石上神宮への参道で見かけた万葉の歌碑は柿本人麻呂やった。
をとめらが袖ふる山の瑞垣(みづかき)の久しき時ゆ思ひき我は(4-501)
【通釈】少女たちが袖を振る――その「ふる」ではないが、布留山に古くからある瑞垣――そのように久しい昔から、ずっとあの人を思い続けていたのだ、私は。
【語釈】◇をとめら 原文は「未通女等」。未婚の少女ら。◇袖ふる山 「袖」までが「振る」の縁で地名「布留」を導く序。布留山は今の天理市布留、石上神宮のある山。◇瑞垣 神域を限る垣。普通石垣であった。「瑞垣の」までが「久しき時」を起こす序。
【補記】巻十一には「柿本朝臣人麻呂之歌集出」として、よく似た歌「處女らを袖ふる山の瑞垣の久しき時ゆ思ひけり我は」が載る。また古今和歌六帖・拾遺集には「をとめごが袖ふる山のみづがきの久しきよより思ひそめてき」とあり、平安期以後の歌書にはこの形で引用されることが多い。
【他出】古今和歌六帖、拾遺集、俊成三十六人歌合、古来風躰抄、時代不同歌合、定家八代抄、夫木和歌【主な派生歌】
わぎもこが袖ふる山の桜花昔にかへる春風ぞ吹く(藤原家隆)
をとめごが袖ふる山の玉かづら乱れてなびく秋の白露(〃[続後撰])
幾千世ぞ袖ふる山の水垣も及ばぬ池にすめる月影(藤原定家[新後撰])
花の色をそれかとぞ思ふ乙女子が袖ふる山の春のあけぼの(九条良経[新続古今])
ながめてもいかにかもせむわぎもこが袖ふる山の春の曙(後鳥羽院)
わぎもこが袖ふる山のうす紅葉それかとまがふ秋の夕暮(〃)
いとはやもすずしき風かをとめごが袖ふる山に秋たつらしも(*後二条院)
天津風雲吹きとづな乙女子が袖ふる山の秋の月影(津守国夏[続千載])
石上布留の地にある古社石上神宮=布留社を詠った歌は多い。
石上 振乃神杉 神備西 吾八更々 戀尓相尓家留(万葉集巻十・第1927番)
(石上 布留の神杉 神びにし 我や更々 恋にあひにける)
石上 振神杉 神成 戀我 更為鴨(巻十一・2417柿本人麻呂歌集)
(石上 布留の神杉 神さびて 恋をも我は 更にするかも)
未通女等之 袖振山乃 水垣之 久時従 憶寸吾者(巻四・501柿本人麻呂)
(をとめらが 袖振山の 瑞垣の 久しき時ゆ 思ひき我は)
處女等乎 袖振山 水垣乃 久時由 念来吾等者(巻十一・2415柿本人麻呂歌集)
(をとめらを 袖振山の 瑞垣の 久しき時ゆ 思ひけり我は)
石上 振之高橋 高々尓 妹之将待 夜曽深去家留(巻十二・2997)
(石上 布留の高橋 高々に 妹が待つらむ 夜ぞ更けにける)
をとめらが袖ふる山の瑞垣(みづかき)の久しき時ゆ思ひき我は(4-501)
【通釈】少女たちが袖を振る――その「ふる」ではないが、布留山に古くからある瑞垣――そのように久しい昔から、ずっとあの人を思い続けていたのだ、私は。
【語釈】◇をとめら 原文は「未通女等」。未婚の少女ら。◇袖ふる山 「袖」までが「振る」の縁で地名「布留」を導く序。布留山は今の天理市布留、石上神宮のある山。◇瑞垣 神域を限る垣。普通石垣であった。「瑞垣の」までが「久しき時」を起こす序。
【補記】巻十一には「柿本朝臣人麻呂之歌集出」として、よく似た歌「處女らを袖ふる山の瑞垣の久しき時ゆ思ひけり我は」が載る。また古今和歌六帖・拾遺集には「をとめごが袖ふる山のみづがきの久しきよより思ひそめてき」とあり、平安期以後の歌書にはこの形で引用されることが多い。
【他出】古今和歌六帖、拾遺集、俊成三十六人歌合、古来風躰抄、時代不同歌合、定家八代抄、夫木和歌【主な派生歌】
わぎもこが袖ふる山の桜花昔にかへる春風ぞ吹く(藤原家隆)
をとめごが袖ふる山の玉かづら乱れてなびく秋の白露(〃[続後撰])
幾千世ぞ袖ふる山の水垣も及ばぬ池にすめる月影(藤原定家[新後撰])
花の色をそれかとぞ思ふ乙女子が袖ふる山の春のあけぼの(九条良経[新続古今])
ながめてもいかにかもせむわぎもこが袖ふる山の春の曙(後鳥羽院)
わぎもこが袖ふる山のうす紅葉それかとまがふ秋の夕暮(〃)
いとはやもすずしき風かをとめごが袖ふる山に秋たつらしも(*後二条院)
天津風雲吹きとづな乙女子が袖ふる山の秋の月影(津守国夏[続千載])
石上布留の地にある古社石上神宮=布留社を詠った歌は多い。
石上 振乃神杉 神備西 吾八更々 戀尓相尓家留(万葉集巻十・第1927番)
(石上 布留の神杉 神びにし 我や更々 恋にあひにける)
石上 振神杉 神成 戀我 更為鴨(巻十一・2417柿本人麻呂歌集)
(石上 布留の神杉 神さびて 恋をも我は 更にするかも)
未通女等之 袖振山乃 水垣之 久時従 憶寸吾者(巻四・501柿本人麻呂)
(をとめらが 袖振山の 瑞垣の 久しき時ゆ 思ひき我は)
處女等乎 袖振山 水垣乃 久時由 念来吾等者(巻十一・2415柿本人麻呂歌集)
(をとめらを 袖振山の 瑞垣の 久しき時ゆ 思ひけり我は)
石上 振之高橋 高々尓 妹之将待 夜曽深去家留(巻十二・2997)
(石上 布留の高橋 高々に 妹が待つらむ 夜ぞ更けにける)
石碑の2行目『久時○○寸吾者』の○○がどうしても読めませんでした。
こんな難しい文字を万葉人たちは詠んでいたのですね~。
それにしても漢字だけの文字をひらがなで五七調に詠んだ人もすごいですね。
私、理系だったので古文は苦手でした。
もう、丸暗記しか対策はなく・・・
だから、まったく応用がきかないのです。
>未通女・・・いいなあ!!!
そうですねぇ~
なかなかの表現。
古代の方は表現豊かです!