うろこ玉絵日記

日々のなにげない一こまを絵日記にしてみました。大阪に近い奈良県在住です。
マウスでかいてまーす。

納骨堂

2008-11-24 | Weblog
この連休は、昭島市にすむ母のところへ。

1時間たらずの場所に、国立ハンセン病資料館があると知ってひとりででかけた。



全生園のひろいひろい敷地をてくてく歩いて。



さまざまな名前がつけられた、平屋の寮がびっしり並んでいた。
通りにもそれぞれ名がついて。


教会があって、お寺があって、畑があって、
郵便局、マーケット、公園。


公園では近所の子どもたちがキャッチボールをして遊んでいた。




あたたかな陽射しに揺れる洗濯物。
庭にでている人。
浴場があるのか、洗面器を持って歩いている人。



やっぱり方向音痴のわたしはわからなくて、
車椅子の男性と、車椅子を押している職員らしい男性に声をかけた。



「こっちだよ」と言って職員の男性は
「ちょっと納骨堂はあとでいいかい」と車椅子の男性にことわってから
二人で入り口のみえるところまで案内してくれた。





資料館は、「誰が」このような政策を推し進めてきてそうなったのか、が感じられないつくりになっていた。
まるで天災にでも遭ったひとたちのような。
そんな客観的に、他人事みたいな書きかたでいいの。

それでも実際使われていたものや、当時の写真の展示は、
この国で、最近まですさまじい人権侵害がまかり通っていたことを
じゅうぶん物語っていた。



資料館をみたあと、わたしも納骨堂を訪ねた。



ここに眠る、国の誤った政策のなかで
家族と引き裂かれ、人間らしい生活を奪われ、尊厳の回復を切望したひとびとを思った。

ブリキの粗末な義足や、重監房の模型や、消毒で真っ白になった着物を思った。




「同情スルナヨナ・・・!」
胸に声がつきささる。


同情、しないよ。でも、知りたいんだ。





さきほどの男性は、しょっちゅうここに来るのかな。
あの男性にとっては、仲間の眠る場所であり、
自分がいつかおさめられる場所、なのかもしれない。



もう終わったのかと思えば、
まだまだ終わってないと思い、
いくらでも解決されていないことはあって、
それはまた新たな芽をはらんでいて、
もうそれはいくらでもあって。

ほんとうに身の回りやわたしのなかにもあって。



もうこんなひどいこと、繰り返させちゃだめだ。
わたしたちもそれを支えたりしないようにするよ。











そんなもんさ

2008-11-17 | Weblog
4年前に、今の文化住宅を借りることを決めたのは、
前が原っぱだったから。

この辺には公園がなくて、田んぼで遊ぶわけにもいかなくて
こんな誰も使わない草原があるのが、夢みたいにうれしかった。

夏はトンボが乱舞し、秋は虫の声がうるさいほどで
子どもたちは駆け回ったり、大好きなカナヘビを捕まえたりした。




最近息子がまともにキャッチボールができるようになったので
今日はバットのおもちゃを買ってきた。


玄関をあけようとして、なんとはなしに原っぱを見やると、杭が打たれて、ロープが張り巡らされている。


ああ、とうとう。



8年前に小田原に越してきてから、
どんどん家の周りの景観がかわることに恐怖にも似た感じを覚えている。

前借りていた家のときも、毎朝山がみえるのが気に入っていたけれど
あっという間に2階建て、3階建ての家々に埋め尽くされた。
壁しかみえなくなった。

そのうちわたしたちが越すと、ほかのひとたちも引越しを促され、
そこにもでっかいアパートが建った。
息子はしばらくそこの前を通るのを嫌がった。




バットを持ったまま、しばらくぼーっとしていたけど、作業しているおじさんに声をかけた。
親切な彼は、この土地の借主に携帯電話をかけ、わたしに持たせた。


物置を置くために使う。
すぐではないけれど、近い将来壁をめぐらし、入れないようにする。


「それまでは、どうぞ自由に遊んでください」
と明るい声でいわれ、
下校してきてやっぱりぼーっと立っている息子に事情を話し、
二人でロープをまたいで、ボールとバットとグローブで遊んだ。



息子はそのうちだんだん元気がなくなり、
急ぎ足で、泣き笑いのような顔でうちに入ると、
部屋のすみでうずくまって鼻をすすっていた。

「どこで虫捕まえればいいの?」
「カナヘビはどうなるの?」


泣いていいよ。
ママだって泣きたいもん。


でも、誰の所有でもない土地なんてないのだ・・・。
いままで黙って遊ばせてもらってたことに感謝しなきゃね。ああ。

ラブ アンド 

2008-11-15 | Weblog
おいしくて、たのしくて、きもちいいのは誰だってうれしくて
すぐつながれる。


怒ってたり、叫んだりしてるのには、なかなかつながれない。




だから、たのしい気持ちを、もって帰ってね。

それで、ちょっと思い出してくれたらいいな。




富士山

2008-11-11 | Weblog
曇っていたけれど、ある部分はすかっとひらけていて、
富士山もよく見えた。


なにやらそうごんな雰囲気での登場で
おいそれと「やあ!」なんて言えないような


こちらはまだのどかに青い草が茂っているもの。
あちらはもう氷の世界のような



霊峰といわれるゆえんかしらー、なんて思いながら
ぼろぼろのビニールの凧を出してきて、息子と揚げた。


ガムテープでつぎはぎだらけの凧は、強風にあおられて
ほんの少し、上空にとどまっていたけど
すぐにばたばたと音を立てて
回転しながら落っこちた。