「ここまで来てしもたからには、もう帰られへんしな」
橋を渡ったのは何週間ぶりだろうか? とにかく久しぶりの登校であった。別に大きな病気をしていたわけではない。ただ学校へ行く勇気がなかったのだ。朝、学生服を着てカバンを提げて自宅の玄関に立つのだが、扉を開けて家を出ることができない。この数週間の内にも、何度かそんなことがあった。後の時代なら「不登校」という一言(ひとこと)で片付けられたかもしれないが、昭和五十一年のこの当時、その言葉はまだ一般的ではなかった。
「こんなことやったら、家で朝ドラ観とくんやったな」
八時十五分を過ぎ、朝の連続テレビ小説のテーマミュージックをフルコーラス聴き終えると、もうその時点で学校に遅刻する。遅刻するくらいなら、学校へは行かない。学校なんて、そこまでして行くほどの価値はない、そう思っていた。いつからか浩人にとって朝ドラは、学校へ行くか行かないかの、ボーダーラインになっていた。そしてできるなら、この四月に放映が始まってまだそれほど間がない、朝ドラの新シリーズの続きが観たかったのに、そんな気もしていた。
もし今頃家にいれば朝ドラも観終えて、惰性で奥様番組か、民放のモーニングショーでも観ているであろう八時四十分、始業のチャイムが鳴った。が、誰一人席に着こうとはしない。市内有数のマンモス校、東野中学校はまた、不良が多いことでも有名であった。そういえばこの教室にも、リーゼント頭やらだぼだぼズボンやら、いかにもそれらしい奴らが何人かいる。暗い教室だった。そんな数人の不良どもと、すぐ南にある木造校舎の影が、他の生徒までをも暗くし、教室全体の雰囲気をも暗くしてしまうのだろうか? 浩人は、長く学校を欠席していた自分の机と椅子が、この暗い教室から抹殺されてしまっていたことに、多少のショックを覚えながら、しばらくただそこに突っ立っていた。
「なんちゅうひどいクラスやねん」
浩人が学校を長期間休んだのは、これが初めてではない。小さな頃から体が弱く、よく病気をした。風邪をひけばすぐ高熱が出て、一、二週間寝込むし、大病で入院して数ヶ月間学校に行けないこともあった。ただそうしてどれだけ長く休んでも、久しぶりに登校した教室には、いつもの自分の席が待ってくれていた。しかしこの教室には、浩人の席はなかった。
(続く)
橋を渡ったのは何週間ぶりだろうか? とにかく久しぶりの登校であった。別に大きな病気をしていたわけではない。ただ学校へ行く勇気がなかったのだ。朝、学生服を着てカバンを提げて自宅の玄関に立つのだが、扉を開けて家を出ることができない。この数週間の内にも、何度かそんなことがあった。後の時代なら「不登校」という一言(ひとこと)で片付けられたかもしれないが、昭和五十一年のこの当時、その言葉はまだ一般的ではなかった。
「こんなことやったら、家で朝ドラ観とくんやったな」
八時十五分を過ぎ、朝の連続テレビ小説のテーマミュージックをフルコーラス聴き終えると、もうその時点で学校に遅刻する。遅刻するくらいなら、学校へは行かない。学校なんて、そこまでして行くほどの価値はない、そう思っていた。いつからか浩人にとって朝ドラは、学校へ行くか行かないかの、ボーダーラインになっていた。そしてできるなら、この四月に放映が始まってまだそれほど間がない、朝ドラの新シリーズの続きが観たかったのに、そんな気もしていた。
もし今頃家にいれば朝ドラも観終えて、惰性で奥様番組か、民放のモーニングショーでも観ているであろう八時四十分、始業のチャイムが鳴った。が、誰一人席に着こうとはしない。市内有数のマンモス校、東野中学校はまた、不良が多いことでも有名であった。そういえばこの教室にも、リーゼント頭やらだぼだぼズボンやら、いかにもそれらしい奴らが何人かいる。暗い教室だった。そんな数人の不良どもと、すぐ南にある木造校舎の影が、他の生徒までをも暗くし、教室全体の雰囲気をも暗くしてしまうのだろうか? 浩人は、長く学校を欠席していた自分の机と椅子が、この暗い教室から抹殺されてしまっていたことに、多少のショックを覚えながら、しばらくただそこに突っ立っていた。
「なんちゅうひどいクラスやねん」
浩人が学校を長期間休んだのは、これが初めてではない。小さな頃から体が弱く、よく病気をした。風邪をひけばすぐ高熱が出て、一、二週間寝込むし、大病で入院して数ヶ月間学校に行けないこともあった。ただそうしてどれだけ長く休んでも、久しぶりに登校した教室には、いつもの自分の席が待ってくれていた。しかしこの教室には、浩人の席はなかった。
(続く)