ストーブに耐震消火装置がついている。
地震があった時に自動で消火する便利なものであるが、人間というものは頭がいいもので、この仕組みを使って地震でもないのにストーブを消火する方法を学習して利用している人がいるという。足でストーブを蹴っ飛ばして消火するのである。耐震消火装置が100%安全なものであればいいが、本来は地震があった時に強制的に消火する目的で作られたものであり、日常的に使用するものではない。ただし、機能的には100%完全に消火する性能を満足しているはずである。そうでなければイザという地震の時に役に立たない。かといって、人間が蹴飛ばしたのと災害の地震が発生したのを見分ける機能は保持していないし、こんな機能をつけたのでは複雑になりすぎて効率が悪くなる。
それでは、足でストーブを蹴飛ばして消火する人を容認するのか。
いっそのこと、この方法で消火しても問題ない製品をつくればいい。しかし、この機能をつけると、誤動作として消火する可能性が増大する。ストーブにぶつかっただけで作動してしまう。結局は、どのくらいの状況で耐震消火装置を働かせるのか、もしくは働かせる必要があるのかに尽きるようだ。ストーブがひっくり返るほどであれば100%強制消火しないと問題だ。まさか、どんなにずぼらな人間でもストーブをひっくり返すほどの動作をしてストーブを消火しようとは思わないだろう。耐震消火装置が過敏に反応する事を悪用した人間の知恵の勝利ではあるが、本来の目的を達成できるように、操作する人間も含めて考える必要があると思うし、操作する人間側も本来の使用法を守る心がけが必要であろう。何でもかんでも裏技を使って悪用する習慣がついたらいつかは事故を起こす事は明白である。
自動車に自動操縦システムを取り入れようとしている。
たとえば、障害物を発見して自動的に緊急停止する機能を実現するのは可能である。この機能を手にした人間はブレーキを敢えて踏むことなく障害物に向かってぶつかっていくことに挑戦する。そして、この機能が信頼できるものであれば常にこの機能を使って自動車を運転することとなる。この機能が完全に完璧であれば足踏み式のブレーキは不要になる。話としては夢物語であるが、果たしてこの機能を全幅の信頼をもって実用化できるのだろうか、そして最終的にブレーキペダルをなくしてしまうことができるのだろうか。私は違うと思う。あくまでも緊急の時の自動停止であり、人間の運転操作の補助に過ぎないし、完全自動化することは実験室ではあり得ても、自然環境の中ではあり得ない。自動操縦が完璧で完全であることはあり得ないし、自然環境の中でのあらゆる条件に対応できるシステムは不可能に近い。あくまでも、自動車を運転するのは人間である。
ゲーム機には裏技がつきものである。
裏技を使わないとクリアできないようなゲームもあって、たくさんの裏技本が書店で売られている。私的には、そんなのが必要なんだろうかと思ってしまう。正当な方法を使ってクリアできないようなゲームは最初からおかしいと思うし、裏技を使ってクリアしても意味がないし、裏技を知っているかどうかがゲームを克服する決め手であるのはどう考えても納得がいかない(そんなゲームは私はしないが・・・)。近所に幼稚園児がいて、うちに遊びに来てニンテンドーのWiiで遊んでいるが、ジョギングのトレーニングソフトで、通常はリモコンをポケットに入れてその場駆け足をするのであるが、この子はリモコンの紐を持ってグルグルと振り回すのである。これでも画面上ではちゃんとジョギングをするのがおかしくて不思議である。偶然やってみたら出来たので面白がってやっているようだが、当然の如く本来の目的である体を使った運動にはならない。
何でもかんでもオートマチックの時代だが、
どこまで自動化できるのだろう。少なくとも「完全な自動化」は最終目的ではなさそうである。一部は完全自動化でも手動の部分を残すべきであり、自動と手動を切り替える機能は絶対に必要だと思う。そして、操作する人は完全自動機能がなくても手動で完全に操作できる能力が必要である。完全自動機能にまかせっきりで操作されたのでは危なくてしょうがない。どんなに技術が発展して完璧な完全自動機能が可能になってでもである。その理由は、完全自動機能が万一故障した時にどうするかを考えれば理解できると思う。その時は人間が手動で機能を回復しなければならない。この能力を人間が保有していなければ、お手上げになって全ての機能を放棄せざるを得なくなる。このごろ、あちこちでこんな状況を目にする。何でもかんでも機械任せコンピュータ任せで、いざトラブルが起こると、取り返しのつかない状況に陥ってしまう。
あくまでも自動機能を使っているのは人間で、最終的には人間が制御できる必要がある。
自動機能が可能なのは、同じことの繰り返しであり、この単純動作の繰り返しが複雑に組み合わさって大量に蓄積されて動作しているに過ぎない。ところが、人間の能力は単純動作の繰り返しだけではなく、常に進化している。反対に能力の向上は単純動作の繰り返しでは実現できない。人間の作り上げた自動機能はそのままでは能力が向上することはない。人間の知恵を注入して自動機能の能力向上を図ってやらなければならない。その時に、自動機能の全てを掌握していなければ、全体の能力向上を図ることはできない。ところが、技術が分化して、さらにシステムが各種のサブシステムに分割されて、開発も分業化され、さらにシステムが巨大化すると、全体の見通しが悪くなる。最低限、全体システムを理解できている人が一人でもいなければならないだろうが、これが困難になりつつある。何とかしなければならないと思う。
何でもかんでも自動化してしまうのも考えものである。
どの部分をどこまで自動化するのか明確にすべきであり、最新技術の信頼性を詳細に分析する必要がある。可能だからやってみるという開発段階の部分と、完全に問題ないもしくは問題が発生しても解決できるという実用段階の部分を見極めるのが重要だろう。問題を含んだままでシステムが肥大化してゆくと最終的には取り返しのつかない状況に陥ってしまう。また、現時点では問題のないシステムでも実用段階で実際に運用されると様々な問題が発生する事となる。その問題に対して人間社会に影響を与えない安心できるシステムを追求しなければならないし、最終的に自動化が故障しても円滑に手動に移行できるシステムであるべきであり、その時に人間が手動で最低限回復できるシステムであるべきである。これができないシステムは完全自動化すべきではないと思う。
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