことはありえない……そうすれば、彼らは恐怖に身震いして何事にも目を閉じ、事の成行きを最後まで見守るほ
かはないであろう。
ゴイムは羊の群であり、われわれは狼である。狼が羊の群に入ったらどういうことが起こるか、御存知であろう。
われわれの羊が目を閉じるのは、別の理由もある。われわれが平和の敵を打ち破り、あらゆる反対党派を黙らせたならば直ちにあらゆる自由を返して
やると約束するからである……彼らの手に自由が戻るまでどのくらいの時間を待ち続けなければならないか、お話しする必要はあるまいと思う。
では、何が故にわれわれはこのような政策そのものを立案し、事の真相を看破する時を与えずゴイの心に吹きつけるのか? 実際のところ、回り道を
しなかったとしたら、四散したわれらの種族が直接目的を達成する方法には何があったのか? 基本的には、われわれが作った秘密のメーソン、かの家畜ゴイが
存在を知らず、知ってもその目的を考えてもみなかったメーソンを作ったことが役立った。ゴイ御一同様の目を晦ませるべく、われわれがメーソン・ロッジ[結
社の集会所・支部のことだが〝小屋〟の意味もある]の〝見世物〟一座に彼らを惹きつけておいたのである。
神は与え給うた。われら神の選民に、離散という贈り物をして下さった。それは万人の目からはわれらの弱さと映るが、われらの強さは離散より生れ来たったのである。それが今や全世界支配という戸口に到達している。
今やわれわれが据えた基礎の上に築くべきことは、余すこと僅かとなっている。【転載終了】