西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

北校舎 4

2006年01月16日 00時47分02秒 | 小説
「僕の、机と椅子がないんです……」
 浩人が耳打ちをするように話すその言葉を、終いまで聞かない内に、白川先生は皺だらけのままの顔を、うん、うん、と二度三度大きく縦に振った。それはなぜか「すべては合点している」という面持ちであった。
「栗栖君はそこに座っとりなさい」
 先生にそう言われて、浩人はまだ席に着いていない誰かの席を借りて座った。どうせ便所にでも行っているのか、他のクラスの奴らと話し込んでいるのか、そんなところであろう。いずれにしても、担任の先生が既に教室に来ているのに、どこかへ行ってしまって、まだ席に着いてもいないという、そういういい加減な奴が、その内この席に帰ってくることを思うと、その借りの席は、居たたまれなくなるほど、居心地がよくなかった。
 白川先生はひと通り簡単に出欠を採り、取り立てて何も言わず、何もせず、教室を出ていってしまった。張り切り救世主のあまりにあっけない退場に、浩人はまた動けなくなりそうだった。が、さすがに居心地の悪い席には耐え切れず、立ち上がり、さっきまで立っていた教室の片隅に戻ろうとした。それを情けなくも感じたが、誰かの席を借りているよりかは、よほどましに思えた。そして浩人は、そこでまた動けなくなった。

「ちょっとそこ通してんか」
 廊下からやや大きな声が聞こえて、再び止まってしまっていた浩人の周りにある空気が、また動いた。ホームルームの時にはいなかった何人かの生徒が、教室に帰ってきたのだ。恐らく、浩人が借りていた席の主もいるのであろう。さて、どれほどワルそうな奴らだろうか? 浩人は少しばかり不安を感じながら身構えて、彼らの入ってくる、教室の後ろの方の扉に注目した。だが、その浩人の想像は、あまりにも的外れなものであった。
 扉付近でたむろしていた数人の生徒を分けて、まず始めに教室に入ってきたのは、机であった。それを二人の男子が運んでいる。後にもう一人、椅子を持った男子が続く。それらはまさしく、浩人のために用意された机と椅子に違いなかった。

(続く)