オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

テレビで気になる幼児言葉

2006年05月05日 | Weblog

テレビを漫然と見ていると、大の大人が幼児言葉を使っているのをよく目にする。

 特に若い女性のレポーターやアナウンサーに多い。まるで幼稚園児に話しているような口調で、妙にテンションが高く、はしゃぎまくっているような印象である。一般大衆受けするにはこのような話し方が適しているのであろうか。たぶん一般大衆にもこのような話し方が受け入れられるのであろう。そのためにあえて幼児言葉でのコミュニケーションを心がけているのだと思う。間違っても普段から普通の状態で幼児言葉を使っているとは思えない。私生活では普通のしゃべり方をしているのであろう。

幼児言葉が氾濫するのは軽薄で内容のない娯楽番組に多い。

 その番組の中で屈託のない素人の幼稚な感覚を披露して一般大衆の笑いを誘おうとしている。その時本人はまるで幼稚園児に成り下がっている。自分のしっかりした感性と専門的な知識に自信がないのだろう。最初から一般大衆をなるほどと唸らせ惹きつける裁量はないとあきらめている。当然そのための準備もいい加減でぶっつけ本番であろう。その結果が幼児言葉である。幼児がしゃべっていると思えば稚拙さも許されるし、聞いていて腹も立たない。そして、内容がないにもかかわらず、どういうわけか一般大衆を注目させることができる。本能的に高い声(子供、女性)には反応してしまうのであろう。この技法を巧みに使っているのだと思う。

一般大衆が権威や強制を受け入れない傾向にもある。

 「私はこう思う」という明確な主張を疎んじる傾向がある。ただし、専門家や知識人が語るところの事実に基づく主張は盲目的に従ってしまう傾向もある。「調査・研究の結果このような結論が出た、よってこのようにすべきである」と言われると有無も言わず納得してしまう。本来であれば、「いや違う、私はこう思う、それはおかしい」と反論する人がいてもいいし、「自分はそう思わない」と無視してもいいのだが、このような場合では専門家や知識人に弱いのである。反対に相手が専門家や知識人でない場合は、どんなにいい発言をしても鼻から信用してもらえないことになる。その時は馬鹿になりきって幼児言葉を発するしか方法はないのであろうか。なんかおかしい気がする。何人であろうと受け入れられようとられまいと自分のすべてをかけて自信を持って主張すべきことは主張していいはずである。

精神論や道徳論には耳を貸さない傾向にある。

 「これが正しいんだ」「俺について来い」「こうすべきだ」といった根拠のない押し付けに対しては警戒する風潮にある。昔は政治家、学者、先生、医者、警察官などに対しては権威の象徴として一方的に言われるがままに従っていたが、最近はこの権威が廃れつつある。納得しないと従わないのである。納得させるためには何らかの事実に基づく事例を示す必要がある。「○○だから正しいんです」「××だから私を信用しなさい」「△△だからこうしなさい」という言い方である。しかし精神論には明確な根拠はないのである。だから精神論といえる。「人を殺すことは悪いことだ」「親は大切にすべきだ」「嘘をついてはいけない」「人を騙してはいけない」という教えに対して哲学としてはあるかもしれないが精神論や道徳論には「何故?」という問いかけはない。これは先祖代々の教えなのである。
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