そんなチャンネル争いも泣きの涙も、家庭から消えたことがある。この年、浩人の中学校生活四回目の夏休みの直前、父長保が、肋膜炎(ろくまくえん=現在でいう胸膜炎)で入院してしまったからである。
父と子の些細な争い事はなくなったものの、これまで病気らしい病気もしたことがない長保の入院は、チャンネル争いのそれとは較べものにならないほどの、家庭の一大事であった。松江は、夫の入院する街の病院まで、バスを乗り継ぎ、一時間余りかけて通った。週に四、五回は通っていた。その度に大きな荷物を提げていた松江の腕は、長保の退院する三ヵ月後には、腱鞘炎(けんしょうえん)にかかってしまうほどになる。浩人も時々は荷物を持って、松江に付き添い、病院にいる長保を見舞った。しかし満保だけは、一度も病院に足を運ばなかった。喧嘩のプロみたいに恐いものなしの満保にも、どうしても勝てないものがあった。それが病院であり、医者である。松江も浩人も、満保を何度か病院に誘ってみたりしたが、結局行かなかった。
その満保が、一度だけ病院の近くまで行ったことがあった。七月も終わりに近づいた頃、浩人と二人で、映画を見に行った時のことだ。夏休みには一度街に出て、映画を観る。それがこの兄弟の子供の頃からの習慣だった。子供の頃はどちらかの親が同伴で、漫画映画や怪獣映画を観ていたが、兄満保が高校生になった頃からであったか、兄弟二人で観にいくことを、親も認めるようになっていた。この当時は、オカルトものやパニックものが流行(はや)っていて、その夏休みに兄弟が観たのは、大きなタンカーが、テロリストによってシージャックされるというパニック映画、『東京湾炎上』であった。映画の後、ハンバーガーショップで立ち食いしながら、浩人は「病院に行かへんか?」と兄を誘ってみたのだが、案の定満保は「帰ろ」と言うので、結局この時も病院へは行かず、帰ることにした。
(続く)
父と子の些細な争い事はなくなったものの、これまで病気らしい病気もしたことがない長保の入院は、チャンネル争いのそれとは較べものにならないほどの、家庭の一大事であった。松江は、夫の入院する街の病院まで、バスを乗り継ぎ、一時間余りかけて通った。週に四、五回は通っていた。その度に大きな荷物を提げていた松江の腕は、長保の退院する三ヵ月後には、腱鞘炎(けんしょうえん)にかかってしまうほどになる。浩人も時々は荷物を持って、松江に付き添い、病院にいる長保を見舞った。しかし満保だけは、一度も病院に足を運ばなかった。喧嘩のプロみたいに恐いものなしの満保にも、どうしても勝てないものがあった。それが病院であり、医者である。松江も浩人も、満保を何度か病院に誘ってみたりしたが、結局行かなかった。
その満保が、一度だけ病院の近くまで行ったことがあった。七月も終わりに近づいた頃、浩人と二人で、映画を見に行った時のことだ。夏休みには一度街に出て、映画を観る。それがこの兄弟の子供の頃からの習慣だった。子供の頃はどちらかの親が同伴で、漫画映画や怪獣映画を観ていたが、兄満保が高校生になった頃からであったか、兄弟二人で観にいくことを、親も認めるようになっていた。この当時は、オカルトものやパニックものが流行(はや)っていて、その夏休みに兄弟が観たのは、大きなタンカーが、テロリストによってシージャックされるというパニック映画、『東京湾炎上』であった。映画の後、ハンバーガーショップで立ち食いしながら、浩人は「病院に行かへんか?」と兄を誘ってみたのだが、案の定満保は「帰ろ」と言うので、結局この時も病院へは行かず、帰ることにした。
(続く)