テレビの報道番組を見ていると、
各新聞社の記事等を並べて、その内容を紹介して様々な出演者がいろいろなコメントを述べる形式が増えている。何時頃からこの形式が流行り始めたのだろう。考えてみると、他社の報道内容を紹介して自社の番組を構成することは、あまりに安易で無責任な気がしてならない。自社独自の責任を持った報道姿勢はどこに行ってしまったんだろう。他社の報道内容を紹介するにしても、果たして自社で報道内容の裏取りはしているのだろうか?「〇〇新聞が発表した」「△△新聞によると…」「各社が同様の記事を掲載している」だけで終わらせるのであれば、ただの情報提供番組であり、自社による独自の報道とはとても思えない。
こんな番組の出演者にも疑問が多い。
その道の専門家であればまだいいが、あまり関係のなさそうないわゆる「タレント」の方々が個人の見解を公共の電波を使って放送してもらっている。タレントの方々は出演料をいただいてのことであろうが、視聴している方としては、そんな専門家でもない一般人の見解を聞かされているのである。一般人の代表として一人くらいの出演は許せても、ほとんどが専門外の人達で構成されていたのでは首をかしげてしまう。私の場合、いわゆる「評論家」と言われる人も専門家の部類に入れることに抵抗がある。少なくともコメントした内容に責任のとれる資格と能力と見識を持った人でなければ情報量はゼロに等しい。情報量ゼロでも報道する自由はあるだろうが、本当に必要な情報はどこへ行ってしまったんだろう。
報道内容には裏取りが必要である。
各社の新聞記事を紹介するにしても、その内容が正しいのか判断できる証拠は自社で収集しているのだろうか?ただ単に「新聞で報道された」「テレビで放映された」「ネットで紹介された」「海外メディアで取り上げられた」だけで報道されたのでは視聴する側はたまらない。また、一流のマスコミがこんな報道をすれば、無責任に報道された疑問符付きの内容に新たに信ぴょう性を付加してしまうことになる。報道内容に各社が厳格に裏取りをすることによってフィルターがかかり、ヘンテコな報道内容が無節操に流布することが阻止できる。これは、報道人として最低限の心構えではないだろうか?
まさか自社のニュース番組で他社の記事を転用するようなことはないだろう。
ニュース番組は自社の報道姿勢を示す独自の報道内容であるはずである。少なくとも、自社のニュース番組については厳格な裏取りをしているのだろう。その裏取りの証拠となるのは「記者会見」「政府発表」「海外記事」「当事者の発表記事」等であろうが、本来であれば、これらを基に自社独自の取材をして自社独自の記事を作り上げる努力をすべきであり、その部分こそが本当の報道人の使命なんだろうが、各社の報道内容を見ていると、みんな横並びの同じような記事のオンパレードである。「記者クラブ」などという独特の仕組みのせいもあるかもしれないが、自社の独自の取材活動の手抜きとその取材内容に責任をもつ姿勢の欠如によって、独自性、独創性を出すことに拒否反応があるのではないかと思えてくる。
情報源のわからない情報の信頼性は「ゼロ」に近い。
少なくとも情報源は明らかにする必要があるし、たとえ情報源が明らかであっても、その内容については果たして正しいのかどうかの証拠を独自に収集して、それなりの検証と判断とその結論に基づいて自らの責任の取れる報道に徹しなければならないと思う。また、当該事項の専門家でない者の見解は単なる感想に過ぎないしこれまた情報量はゼロに近い。一人の一般人の感想として参考にこそすれ、それが正しい見解とは言い難い。報道番組はご近所の井戸端会議ではないのである。情報は自ら発信するものである。右から左へ伝達するだけの受け売りであっては必要のない風評被害を増産するだけである。情報は処理して自ら分析・検討、判断して結論を出し、その結論に基づいて新たな正確な情報を自ら産出してゆかねばならない。
各新聞社の記事等を並べて、その内容を紹介して様々な出演者がいろいろなコメントを述べる形式が増えている。何時頃からこの形式が流行り始めたのだろう。考えてみると、他社の報道内容を紹介して自社の番組を構成することは、あまりに安易で無責任な気がしてならない。自社独自の責任を持った報道姿勢はどこに行ってしまったんだろう。他社の報道内容を紹介するにしても、果たして自社で報道内容の裏取りはしているのだろうか?「〇〇新聞が発表した」「△△新聞によると…」「各社が同様の記事を掲載している」だけで終わらせるのであれば、ただの情報提供番組であり、自社による独自の報道とはとても思えない。
こんな番組の出演者にも疑問が多い。
その道の専門家であればまだいいが、あまり関係のなさそうないわゆる「タレント」の方々が個人の見解を公共の電波を使って放送してもらっている。タレントの方々は出演料をいただいてのことであろうが、視聴している方としては、そんな専門家でもない一般人の見解を聞かされているのである。一般人の代表として一人くらいの出演は許せても、ほとんどが専門外の人達で構成されていたのでは首をかしげてしまう。私の場合、いわゆる「評論家」と言われる人も専門家の部類に入れることに抵抗がある。少なくともコメントした内容に責任のとれる資格と能力と見識を持った人でなければ情報量はゼロに等しい。情報量ゼロでも報道する自由はあるだろうが、本当に必要な情報はどこへ行ってしまったんだろう。
報道内容には裏取りが必要である。
各社の新聞記事を紹介するにしても、その内容が正しいのか判断できる証拠は自社で収集しているのだろうか?ただ単に「新聞で報道された」「テレビで放映された」「ネットで紹介された」「海外メディアで取り上げられた」だけで報道されたのでは視聴する側はたまらない。また、一流のマスコミがこんな報道をすれば、無責任に報道された疑問符付きの内容に新たに信ぴょう性を付加してしまうことになる。報道内容に各社が厳格に裏取りをすることによってフィルターがかかり、ヘンテコな報道内容が無節操に流布することが阻止できる。これは、報道人として最低限の心構えではないだろうか?
まさか自社のニュース番組で他社の記事を転用するようなことはないだろう。
ニュース番組は自社の報道姿勢を示す独自の報道内容であるはずである。少なくとも、自社のニュース番組については厳格な裏取りをしているのだろう。その裏取りの証拠となるのは「記者会見」「政府発表」「海外記事」「当事者の発表記事」等であろうが、本来であれば、これらを基に自社独自の取材をして自社独自の記事を作り上げる努力をすべきであり、その部分こそが本当の報道人の使命なんだろうが、各社の報道内容を見ていると、みんな横並びの同じような記事のオンパレードである。「記者クラブ」などという独特の仕組みのせいもあるかもしれないが、自社の独自の取材活動の手抜きとその取材内容に責任をもつ姿勢の欠如によって、独自性、独創性を出すことに拒否反応があるのではないかと思えてくる。
情報源のわからない情報の信頼性は「ゼロ」に近い。
少なくとも情報源は明らかにする必要があるし、たとえ情報源が明らかであっても、その内容については果たして正しいのかどうかの証拠を独自に収集して、それなりの検証と判断とその結論に基づいて自らの責任の取れる報道に徹しなければならないと思う。また、当該事項の専門家でない者の見解は単なる感想に過ぎないしこれまた情報量はゼロに近い。一人の一般人の感想として参考にこそすれ、それが正しい見解とは言い難い。報道番組はご近所の井戸端会議ではないのである。情報は自ら発信するものである。右から左へ伝達するだけの受け売りであっては必要のない風評被害を増産するだけである。情報は処理して自ら分析・検討、判断して結論を出し、その結論に基づいて新たな正確な情報を自ら産出してゆかねばならない。
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