西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

北校舎 6

2006年01月18日 01時22分55秒 | 小説
 無言の始業式で始まり、やはり無言のまま終業式を迎える。そんな学期は、浩人の学校生活の中で、その時限りである。話をする友達がいない。同じ教室にいながら、一言の言葉を交わすことすらないクラスメイト達も、浩人には別の世界の人間でしかなく、そんな奴らに興味や関心はなかった。しかしその日、終業式を終えたその教室で、ひとつの小さな事件があった。その時は小さな事件であったが、それは後に、浩人に強烈な印象を甦らせることとして、忘れられない出来事となった。
 七月二十日の照り付ける太陽の下、運動場に全校生徒を集めて行われた終業式が終わり、それぞれの教室へ帰ってきた生徒一人一人に、白川先生から通知表が手渡された。次いで先生は、自分の担当する国語の宿題だと言って、子規や啄木、茂吉、鉄幹、晶子らの短歌が書かれたプリントや、夏休みの諸注意が書かれたプリントなどを配った。その後、クラスのほとんどである受験生達に、夏休みの重要性を改めて説き、春、数ヶ月前に自ら黒板の上に貼ったのであろう「狭き門より入れ」と大きく書かれた紙を指差した。そして先生は、最後にお決まりの如くこう言った。
「九月には、全員元気に再会しましょう」
 起立して、礼をすると同時に、掃除当番が箒(ほうき)を使いやすくするため、いつも通り、生徒全員がそれぞれの机と椅子を、教室の後方に引き摺り寄せた。その直後、小さな事件は起きた。大矢明(おおやあきら)と香川克利(かがわかつとし)が、突然、掴み合いの大喧嘩を始めたのだ。周りにいた生徒達も、一瞬、何事が起きたのか分からず、そのまましばらくは、呆気(あっけ)にとられて見ていた。浩人もまた、しばらく帰宅することも忘れて、この二人の対決を遠巻きに眺めていた。

(続く)