あちこちでいろんな事件・事故が起きてるが、
いずれも、責任を取る段階になるとみんな「知らなかった」と言って回避してしまう。「知らなかった」責任はどのように決着つけようと思っているんだろう。「知らなかった」で済まされるはずもなく、「知らなかった」こと自体が大問題であるし、「知らなかった」から事故が起こったとも言える。
最近起こった温泉施設の天然ガス爆発事件では、
社長や取り締まりが、全て部外の業者に任せていて何も関知していないと言う理由でまるで関係ない第三者のような風情で対応している。委託したことによって責任を免れるものではなく、まずは自己の責任として認識し謝罪すべきである。そして自分の職務としての管理が行き届いていなかったことを反省すべきである。その責任が取れないなら最初から責任の取れる役職は果たせない。人選ミスも甚だしい。
行政は行政で、
各部署は口を揃えて自分の管轄ではないし、想定外の事故だったと言い訳している。これもおかしい。各部署にも何等かの関係があって、その関係する部分は各部署の責任であろう。その部分は謙虚に認めなければならないし、何も知らないで想定外だったという発言は、この事故防止に対しては何も仕事をしていなかったと認めているようなものである。何もかもこれで済ましたのでは税金泥棒も甚だしい。
そして、この種対策の有識者会議を臨時に設置すると言う。
全体を統括管理する国に「有識者」がいないことを全面的に認め暴露している。一体何を管理しているのだろう。たぶん管理なんてしてないのだろう。事務手続きと許認可だけをしていて、実体としての管理はスッポリと抜けてしまっているようである。規則に定められた通りの仕事しかしていないし、言われたことだけにしか反応していない実体が見えてくる。
この責任を取らない体質はあらゆるところに蔓延している。
自分が直接関与したことしか信用できない世の中は不便でしょうがないし、いちいちチェックしないと安心できない環境は精神衛生上よろしくないが、国全体が責任を持たない社会は誰も信用できない社会でもある。いつからこんな社会に変質したのだろう。たぶん、高度経済成長の申し子のような気がする。経済優先(拝金主義)の考え方が人の心を蝕んでしまったようである。
責任を取らない集団は徹底して排除しなければならない。
責任を取らなくても済んでしまえば、誰も責任は取らない。責任には具体的な行動が伴い具体的な行動には当然経費が生じる。効率化合理化を目指せば、責任は最小限にしてやるべきことも無視すれば経費は画期的に節約できる。要は如何に手を抜くかの競争が始まる。現在がその真っ只中にあるようである。そして禁断の地雷を踏んだ人が訴えられ悪人に仕立て上げられる。根元はみんな同じだ。
我々一般大衆が手抜きのものを受け入れなければいい。
一流のものを末長く愛用する伝統が根付けばいいと思う。そのような伝統が根付けば、見かけだけの粗悪品にごまかされることはないし、一時的な詐欺まがいの行為に騙されることもない。一流のものを末長く愛用するには最初の投資は大きくなるが、長期的に見れば節約になるし、無駄もない。是非、セコセコ、チャラチャラした考え方からゆったりとしたスローライフを目指したいものである。
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