オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

守護と地頭

2011年06月26日 | Weblog
守護と地頭という昔の職名がある。

守護は鎌倉、室町幕府が治安維持及び武士統制のため国単位に設置した地方官で、地頭は、もともとは地方の荘園の領主が土地管理のために現地に置いた荘官で、鎌倉・室町時代に荘園・公領内の警察・刑事裁判権などをもたせた。ここまでは、学生時代の歴史のお勉強のおさらいだが、注目すべき事は、日本の国は鎌倉・室町時代から中央と地方の二重の統治をしていたのである。現在の中央と地方の政治のやり方を見ていると、いかに民主主義社会になったとはいえ、本質は変わっていないのではないかと思ってしまう。日本人が使い分けている「本音」と「建前」の考え方も、これに由来しているのではないかと思えてくる。本音が地頭であり、建前が守護である。

中央(守護)は建前を通すし、細かいことは地方(地頭)に任せている。

 守護は中央から派遣された者で、地頭は地方のたたき上げで頂点に上り詰めた者である。守護は大まかなきれいごとにしか手を出さず、地頭は汚い事も含め細々としたことを現実的にこなす必要があった。これこそ、「建前」「本音」そのものの構造である。そして日本の社会は「建前」も「本音」も重要であり、現実に対処するために、どちらも上手く使いこなして政治をやってきた歴史がある。「建前」だけでは現実に有効に対処できないし、「本音」だけでは無法地帯になってしまい、それぞれの地方が群雄割拠し統制が取れなくなってしまう。しかし、本当に日本の国を直接動かしていたのは「地頭」だったのである。

この「守護」「地頭」は源頼朝が弟源義経の探索を目的として設置したものが最初である。

 ところが、この制度が引き継がれ、権限は次第に拡大していった歴史がある。この経緯も今の政治の教訓とすべきで、日本の伝統でもあるが、一旦決められたことはなかなか変更できなくて、本来の目的を失って形骸化したまま発展して変質化してしまうのである。自然に任せていると言えば説明がつくだろうが、そこには「人間」の主体性が見えてこないし、これを改善しようとしても自然の流れ(世論)に抵抗して世直ししようとする「人間」が現れるのは稀有である。結局は、この守護と地頭の制度は行き着くところまで発展して下克上の戦国時代に突入し、地方では戦国大名として発展していった。

日本の独特の風土や習慣をよくよく考えてみると、過去の歴史の延長である事が多い。

 国民性に根付いた文化は時が経て近代化しても脈々と続いている事を思い知らされる。戦後の傾向として、日本の優秀な文化を捨て去って、劣悪な文化ばかりを継承しているような気がしてならない。時々優秀な文化が残っている事を気づかされる時、まだ日本人は捨てたものではないと安心する事しきりである。最近では東日本大地震に際しての被災住民の良心的で秩序ある行動であろう。世界中の賞賛の的となった。このような優秀な文化は地方ほど残っている気がするし、中央(都会)ほどギスギスとして殺伐とした劣悪な文化に満ち満ちている気がするのは私だけであろうか・・・。

日本人は日本国民(地方)自ら改善しようとする気運が高まらないし、トップダウン(中央から)で積極的に改善しようとしない。

 この文化は「守護」と「地頭」の文化の流れではないかと思う。トップ(中央)はきれいごとの建前で済まそうとするし、日本国民(地方)は建前はさておいて、目の前の問題に本音で対処する。建前と本音が乖離したままでも何とも思わないし、中央は汚い事も含む細かい事には目をつむり見ようともしないし、地方の領分において良い事も悪い事も含めて上手く治めれば何も問題にされない。反対に地方の領分においては非人道的で無法化した行為が権力の名のもとに行われていた形跡がある。結局は秩序が保たれていた根底は、地方の領分ごとにおいて完結していたことになる。そこにはきれいごとで済まされない死刑や刑罰や差別などが存在し、ヤクザな世界でもあったと思われる。

日本の政治に時々この片鱗を見る。

 本来理想とすべき「建前」を公然と無視して「本音」を貫くことに何の躊躇いもないし、かえって「本音」のほうが大手を振ってまかり通っている。本来政治の場では「建前」を優先すべきであり、その実行に際して「建前」だけではできない部分があり、その部分については妥協せざるを得ないのが実情であるが、最初から「本音」しかないのは、ある意味で無秩序で統制の取れないヤクザな世界の行いである。ヤクザな世界の権力闘争だけが存在する世界は、とても近代的な政治とは思えないし、昔の戦国時代を思い起こすものである。しかし、反面では「建前」が形骸化して権限と内容がなくなっているとも言える。中央から統制できるしっかりとした「建前」がなくなっているのである。「建前」も本来は個人に由来する。しっかりとした「建前」を発する個人が不在なのであろう。

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