あの日,大阪・茨木で立ち寄った“茨木市立川端康成文学館”。
そこには彼の年譜があった。
その中で交遊関係には“横光利一”のことが書かれていた。
“横光利一”・・・
先日,伊賀上野のお城で,“横光利一”のことを書いた川端康成の碑を見たばかり。
しかし,伊賀上野で撮った写真を探しても,その写真は見つからず・・・
お城の石垣のすぐ下にある三重県立上野高校の校門前にも“横光利一”の碑があったけど,それは川端康成ではなかった。
大阪・茨木は川端康成が旧制中学校時代をすごした街。
“伊賀上野”は横光利一が旧制中学校時代をすごした街。
青春時代をすごした街って,その人の人生に大きな影響を与えたはず。
なお,県立上野高校の卒業生には,榊莫山,椎名桔平,平井堅,そして○○がいる。
@上野高校・明治校舎
伊賀上野城を下り,「白鳳門」をくぐって大通りへ出ると、西隣が上野高校(崇廣堂【藩校】の武道館跡)。
横光利一が学んだ明治時代の校舎が今もあり、屋根越しに「伊賀上野城」の屋根が見える。
横光利一は明治44年当時の県第三中学校(今の上野高校)に入学し、卒業までの5年間この校舎で学んだ。
大正末期に発表した「日輪」や「頭ならびに腹」等によって、川端康成らと供に「新感覚派」と呼ばれ、後に「機械」、「上海」、「紋章」、「家族会議」を発表し、昭和初期文壇を代表する作家となったが、長編「旅愁」が未完のまま、昭和22年病没した。
伊賀上野城「高石垣」の高台に「川端康成」が「横光利一」を偲んだ石碑が建っている。
そこには彼の年譜があった。
その中で交遊関係には“横光利一”のことが書かれていた。
“横光利一”・・・
先日,伊賀上野のお城で,“横光利一”のことを書いた川端康成の碑を見たばかり。
しかし,伊賀上野で撮った写真を探しても,その写真は見つからず・・・
お城の石垣のすぐ下にある三重県立上野高校の校門前にも“横光利一”の碑があったけど,それは川端康成ではなかった。
大阪・茨木は川端康成が旧制中学校時代をすごした街。
“伊賀上野”は横光利一が旧制中学校時代をすごした街。
青春時代をすごした街って,その人の人生に大きな影響を与えたはず。
なお,県立上野高校の卒業生には,榊莫山,椎名桔平,平井堅,そして○○がいる。
@上野高校・明治校舎
伊賀上野城を下り,「白鳳門」をくぐって大通りへ出ると、西隣が上野高校(崇廣堂【藩校】の武道館跡)。
横光利一が学んだ明治時代の校舎が今もあり、屋根越しに「伊賀上野城」の屋根が見える。
横光利一は明治44年当時の県第三中学校(今の上野高校)に入学し、卒業までの5年間この校舎で学んだ。
大正末期に発表した「日輪」や「頭ならびに腹」等によって、川端康成らと供に「新感覚派」と呼ばれ、後に「機械」、「上海」、「紋章」、「家族会議」を発表し、昭和初期文壇を代表する作家となったが、長編「旅愁」が未完のまま、昭和22年病没した。
伊賀上野城「高石垣」の高台に「川端康成」が「横光利一」を偲んだ石碑が建っている。
春が楽しみですね!
でも,雪が舞ってきました・・・
伊賀上野へは,京都駅からJR奈良線で木津へ。
そこから関西本線に乗り換えて伊賀上野駅下車でしょうか。
伊賀上野城と忍者屋敷,芭蕉の蓑虫庵などが見所です。
私の大好きな町です!
山桜さんのご実家のお墓がどこにあるか知らないのですが,これもなにかの縁ですよねぇ~
>○○ってどなた??
もちろん,私と人生の苦楽を共にしてくれている人です!
本名はトシカズさんらしいですけど、墓石にはちゃんと
このままのお名前が彫ってあるので割りに見つけやすいです。
三島由紀夫さんなどは本名を知らないとちょっと分からない
のですけれど、家のお墓の近くです。
鎌倉とんぼさんは川端康成さんとお知り合いで、
奥様に依頼されてお墓を建てられたそうです。
あれ、なんだかお墓の話ばっかりになってスミマセン(。。;)>
龍馬の残した文じゃないけれど、○○ってどなた??