うろこ玉絵日記

日々のなにげない一こまを絵日記にしてみました。大阪に近い奈良県在住です。
マウスでかいてまーす。

あっちゃん

2007-05-31 | Weblog
おみやげに持ってきてくれたタカシマヤのマンゴのケーキ。

高校時代の友人が2年ぶりにたずねてきてくれました。
彼女と私は同級生でたった二人の美術部員だったのです。

毎日熱心に美術室に通うような部員ではなかったけれど
(かといって他に熱中するものがあったわけではなかったのですが)
油彩に真剣に取り組んだのは、私にとってはあとにもさきにも、あの頃だけだと思います。
彼女は美大への道を選び、臆病で向上心のない私は、大好きな絵をなりわいにする勇気が持てずにふらふらするのでした。

いま思い出せば、後輩たちと山北に泊りがけで絵を描きにいったり、
彫刻の森美術館の帰りに泊まった、友人のおばあちゃんがもたせてくれたお土産が
岩堀さんとこの干物だったりとなんか淡い縁のようなものを感じます。

うまれたときから猫がいたという彼女と猫談義で盛りあがりました。
我が家の猫をたくさん可愛がって、帰りました。





ハモニカとたてぶえ

2007-05-29 | Weblog
ほいさん夫妻が遊びにきました。
お赤飯、ゴーヤチャンプルー、じゃがいもとひき肉の煮たの、にんじんの葉のあえもの
あと「火牛」(小田原のお酒です)をもってきてくれました。

私はキムチとキュウリのあえもの、にんじんの葉とたまねぎのサラダ、ピータン豆腐、春雨スープを作りました。夫がレタスと卵の炒め物を作りました。

ランドセルを娘が持ってきました。
宿題をちゃぶ台ではじめるそばで大人は国語の教科書を読み出したり
音楽の教科書をみながら私の弟がくれたハーモニカをふきだしたり。

娘のたてぶえとほいさんのハーモニカで共演・・・♪
夕焼け小焼け、アマリリス、スケーターズワルツ。なつかしい。

「このハーモニカはブルースハープですよ」
「オルガンのメーカーですね。いいものです」とほめてくれて、

ほいさんの奥さんのともこさんは酔ってにこにこしながら
「これって、形見でしょ?」ちがうちがう。

前田さんの講演会

2007-05-27 | Weblog
子どもたちがうるさくしたので子守りをしたり
ハプニングがあったりではじめの20分くらいしかまともに聴けませんでした。
軍隊のない国アルバムの写真は記憶に残っています。

それでも平和憲法を「守る」ではなく「いかす」ことへの転換をしていくのが、とても重要だと身にしみました。

この日はじめて会った若者が仲間に入ってくれたのが収穫でした。
一緒に勉強したり、署名で街頭に立ったり、請求が終わった後もつながっていけるかな、
と勝手な想像をふくらませつつ、国立の前の市長の上原さんが
「この運動は仲間作りの運動でもあります」とおっしゃっていたのが納得なのでした。

アイラブオダワラ?

2007-05-25 | Weblog
今日一緒にすてきなお昼を食べたひとが
「そこの道路が日本でいちばん危険な通学路だってニュースでやっていたらしいよ」
と笑った。

マンション問題でTVにとりあげられたのもつい何年かまえ。

その前もなんか早川であった気が。

そして今オダワラ市民の間でもちきり(?)の城下町ホール建設問題。
5月中にテレビニュースに流れる予定、とのこと。

不名誉なことばかりですね。なんだか。

中帰連のおじいさん

2007-05-23 | Weblog
元中国帰還者連絡会のおじいさんたちと交流しています。
2002年に解散したこの会は、中国で終戦を迎え、シベリアでの労働を経て
再び中国、撫順戦犯管理所から帰国した「元戦犯」約1000人で成り立っていました。

「アカだ」「首を切ってしまえ」という誹謗、中傷に屈せず
自分たちが中国でしてきたことを語りつづけてきました。
もう連絡を確実にとれる会員は70人を切ったそうです。

札幌の大河原さんは、折りにふれ手紙をくださいます。電話がないそうで
いつも手紙です。しっかりした文字で
「学習しましょう。私の後半生は学習の後半生でした。それもまもなく終わろうとし
ています。一つ、二つ・・・と物事の真理を掴んでゆきましょう」
と熱い文を何枚もつづってくださいます。
10月に小田原にいらっしゃいます。

秦野の久保寺さんは、電話だったり手紙だったり。
昨年わたしたち「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」のお願いで証言を始めてからは、
ジャパンタイムスに取材されたり、ポーランドのジャーナリストが訪ねて来たり、
横浜で講演をしたりと大忙しです。
「まさか自分が生きているうちに憲法が変えられて、また戦争になるかもしれないなんて
ことはね、想像しなかったですよ」と、いつもほのぼのと語るのです。
今朝7時すぎに
「6月3日の元731部隊の篠塚さんのお話は行くのでね。よろしく頼みます」
と電話がありました。


いつかこの大好きな人たちはいなくなる。
実際にしてきた、みてきたひとが存在する現在ですらこの惨状だというのに
いなくなってしまったらどうなるの?と不安でいっぱいです。

「若いあなたたち、たのみますよ」と爽やかに優しくいつも言われるけれど
一人になると押しつぶされそうで涙が出そうになります。

ハンマーナイフ

2007-05-21 | Weblog
回転する刃で草をこなごなにします。
田んぼのレンゲ草をこれで細かくして、そのあと水を入れるとすぐ腐食して
よい肥料になるそうです。

ガソリン入れて、紐ひっぱってエンジンかけて、
すごい音で動き出す、古い機械が好きです。

わたしは週末妹家族のうちでのんびりすごしたので元気いっぱい、
「今年もこの季節がやってきたねー!」とわくわくガタガタやっていたのですが
ひとやすみして再び機械を移動していると、止まってしまいました。


シリンダーが割れていたそうです。
「寿命だね。仕方ない」ヌカダさんが言いました。
今まで正確な分析と狂いのない修理で、何度も息を吹き返させた天才ヌカダさんが言うのだから、ほんとにそうなのでしょう。

錆びて穴だらけだった鉄板もきれいに取り替えて、緑のペンキを塗って
とてもすてきだったのに。
田んぼの真ん中で分解されたまま置かれたハンマーナイフは
「もっと働きたかったよ!」と言っているか
「やっと休まるね」と言っているか?

朝の風景

2007-05-17 | Weblog
「ねー、やすんじゃだめー?」
「なんで学校いかなきゃいけないのよー」

「・・・ダメ。なんでまだパジャマなのよ」
「なんで色鉛筆だしてくるの。着替えてって言ってるでしょ」

もくもくと姉が支度を整える傍らで、絵の世界に没頭する弟。時間割も揃えていない!

「猫は連れてけないのよ」
「ランドセルしょって!」

「もう置いてくから」と毎朝はっぱをかけてくれる姉。集金袋を忘れている。
「ながぐつの中でダンゴムシしんでた」
「乾いてるからだいじょうぶ(?)はいてはいて!」

5分後に二人揃って戻ってくる。
「ハンカチわすれたんだって」姉が代わりに言ってる。



軍隊のない国家を訪ねて

2007-05-16 | Weblog
27日に小田原に前田朗さんをお呼びしています。
世界に27ある、軍隊のない国家を現地調査している大学教授です。

前田さんは世界の憲法で戦争放棄を盛りこんだものは少なくない、
また軍隊をもたない国も少なくない、と言います。

当たり前に兵隊や軍事施設にお金をかけることが「普通の国」、という声が大きくなるなかで
お話を聴けるのがとっても楽しみです。
城北タウンセンターいずみにて。13時半より。300えん。

先月の週刊金曜日より前田さんの文章を引用します。

「27もある軍隊のない国家は、実は第9条とは関係がない。戦争放棄条項は多少関係が
あるが、平和憲法の多くも日本国憲法憲法とは直接の関係を持たない。
 1946年から61年が経過した。この間に日本政府が第9条を世界に宣伝し、推奨してきたならば、今頃、世界には戦争放棄憲法があふれ、軍隊のない国家は100を数えていたのではないかと想像してみよう。現実は逆で、政府は第9条を捻じ曲げ、空文化することに精力を注ぎ込んできた。(略)「第9条は人類の宝」とはよく言われるが、憲法は飾っておくものではない。使うものである。使って初めて輝くものである。」