オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

不言実行

2007年01月11日 | Weblog

物を言うことは自分から他人に対して行われる。

 自分に対して言い聞かせている部分もあるのだろうが、基本的には他人に対する意思表明が主体となる。他人との関わりにおいて必要なことを約束するために言葉を交わすのは理解できるが、自分のことについて「いついつまでに何をする」と宣言する時、その人は何を期待しているのだろう。宣言しなければ自分が不安になるのか、宣言することで自分に強制力を働かせているのか、自分の存在と価値を認めてもらいたいのか、何かの援助を期待しているのか、いろいろあるだろうが、宣言された方は知る由もないし、通常宣言した方もあまり深くは考えていない。

自分で目標を掲げたら、さっさと自分で実行すればいい。

 「不言実行」という言葉があるが、自分のために自らが必要性を感じて自ら何かを実行しようとする時、何も他人に宣言することは必要ない。それをあえて宣言する人は、自分に対する確信が持てずに模索している状態なのである。そこで、実行しようとする内容を他人にぶつけてみて様子を見、あわよくば助けてもらおうとしているのではなかろうか。やり方が解らないのであればやり方を知っている人に相談するはずであり、条件が揃っていなければひとつずつ条件を満たすべく努力するはずである。それは自ら判断し実行できるもので、周囲に了解を得る必要もない。不言実行ができない人は実行する前に不必要に迷いを生じている人なのである。

不言実行ができない人は、実行する前にあれこれ考えすぎる。

 「まずこれをやる!」と決断できないのである。「これをやったらどうなるか」「もっといい方法はないか」「これをやるために必要な物は」「周囲の人はどう思っているか」等実行しない内から考えすぎるのである。まずは手近な実行可能なところからやってみればおのずと道が見えてくるものなのである。その最初のきっかけを上手にとらえることができる人が「不言実行」のできる人ではないかと思う。頭の中でやろうと考えたら同時に手足が動いて行動を開始している。そんなひとが「不言実行」の人である。そして不言実行の人は努力家でもある。やろうと思ったその日からコツコツと必要なことを実行し成果を積み上げ、気づいてみたら目標を達成していたと言うような感じである。

不言実行ができない人は、目標が高すぎる。

 最初から高い目標を目指し、しかも効率と要領を最優先に結局は地道な努力をしない。目標を達成するための環境作りや条件作りに専念する。例えば、スキーをやろうとすると、道具に凝り、ウェアに凝り、スキー場に凝り等々何でも一流どころを目指す。しかし、最初は借り物の道具で普段着で、手近なスキー場で十分なのである。それだけでも70%以上は目的を達成できる。それ以上を目指すのであれば上級の道具やウェアやコースを選択すればいいし、何がいいかはまず始めてみることで見えてくる。それよりも重要なのはスキー技術そのものを上達させることであり、しっかりとしたインストラクターについてひとつひとつ段階的に教えてもらうことである。もっと大切なのは自分自身の体力そのものである。

現代の若者は、格好ばかりで中身がない。。

 何かをやろうとすると、あれがなければできない、これがないとできない、こうやってもらわないとできない、今すぐはできない等々やれない理由をたくさん持ち出す。しかし、やろうとすれば今すぐにでもやれることはたくさんあり、現在あるものだけを寄せ集めれば何とかやれるものなのである。今の若者はこの辺のしたたかさに欠けているようである。やることを主体に考えないで、やれないことを主体に考えようとしている。これではいつまで経っても実行にはおぼつかない。やれないことを主体に考える人ほど周囲に対してあれこれ注文をつけ騒ぎまくるようである。
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