憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

悠仁殿下の作文、顛末。

2022-04-11 15:24:58 | 悠仁殿下
😟 悠仁殿下の引用作文騒動に一応の結着がつけられた。
振り返ってみれば、筑波大付属高校へ提携校進学制度を利用して進学されることは進学制度が作られた時から決まっていたのでしょう。
進学制度の利用を詰めて行く過程で推薦に値する実績の一つとして「作文提出、受賞」計画が組み込まれたのだろうな、と今は解る。

悠仁殿下の入賞が出来レースであったとしても、私はそのような計画を立てなくてはならなかったこと自体を嘆きたい。
<天皇>は唯一の特別な存在。特別な存在になられるために学ばれる特別なかたには提携校進学制度すら必要ないという考え方もあるはずだ。

筑波大付属高校であろうが東大であろうが<天皇>という唯一無二の存在になる特別な方には、<特別なかたである>ことが即ち入学資格なのだ。
それで押し通すことに何の問題があるのか、と、今回私の目からは姑息に見える提携校進学制度や作文応募をコソコソと画策したかたに伺いたい。

主催者側も打診を受けた段階で「平均レベルなら佳作、平均レベル以上の出来ならその時考える」と決めていたのだろう
悠仁殿下の作文は私が見たところでは平均レベル。その他大勢の凡作を審査員たちが褒めそやしているのは面はゆかったが相手が皇位継承順位第2位の悠仁殿下であるのでご祝儀は当然と見ていた。
私が、小室の平均レベル以下の論文に賞を与えることを非難し、悠仁殿下の佳作は認めるのは小室は一人の一般人であり、悠仁殿下は<特別なかた>だからです。

悠仁さま、作文の記載漏れ追記しご提出 参考文献など
2022/4/8 19:22 
秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまが中学2年の時に執筆し、北九州市のコンクールで佳作を受賞した作文で見つかった記載漏れについて、宮内庁は8日、悠仁さまが参考文献など必要な部分を追記した上で、市に提出されたと明らかにした。

コンクールを主催した市立文学館によると、同館の担当者や選考委員らが受け取った作文を再度確認し、ホームページ上で公開している受賞作品集の差し替えなどを検討している。

悠仁さまは平成29年に秋篠宮妃紀子さまとともに東京都の小笠原諸島を訪れた際の思い出を作文にまとめ、昨年3月、同館の「第12回子どもノンフィクション文学賞」の中学生の部でで佳作を受賞された。今年2月に外部から「参考文献に挙げられていない文献と酷似した表現がある」と宮内庁に指摘があり、悠仁さまが確認作業に取り組まれていた。

😐 はい!これで終わり。この件はこれ以上でもこれ以下でもない出来事です。

悠仁殿下はあまり乗り気ではない中、周囲の大人達の顔を立てるために作文を提出され、それと知らずにした過ちを認めたことを示すために追加修正を提出されたのでしょう。
以後は同じ過ちを繰り返されることは無いでしょう。




😊 いっちゃ何ですが、美智子さまが二十歳で賞を取られた『虫くいのリンゴではない 』も他人の言葉の引用(しかも、どこか自慢げ)をもって自分の考えとして語ることを繰り返しているため、全体通して何が言いたいのかスッキリしない変な文章です。
美智子さまの文章はその後洗練されていきますが、全体の傾向は変わらず今に至っているようです。回りくどくいやらしいまでにベタベタと湿り気が多い文章にさり気ないこれ見よがしを入れ込んでいる。お人柄でしょうか。
悠仁殿下の文章にはスッキリとした味わいがある。こちらもお人柄でしょうか。


4月11日~17日 ご予定

2022-04-11 12:41:58 | ご予定
宮内庁は11~17日の予定を発表した。上皇ご夫妻は26日に控える東京・元赤坂の赤坂御用地内への転居に備え、12日に仙洞仮御所(東京都港区)を出発し、転居まで葉山御用邸(神奈川県葉山町)に滞在する 

😇 コロナのためしばらく行くことが叶わなかった御用邸に滞在するのも目的なのでしょうね。暑くも無く寒くもない良い季節、葉山の海も長閑でしょう。

皇嗣家(秋篠宮ご一家)
4/11(月)
紀子さま 清瀬市郷土博物館ほか(「テーマ展示『結核療養と清瀬』鑑賞ほか)

4/13(水)
秋篠宮ご夫妻、佳子さま 赤坂東邸(国立国際医療研究センター国際感染症センター長から説明)

4/15(金)
秋篠宮ご夫妻 赤坂東邸(外務省国際法局長から説明)

三笠宮家
4/12(火)
彬子さま 宮邸(赴任ナミビア駐箚特命全権大使夫妻と面会)

4/15(金)
彬子さま 帝国ホテル(「第54回市村賞贈呈式」に京都産業大学からオンライン参加)

高円宮家
4/13(水)
久子さま 日本橋高島屋(圓照寺門跡 山村御流いけばな展)


😇 天皇御一家は今週も予定が発表されていません。
天皇家に関しては、なにがしかの活動をされることが決まっていても予定としては発表しないことになったようです。

久子さまは生け花展にお出まし。 女性皇族には華やかなお出ましがお似合いです。というのは<差別>でしょうか。
汚いものは見たく無い、綺麗なものが見たい、という願いも<差別>に繋がるのか?難しいですね。




山村御流
と聞くと思い出されるのは山本静山尼です。
一時三笠宮崇仁親王殿下の双子の妹ではないか、と過熱報道されたこともありました。


圓照寺門跡(臨済宗妙心寺派)
圓照寺は御水尾天皇(ごみずのおてんのう 1596~1680)の第一皇女文智女王によって建立されました。文智女王は1619年にご誕生。御出家された後、京都修学院(現在の修学院離宮)に小庵を建てられ、その後、1669年に現在の地(奈良市山町)に圓照寺の基礎を築かれました。
(門跡とは、皇子、皇族、貴族の子弟がその法統を伝えている寺院です。)
 
華道山村御流
圓照寺門跡を建立された後水尾天皇の第一皇女文智女王は、御生母様のご冥福を祈られるために毎年三月の花の頃に奉花会(ほうかえ)を催されました。これが代々受け継がれて、明治時代に第六世文秀女王が「華道山村御流」を興され、初代の家元として第十世門跡山本静山尼公が就任されました。以来、「花は野にあるように・素朴枯淡」を神髄とし今日にいたっております。現在は第十三世門跡萩原道秀様がお家元を務めていらっしゃいます。

😇 当時の報道は、山本静山尼が高松宮殿下の妹である証拠として、香淳皇后以下女性皇族が静山尼から山村御流を学んでいること、貞明皇后、高松宮殿下がしばしば圓照寺 に山本静山尼を訪ねたことを状況証拠としてあげていましたが、はたして三笠宮殿下が双子であったかどうか…。





不美人と言われる貞明皇后も若い頃は知的美人。
静山尼と親子関係はあるやなしや?

三笠宮崇仁殿下は間違い無く貞明皇后のお子さまだと解ります。

静山尼と御兄妹? うーん?


4月4日~10日 ご動静

2022-04-11 12:28:49 | ご動静
宮内庁が4日発表した天皇家のご予定

天皇、皇后両陛下、愛子さま
4/5(火)
天皇陛下 蓮池参集所(賢所勤労奉仕団と面会)

実際の御活動
(5日)
【午前】
陛下 賢所勤労奉仕団ご会釈《神武天皇祭皇霊殿の儀・皇霊殿御神楽の儀奉仕につき》(皇居・蓮池参集所)
【午後】
陛下 ご執務(御所)

(7日)
【午後】
陛下 小宮山宏・公益財団法人国際科学技術財団理事長ほかから進講お受けに(御所)

(9日)
【午後】
両陛下 悠仁さまからごあいさつ《筑波大学付属高校ご入学につき》(御所)


ご執務 週1回 午後 

😇 ご会釈には陛下お一人がお出まし。
成年会見を終えられた愛子さまがお母さまの代わりに出て来られるのでは?
と期待したが叶いませんでした。もしや奉仕団からコロナに感染して皇后陛下に感染させてはいけないという配慮でしょうか。
では陛下のお出ましはどう解釈したら良いのか。

😇 9日午後、悠仁さまからのご挨拶の場には両陛下とともに愛子さまもいらっしゃったと報じられました。
しかし、宮内庁のご動静発表には愛子さまの御名がありません。
悠仁殿下から両陛下へのご挨拶は「公」、しかし愛子さまのご出席は「公」では無かったからでしょう。
「公」の場に、愛子さまを私的に参加させる。。。今上家のこのようなやりかたはだらしがない。天皇家は皇嗣家より立場が上だから、皇嗣家に対しては何をしても良いと思っているのでしょうか。

親戚としてアットホームな場を持ちたかったら挨拶が終わってから、御所のプライベート部分の一室で愛子さまを交えて歓談したらよろしいでしょう。

😇 小宮山 宏 (こみやま ひろし、1944年(昭和19年)12月15日 - )工学者。三菱総合研究所理事長、第28代東京大学総長。
陛下は地球環境工学の立場からの地球温暖化対策に関するお話を聴かれたのでしょうか。次の講演や<御言葉>に備えて気の利いた言葉を仕入れておこうとされたのかも、ね。


瑶子さまの飾らないお言葉 社会部・緒方優子
2022/4/9 08:00緒方 優子
 
「わたくしは、皇族の中であまりメジャーなタイプではないので…」
三笠宮家の瑶子さまの飾らないお言葉に、どこかで触れたような懐かしさと、親しみやすさを感じた。

先月、埼玉県入間市で行われたヒアリングフレイル(聴覚機能の衰え)に関する講演会。関係するNPO法人の名誉総裁として臨席された瑶子さまは、お言葉の冒頭、会場を見渡すと、「皆さまのご年齢でしたら、『ヒゲの殿下』(寬仁親王)と言ったらお分かりになるかもしれませんが、その2番目の娘です」と自己紹介。テーマに沿った自然な流れの中で、ご自身の難聴の症状を明かされた。 

20代の頃から、低い音や高い音の一部が聞き取れない「感音性難聴」のご症状があること。近くで警護に当たる護衛官と会話をされる際にもかみ合わず、「まあいいや」と意思疎通をあきらめてしまう場面があること。皇族として人の話に耳を傾けられることが多い立場で、「『もう一度言っていただけますか』というのはなかなか言いづらい。こういうことを言っていらっしゃるんだろうな、と想像しながらお話を伺っているというのが実際でした」。 

淡々と、それでいてドキッとするような率直さを持って紡ぎ出される言葉の一つ一つに、少しずつ会場全体が引き込まれていくように感じた。 

実際に、シンプルなグレーのパンツスーツ姿の瑶子さまが関係者とともに会場のホールに入られた際、客席ではそのお姿に気づいていない人も多かった。それでも、10分ほどのスピーチを終えて壇上を後にされる際、会場は大きく、温かな拍手に包まれていた。「自分の体験を語ることで、聞いている人にも親近感を持って耳の問題を考えていただけるのではないか」。終了後、瑶子さまはお言葉に込めた思いについて、関係者にこう打ち明けられたという。 

平成24年に薨去(こうきょ)した寬仁親王は、ざっくばらんな人柄と語り口で皇室と国民の距離を縮めた。長年、心血を注いだ障害者福祉の活動の一部は、瑶子さまが引き継がれている。

「今後、活動を増やしていきたい」。瑶子さまが講演会で語られたとおり、その率直な思いや、ご活動に触れる機会が、多くの人にとってもっと、身近になればと思う。

😇 瑤子さまが御自身の体験を語る御決断も良かったが、緒方優子さんの文章も良い。
このような皇族の自然な御活動が増えて行くこと、それを暖かく報じる報道が増えて行くことを願います。