オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

老人力

2007年09月26日 | Weblog

「老人力」なる言葉がある。

 10年以上も前になるが、赤瀬川原平氏が「老人力」なるものを提唱し、新語として話題になった。「老人力」とは、「物忘れ、繰り言、ため息等従来、ボケ、ヨイヨイ、耄碌として忌避されてきた現象に潜むとされる未知の力」と定義されている。一頃はもてはやされたが、この頃はあまり聞くこともなくなった。でも、私の耳の奥に引っかかったままになっている。

記録では、

 明治から大正の初期の平均寿命は、男子で15、6歳であり、大正から昭和初期にはじめて40歳を越えたといわれている。昭和初期には50歳までに約50%が死亡していたが、現在は、50歳までに10%くらいしか死亡しない。すなはち、昔は50歳になれば同じ時期に生まれた人の半分はいなくなるが、現在の人たちは50歳になっても生まれた人の90%以上が一緒に生きていることになる。昔は、長生きする人が少なかったので、50歳を過ぎると長老で、その知識と経験が尊重されて集団の指導者的立場に立つことができたが、現在は、その指導者的立場をめぐって60歳以上の老人になっても互いに競争を続けなければいけない時代のようである。

現代は情報化社会であり、

 将来もますます情報化に向け発展すると予測されている。情報化とは、情報を氾濫させることではなく、ありふれる情報から必要のない情報を取捨選択し精選して新たな情報を生み出すことにある。情報源に抜けがあってはそれを精選した情報は正しいとは言えない。我々は膨大な情報を扱えるコンピュータや通信そして情報処理技術という便利な道具を得たが、この膨大な情報から一粒の「金」を見出す力は依然人間の頭脳に頼らねばならない。情報は単なる動機ときっかけを与えるに過ぎない。

この一粒の「金」を見出すのは、「老人力」ではないかと思う。

 ここで、前述の「老人力」が発揮されることとなる。老人の長年の経験は貴重である。そのデータベースは膨大であり、情報処理におけるその判断は現実に即しており、妥当で的確である。これは、いかなるコンピュータにもかなわない。情報処理社会を乗り切るにはこの「老人力」を活用しなければならない。

老人は、昔のように指導者の地位を目指すだけでなく、

 貴重な経験と卓越した判断力をもって、情報処理の担い手として重要な戦力になることができる。頭脳労働は若さや体力にそれほど関係なく、老人にも可能であり、時間や個人の生活を束縛することもない。在宅勤務もできる。「老人力」を活用することにより情報化社会と高齢者社会はうまく融合するような気がする。天才的な創造力を発揮することは無理かもしれないが、創造性の発揮や冒険は若者にまかせて、少なくとも常識的かつ安全な結論を必要とする分野での活躍は期待できる。

情報化社会ではありふれる情報から無駄なものを捨てることが必要で、

 多くの天才は引き算の手法で、単純な事象をきっかけとして偉大な発見を成し遂げた。物忘れ、ぼけ、痴呆症、アルツハイマー症などは、無駄な情報を捨てるための立派な引き算の手法である。朝食に何を食べたか、離婚を繰り返すあの女優の名前は何だったか、巨人が勝ったか負けたか、今日の株価はいくらか、などはいくら忘れてもほとんど大勢に影響を与えない。むしろ大いに忘れてしまおう。そうすると、もっと重要で本質的なものが見えてくる。

こうして余計な努力をせずに効率的に物事を成すにはどうするかを導き出し、

 安全な道を見出してくれるのが「老人力」ではなかろうか。物忘れの症状が進行すればするほど、後に残るのは重要で本質的なこととなり、その判断力は忘れ去るほどに研ぎ澄まされ、全てを忘れ去った時、死が訪れる。恐るべし「老人力」。(半分は冗談です)

人間の世界の環境は大きく変わったが、

 人間の営みそのものは太古の昔から変わっていないし、大いなる反省もうまく生かされることなく、本質的には同じ過ちを形を変え繰り返しているようである。これは、これまでは老人の寿命が短く「老人力」を生かしきれなかったためではなかろうか?平均寿命がこれほどまでに延びた現在、大いに「老人力」を活用し経験と知恵を生かした深い反省から、対立と摩擦を避け無駄なエネルギー浪費をなくした平和な世界を目指すことは可能であろう。

「老人力」は、高齢者しか発揮できないということもない。

 若い者でも心がけによって「老人力」を発揮することは可能だ。「肩の力を抜いて」、「くよくよするな」、「押してもだめなら引いてみよ」、「急がば回れ」、「ちりも積もれば山となる」など、至る所に「老人力」の教訓はちりばめられている。この真髄に気がつき、一歩でも近づけるかどうかはその人の心がけ次第である。自分達の先輩であり、ゆくゆくは自分達の「目標」となる「老人」の声に耳を傾け、「老人」を敬い、大切にしなければならない。「老人力」を見直そう。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 罰点主義の反対 | トップ | 情報化社会のもたらすパニック(大... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事