オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

法律による取り締まり

2020年08月25日 | Weblog
何でもかんでも法律で取り締まってほしいという意見がある。

 法律的根拠を明確にして罰則も規定して強化してもらいたいという要望である。しかしよく考えると、法律によって自分達の自由を縛っていることでもある。被害者側としてはその場では誠に勝手がいいかもしれないが、自分が加害者側に立たされた時には法律を盾にして不利な立場に立たされることになる。一旦法律として制定されたものは動かしようもないし、悪法もまた法である。心して気を付けておかなければならないと思う。

何故被害者が加害者を訴えるのが困難なのだろう。

 そこの問題点を解決するのが先決だと思うし、法律で一律に決められないことは個別に個人対個人で対応するのが本来の考え方だと思う。いくら法律で「〇〇は禁止」と制定してもその解釈は千差万別であり、重大性も犯罪性も道徳的にも倫理的にも様々な見方がある。それは被害者も加害者も対等に個別に戦ってゆく必要があると思う。その権利を平等のものとして主張できる環境を作るのも法律の役目だと思う。

被害者もしくは加害者が不平等な立場で不利益を被るのは問題である。

 なぜ不利益を被って、それを打破するためには数々の壁を乗り越える必要があり、長期の犠牲を強いられるのかを考える必要がある。それをできるだけ取り除いてやらなければならない。「〇〇は禁止」だけを法律で規定しても問題は解決しない。日本は未だに諸外国のような訴訟社会ではないが、訴訟の壁を厚く高くして乗り越えられないようにしている現実は少しずつでも改善すべきなのであろう。

特に現代は流動的であり、世界は秒進分歩で動いている。

 グダグダと問題を長引かせていたのでは周囲に取り残されてしまうし、問題先送りで一向に解決に結びつかない。法律で「〇〇は禁止」と規定するよりも、あらゆる権利が正当に主張できる環境を整備してゆかねばならないし、その環境の下で個人対個人が戦いながら全体の世論を作り上げていかなければならないのだろう。法律は最低限の基準であって、細部はそれを利用する側に委ねられているのである。

何でもかんでも法律で規定することは間違っている。

 法律で規定さえすれば問題が解決すると思うのも間違っている。善悪なんて水のようなもので、どのようにも姿かたちを変えるけれども水自体は不変であることに似ている。液体も水蒸気も氷も様々な形をとるが最終的にはH2Oの水には変わりない。水蒸気が悪いとか氷が悪いとか言っても仕方ない。ある時は水蒸気、ある時は氷なのである。もっと冷静に大局的な目で物事を見つめる必要がある。

ネットでの誹謗中傷があちこちで発生している。

 ただ単なるネット上の誹謗中傷であれば無視すればいいことだが、これが自分の身辺に具体的な被害を及ぼすようであれば無視できないし、自分は無視してもそのネットを閲覧している多くの人から誹謗中傷の眼に晒される。一番の解決法はその場から逃げることであろうが、それではあまりにも情けないし、これまでの現実に起こっている事実を無かったことにして本人が我慢するしかない。これでいいのだろうか。

過激に誹謗中傷する人は正確な情報が不足しているのである。

 何かの思い込みか偏狭な考え方の虜になっている。正確な情報を与えれば誹謗中傷はなくなるはずであるが、悲しいかなネットの社会は一方通行で個人的にお互いに話し合うような道具もないし、あっても相手は匿名だし、発言に責任もないし、対応してくれなければ意味もない。表現の自由の名の下に個人を特定することにも乗り越えることのできない障壁がある。メディアの見出しやキャッチフレーズも問題だろう。これだけで早合点して間違った思い込みの情報が流れてしまう。

新型コロナによる差別や誹謗中傷はやはり正確な情報不足である。

 なぜ正確な情報が伝達できないのだろう。新型コロナで死ぬ確率は極めて低い。インフルエンザなどに比べて毒性は低いといわれている。ただ、人間に対する感染力は高いようである。「あなたがコロナで死ぬ確率は交通事故で死ぬよりずっと低いんですよ」と言って安心させればいいのではないか。エアロゾルでも感染すると言って脅かしているが、飛沫の体積比で言えばエアロゾルは1000分の1以下でこれまた感染のリスクは低いんだということも伝えなければならない。

新型コロナは飛沫・接触感染である。

 マスクをしていれば7割から8割は防止できる。あとの大きな飛沫は体積の関係でほとんどがすぐ近くに落ちてしまう。残ったのがエアロゾルであるが、体積比ではほんの微々たるものである。換気をすればほぼ解決する。問題は飛んだ大きな飛沫の中のウィルスである、これが直接もしくは接触感染で広がってゆく。だから気を付けるべきは感染者と接触して直接の飛沫を受けることと接触感染である。こんな冷静な情報も必要なんだろう。そう考えると消毒でほとんどの感染は防げるのである。

「人を見たらコロナと思え」はあまりにも極端である。

 感染の実態を調べて、必要な対策を十分とっていればそれほど恐れることはないのであろう。あとは確率の問題で、感染の確率をゼロにしろと言うのは無理な話で、冷静に科学的に確率の低い手法を選択することに努めるしかない。たとえ感染者や発病者がいても隔離さえ的確になされれば問題ないはずである。この隔離がいい加減だから「人を見たらコロナと思え」みたいなことになってしまう。そして感染者の差別や誹謗中傷につながっている。

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