オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

引き算の世相

2023年12月11日 | Weblog

この頃のメディアの発表内容を見ていると、みんな引き算の考え方ばかりである。

 高いものは低くし、悪いものは排除し、問題があれば切り捨ててしまう。原因を解明して新たな要素を付け足そうとする考えは皆無であるし、高いものをさらに高くしようともしない。なんで高いのだろう、なんで悪いのだろう、なんで問題なんだろう、と考えることもしないで一刀両断である。しかもこれが最適の解決法だと思い込んでいるようである。問題は、根本の原因となる問題点がなにも明らかにされていないことであり、当然ながら適切な対策もなされないまま問題となる対象は闇に葬られ有耶無耶のままに終わってしまう。

悪いものも全てが悪いわけではない。

 不具合はあっても、他の部分で対応できれば問題ないはずである。悪い部分は修正し改善すれば良いはずである。少しでも不具合があれば全てが信用できないと切り捨てるのはあまりにも短絡的である。上に立つ者で、容易に問題解決を図ろうとすれば、その部分を切り捨てるのが簡単で、周囲も納得し理解を得やすい。通常は悪い部分を取り除いた残りは良い部分なのだろう。しかし、悪い部分は全体の一部であり、良い部分にも悪い部分が残っている。その部分の対策は何も行われていないことになる。

引き算の考え方は縮退するばかりである。

 発展的、創造的、先進的考えは全く無い。足し算の考え方が必要なのである。悪い部分を補ってもなお十分な新しい対策を打ち出していかなければならないのである。そうであれば、一時的には悪い部分であっても、貴重な反省材料として活きるのである。そして、更に発展できる強力なエネルギーをもって正しい方向に進んでゆくのである。悪いと思い込んでいるのは一時的なものであり、これを良いものに発展させることは十分に可能なことである。この思い込みをなくして冷静な対応が求められるのである。

政治資金規正法の問題で政界が揺れている。

 裏金が記録されていなかったのが違法だと言って告発されているが、元々の政治資金パーティーの運用そのものが問題なのである。どう考えてもおかしいことを規則に定めて合法化している。足し算の考え方で言うと、規則違反の政治家を切り捨てるのではなく、政治資金パーティーそのものを、ひいては政治資金規正法を新しく見直すべきなのである。ただの切り捨てに終わってしまったら根本の問題点はいつまで経っても解決しないと思う。正しい政治資金の運用を新たに打ち出してゆくことが求められているのだろう。

政治資金収支報告書記載の違反だけが追求されているが、

 悪いのは、政治資金として集めた金を個人的に横領していることが問題で、そんなことが許されている状態が問題なのである。そして政治資金を集めるための政治資金パーティーそものが如何わしい。純粋に政党を支援するだけのものとは思えないし、かえって不純な動機が見え見えである。利益団体から資金援助を受けるのなら堂々と公開し、その利益団体のために働けば良い。水面下の闇の中でやるから変な利権が蠢いて不正を働くのだと思う。

だいたいが、政治資金パーティーのノルマを派閥の政治家に課していたのもおかしい。

 ノルマ以上のパーティー券を売りさばいた議員に超過分を現金で裏金として渡していたようであるが、反対にノルマを果たせなかった議員は不足分を支払っていたようである。このマイナスの資金も裏金に違いない。そのカネはどこから調達していたのだろう。その政治資金も不明のままで追求もされていない。おかしなことばかりである。また、与党だけが追求されているが、野党はどうなんだろう。同じような手法で政治資金パーティーを開催しているのではないのだろうか。下手に追求するとブーメランで自分達が困ることになる。

いつも思うが、順番が逆である。

 代表である自分達が組織を上げてどうするべきかを叡智を尽くして考えて、それを民衆に問うて、納得させ、牽引してゆくのである。この牽引力がリーダーシップでもある。果たして政治資金パーティーを国民は納得しているのだろうか?たぶん政治家もおかしいと思っている。そして、この体たらくである。なるようにしかならない状態で、国民の顔色を伺って成り行きに任せていたのでは、日本は滅びるばかりである。政治だけではない。全ての組織がそのような症状に陥っている。これが日本国の衰退の原因ではないだろうか。

血圧が高いと血圧を下げる薬を処方する。

 本当にそれで良いのだろうか?身体は必要があって血圧を高くしているのであり、ただ下げれば問題解決する訳ではない。それよりも何故血圧を高くしなければならないのかの原因を見つけて、その原因を取り除くことのほうが重要なのだろう。そのために新たに何をしなければならないかを見つけ出すことを目指すべきであろう。もっと言うと、血圧が高くなっても問題ない血管なり心臓なり血液なり内蔵なりを作り上げることがもっと重要なのだろう。健康診断で数値の悪いところが見つかると徹底して改善のためにマイナスの治療をしようとする。その治そ療は本当に必要なのだろうか?政治の世界も同じような気がする。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 民主主義、自由主義の誤解 | トップ | 悪いことと良いことの判断基準 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事