オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

秘密

2013年12月08日 | Weblog

特定秘密保護法案が可決された。

 国会周辺でのやり取りを見ていると、理性を持った大人のやる行為ではないし、世界の中の伝統ある独立国の立場から見ていて恥ずかしい。なりふり構わず必死に抵抗しないと否決できないと議員生命をかけて必死に抵抗しているのであろうが、その前にもっとやることがあるだろうと思う。保護すべき秘密があることは明白な事実だし、その秘密を守る法律を制定しようとしているのに、何でもかんでも勝手に秘密にしてしまうのではないかという最初から法の存在を無視するような議論は不毛である。ちょっと考えれば解るだろう。また、国会での法案審議のやり方が良くないという意見も、法案そのものについては何も議論しておらず、これまた全くの不毛かつ無意味である。審議の時間が少ないと言うのなら、やり方が悪いなんていう前にさっさと中身の審議に取り掛かるべきである。

国会審議の時間がないというが、

 法案はすでに1年前から全文がネット上で公開されているし、検討委員会の報告書はその1年前に提出され公開されている。もっと言うなら、この検討はずっと以前からなされており、歴代の首相が何度も挑戦してきたテーマでもある。議論し検討し考える時間は十分にあったのであるが、まるで他人事のように無関心であったのが大方の議員さん達だったのだろう。土壇場になって反対の立場に立って反対ありきの議論では何の意味もない。有権者に対する売名行為か正義の味方気取りの演出に見えてしまう。反対することにしか意義を見出せず、何を反対しているのかは全く見えてこない。ただただ不信感と不安感を煽っているだけである。不信と不安があっては法律なんて制定できない。不信と不安を煽るだけでは実効性のある法律の制定は未来永劫不可能になってしまう。法は体制に対する信頼がなければ無意味であるし効力は発揮できない。

何が問題なのか私的に考えてみた。

 まず、何を特定秘密にするかである。少なくとも公文書でなければならない。ただの私文書は特定秘密に制定できない。行政機関の長が特定秘密の指定を正式に制定するのであればなおさらの事である。これまでは、公文書でないものまでそれぞれの部署で勝手に秘の指定をして秘の表記をして外部に公開できないようにされていたのである。情報公開法ができて、行政文書の登録が義務付けられ、行政文書の存在そのものは国民に公開され、必要に応じて国民はこの行政文書ファイルを閲覧し情報の公開要求をすることができるようになった。 「行政文書」とは、行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書、図画及び電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られた記録をいう。)であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているものをいう。公文書とは、国や地方公共団体の機関または公務員がその職務上作成する文書。

それでは、行政文書全てが特定秘密指定の対象になるか、

 何でもかんでも秘に指定し情報を隠蔽するという不信と不安は、情報公開法もない以前の状況であり、現時点では改善され行政機関ごとに管理される体制はできあがっている。このうちの、どれを特定秘密と新しく指定するかであろう。私的には少なくとも正式文書として各行政機関から発出されているものが対象になると思う。「職員が組織的に用いる」ためには、何らかの承認と記録と管理が必要であろう。誰も承認していない文書はその内容に組織的な強制力を持たない。少なくともしっかりと文書管理され、合議書と発出番号と発出年月日と発出元、あて先、文書名くらいは明確にされ確実に記録保管される必要があると思う。この部分を有耶無耶にしないのも日本の行政に必要なことだと思う。いつも問題が起こって原因を追究すると得体の知れない怪文書や口頭の指示になってしまうのは組織的に文書が管理されていない証でもある。

今回の法案で、特定秘密指定の対象については規定されている。

 明確にきっちりと規定する事は法律としては無理なことであり、なおかつ法律に例外規定を含ませるのは仕方ないことである。それなのに例外のほうが主要な部分で、その例外を悪用して何でもかんでも隠蔽してしまうのではないかという考え方は本質をはずれている。例外が主体のような法律は根本から有り得ないし、そんな運用をするのなら、この法律を根拠に例外規定で運用する違反行為に異議を唱えればいいのではないか。例外はあくまで主体に対するほんの一部であって、あくまで主体が主要な部分である。本当に議論すべきは主体の部分であって、本法案で指定の対象となるものが妥当なのかの議論であると思う。そして、この指定の対象が運用の段階で悪用されないためにどのような制限要素を加えるかであろうと思う。

議論になったのは、指定期間であった。

 当初は指定期間が5年ごとに見直され、最悪永久の指定が可能であったが、最終的には最長60年との制限がついた。60年といえば、たぶん現時点で50歳以上の人は永久に見ることができないことと同様である。私にとっては永久に特定秘密に指定されたこととなんら変わらない。果たして60年が妥当かどうか疑問のあるところである。いっそのこと、60年以前に隠蔽されていた情報をこの際全て公開することも含めて関連法令で見直してもらいたい。60年以前の隠された情報が公開されれば、多くの歴史的教訓事項が得られるだろうと思う。国のやる政策は常に付け足しで、今回の法案も新たに特定秘密保護法を制定して、新たに特定秘密を指定して、この特定秘密のみに法律を適用しようとしているが、過去現在未来という一貫した秘密保護に関する政策や国としての取り組みが見えないのは残念である。今後の検討を期待する。

次は、罰則規定であろう。

 特定秘密保護法案の対象者は「国家公務員ら」である。「ら」が問題で、この中には一般の国民も含まれている。特定秘密取扱者となる一般国民もあるし、罰則は全ての一般国民に適用される。特定秘密取扱者でない限り何が特定秘密なのかを知る手段はない。それなのに特定の「取得行為」およびその未遂、共謀、教唆、煽動に加担したり教唆・強要・幇助した場合は罰則規定がある。法的には何が特定秘密か解らない人にこれに係ったら処罰すると規定している。これはおかしいのではないか。特定秘密の内容を知りうる立場の国家公務員が情報漏えいした事実をもって罰するのが本来であろう。それとも、知られるはずのない特定秘密を一般市民が承知しているとでもいうのであろうか?たぶん、普通の一般市民ではなく、一般市民に紛れ込んで情報活動をする人達(スパイや過激分子?)を罰しようとしているのだろうが、一般市民にとってはとんだとばっちりである。たぶん、疑われて逮捕される一般市民が出てくるのは覚悟しなければならない。

最後に適正評価である。

 どのように適正評価をするのかは各行政機関の長に任されているが、「特定秘密を漏らすおそれがないと認められた職員等」をどのように評価するのだろう。テロ活動等との関係、犯罪・懲戒の経歴、情報の取扱いについての違反歴、薬物の濫用・影響、精神疾患、飲酒についての節度、経済的な状況とあるが、この内容は個人情報にも入り込む。すべての各行政機関にこのような調査を行う全国的な組織はない。単に個人の提出した調査票の内容で審査するだけなら情報は筒抜けになってしまうし、このような人物に特定秘密を取り扱わせるようでは、この法律は情報漏えいを堂々と促進させる法律になってしまう。たぶん、主体となる防衛省と警察庁を念頭において制定しているのであろうが、法律としては抜け道になってしまう気がする。しかも、適正評価は義務化されるのである。これを人権侵害だという人がいないのも不思議である。例えば、「あなたの近親者にテロの活動家がいるので取扱者に指定できません」とか「あなたは酒癖が悪いので・・・」「あなたは借金が多いので・・・」などの理由で指定を拒否できるのだろうか心配になる。

はっきり言うと、

 本当の秘密とは、何にも他言することなく黙って情報を秘匿することである。この情報が秘密である事も秘密なはずである。そして、本当の秘密は公文書や行政文書で公開されるものではない。公文書や行政文書で秘密の取扱者に公開されている内容は本当の秘密以外ということもできる。かといって、こういう秘密まで正式に秘密に指定しろというのも無理である。最初から管理すべき対象に登録されていないし、そこまで含めて管理しろというのが無理でもある。閉ざされた一定の空間に公開するからその取扱者が情報漏えいしないために法律が必要になる。本当に秘匿しなければならない重大な秘密は公開すべきでなく、限定された当事者のみで厳重に管理すべきなのである。組織的に用いる必要のない情報は公文書としても行政文書としても管理されない。存在さえも一般国民に知らされることはない。それでいいではないか・・・。それが国に対する国民の信頼であり、国民が国に対して托している部分でもある。それさえ信用できず全てをガラス張りにしろと言うのは御無体である。そんな管理もできないし、あくまで管理できることが前提である。この信頼を裏切って悪政を施すような国家公務員は政治家といえどもバッサリと切り捨てなければならないと思う。


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