オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

敵対関係

2006年11月25日 | Weblog

フセイン大統領が捕獲された時を今思い出している。

 私が当時得た感じとしては、ほぼ指導力も権限も失っていたようである。偶像としてのフセイン体制は辛うじて残存していたが、現実の個人としてのフセイン体制は完全に崩壊していたようであるが、未だに残存勢力が最後の抵抗を試みている。イラク全土から見れば針先の一点のような所からよくもまあ見つけ出したものである。フセイン大統領も9ヶ月間の逃亡生活で疲れ切っていたようである。ただ単なる逃亡生活ではなく生命の危険を常に身近に感じながらである。私であったら耐えられないであろうが、健康状態も精神状態も正常だったそうで、さすが一国の独裁的な大統領であったしたたかな人物である。

米国はイラクのフセイン体制を徹底的に破壊した。

 私から見れば、あまりにも性急であった気がする。通常であれば信ずる国民がいて組織や国家があってこれを維持しているのであれば、組織や国家の体制が悪かろうと、結果的な行いが好ましくなかろうと、周囲に迷惑をかけていようと、最低限その存在は認めてやらなければならないと思う。悪いところは地道に時間をかけて変えて行くしか方法はない。その解決策として徹底的に破壊するしかないというのは力に任せた米国の一方的な押しつけであろう。徹底的に破壊したとしてもその復興には50から100年単位の期間を要し、復興した新国家が米国に好ましい姿になるのかは定かではない。

情勢は徐々にしか変わらないのを認識すべきである。

 イラクがこのようになった原因と責任の一端は米国にもある。反対に米国があまりにも干渉しすぎて情勢を悪化させ複雑化させている感がある。基本的には国内事情として監視しつつ放任していればいいことである。そこに犯罪行為や人道的に許されないこと、違法行為、危険行為、迷惑行為が生じた場合はその事実をもって改善を迫ればいいのではなかろうか。徹底的に破壊して50年~100年の歳月を費やして最初から作り直すのと、少しずつ気長にしかも継続的に未来永劫にわたって改善を図って行くのとどちらが得策であろうか。米国の取った性急な乱暴な対策が問題を更に複雑化している気がするし、このような解決法で問題が単純に即時に解決するとは思えない。

悪いものを抹殺する勧善懲悪は見た目にはかっこいいが、

 現実には良いものも悪い要素を含んでいるし、悪いものにも良い要素が含まれている。良い悪いは見る側の主観によっている。勧善懲悪を徹底すれば、良い側にいるつもりの人であってもいつ悪人として責められるか判らない怖さを持っている。悪い要素は改善すれば済むことであり、全てを抹殺する必要はない。悪い要素がほとんどを占めるものであっても地道に時間をかけて改善するしか方法はないと思う。悪いものを良いものに改善して行くことに意義があるのであって、悪いものを抹殺することに意義は認められない。悪いものを改善できることこそが良いものの価値を高めることでもある。抹殺するしか方法が見つからないことは自分の信じている良いものが完全でないことの証でもある。

米国は9.11テロに感情的になりすぎたようである。

 時間の経過とともに冷静さを取り戻し、現在では改めて考え直す風潮が芽生えている。その影響はブッシュ大統領の人気低迷に現れていると思う。世界警察として勧善懲悪のヒーローを演じるのはいいが、気がついてみると自分自身が悪の権化となって世界から非難される立場になっているのは皮肉である。権力を悪用する相手に権力で対抗し、その権力の行使に疑問がもたれ、戦争の大義名分も作り上げられたもので、次々に疑惑のベールが剥がされつつある。また、戦後の復興についても出口の見えない混迷が続いている。

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