朝目覚めて真っ先にコーヒーを淹れ、洗濯機をまわし、ご飯たきます。
土鍋で3合炊きます。
二人のこどもの朝ごはんとお弁当に。
残ったのは、わたしがたべます。
冷蔵庫が小さいので、あまりいれられません。
夕方は、子どもが3合といでおいてくれます。
仕事から帰って、たきます。
まず、残りません。
食べ盛り、育ち盛り。
といでたいてたべる
といでたいてたべる
この営みはいつまでつづくのでしょうか。
過ぎ去ってみれば、飛んでいったこまかい砂のようにあっけなく
思い出のなかにしかのこらないもの。
どうか子どもたちの記憶のなかに
ごはんが幸せな記憶としてのこりますように。
土鍋で3合炊きます。
二人のこどもの朝ごはんとお弁当に。
残ったのは、わたしがたべます。
冷蔵庫が小さいので、あまりいれられません。
夕方は、子どもが3合といでおいてくれます。
仕事から帰って、たきます。
まず、残りません。
食べ盛り、育ち盛り。
といでたいてたべる
といでたいてたべる
この営みはいつまでつづくのでしょうか。
過ぎ去ってみれば、飛んでいったこまかい砂のようにあっけなく
思い出のなかにしかのこらないもの。
どうか子どもたちの記憶のなかに
ごはんが幸せな記憶としてのこりますように。
昨日は釜ヶ崎のちかくでワゴン車が暴走して、けが人がでる事故がありました。
この事故を起こした人は、大阪の人だけど、釜ヶ崎の人ではないからね。
釜はなんてぶっそうなところ!あいりんはなんて怖いところ!って、あんまり思わないでくださいね。
仕事が終わったあと、ボランティアに通ってる施設に寄ったら
普段わたしには話しかけないおっちゃんがわざわざ肩をたたいて
「たいへん。あっちは通行止め。みんなおおさわぎだよ」
と2回も教えてくれました。
こりゃたいへんだ。
わたしが帰りに乗るJRの新今宮駅は、ちょうど事故現場のそばを通るので、わざわざ、にぎわっているところを選んで歩いていきました。
途中通った商店街のわき道はとっても狭いのに、路地の自転車や標識がひん曲がってなぎ倒されていました。
よくこんなとこ通ったな!アニメの世界だけかと思ったよ!てほど。
それにしても、はねられた人はとっても怖かったと思う。
はやくよくなってほしいです。
黄色い立ち入り禁止のテープに、たくさんの警察の車両。
わ~やっぱり、おっちゃんおっちゃん、おっちゃんの博覧会・・・。
事故をおこした人が逮捕されたのは日本橋で、ここからはだいぶ離れていて、このおっちゃんが集まってるとこには
警察の現場検証と、テレビ局の報道がいっぱいきていたけど
それにしてもおっちゃんあつまりすぎ!
みんな、わあわあ、声をあげながら集まってる。
今朝行った訪問先のおじいさんは
「昨日はえらい事件やったな。犯人はきっと薬つこうてたんやろ。
また(世間には)ニシナリは・・・いわれるなあ。
ニシナリの人間は、つきあうとええやつ多いねんけどなあ。
ほんま、あんたも自転車気いつけえやあ。こっちが気いつけてても向こうが飛ばしてくることもあるもんなあ。
しゃれにならんで、気いつけえやあ」
と、とっても心配してくれました。
この事故を起こした人は、大阪の人だけど、釜ヶ崎の人ではないからね。
釜はなんてぶっそうなところ!あいりんはなんて怖いところ!って、あんまり思わないでくださいね。
仕事が終わったあと、ボランティアに通ってる施設に寄ったら
普段わたしには話しかけないおっちゃんがわざわざ肩をたたいて
「たいへん。あっちは通行止め。みんなおおさわぎだよ」
と2回も教えてくれました。
こりゃたいへんだ。
わたしが帰りに乗るJRの新今宮駅は、ちょうど事故現場のそばを通るので、わざわざ、にぎわっているところを選んで歩いていきました。
途中通った商店街のわき道はとっても狭いのに、路地の自転車や標識がひん曲がってなぎ倒されていました。
よくこんなとこ通ったな!アニメの世界だけかと思ったよ!てほど。
それにしても、はねられた人はとっても怖かったと思う。
はやくよくなってほしいです。
黄色い立ち入り禁止のテープに、たくさんの警察の車両。
わ~やっぱり、おっちゃんおっちゃん、おっちゃんの博覧会・・・。
事故をおこした人が逮捕されたのは日本橋で、ここからはだいぶ離れていて、このおっちゃんが集まってるとこには
警察の現場検証と、テレビ局の報道がいっぱいきていたけど
それにしてもおっちゃんあつまりすぎ!
みんな、わあわあ、声をあげながら集まってる。
今朝行った訪問先のおじいさんは
「昨日はえらい事件やったな。犯人はきっと薬つこうてたんやろ。
また(世間には)ニシナリは・・・いわれるなあ。
ニシナリの人間は、つきあうとええやつ多いねんけどなあ。
ほんま、あんたも自転車気いつけえやあ。こっちが気いつけてても向こうが飛ばしてくることもあるもんなあ。
しゃれにならんで、気いつけえやあ」
と、とっても心配してくれました。
わたしの借りたアパートにはスピーカーがついている!
時々、夜7時になると
「み~なさん!・・・・」と町内放送がはじまる!
班長さんならびに役員さん住宅管理者のみなさん、回覧板をとりにきてください。
明日は廃品回収日です。
昨日どこそこにお住まいのだれだれさん何歳がおなくなりになりました、お通夜はどこそこ公民館で何時からです。
音量の調節ができないので、いつもラジオのニュースが聞こえないほどの音量でやってくる。
息子とわたしで「み~なさん!・・・」と声色の真似をして遊ぶようになった。
あるときは町の消防サイレンが何分も、空襲警報かっ!と思うくらい鳴り響いた。
時計見たら、午前3時。
み~なさん!火事が、どこそこで発生しました。
火事。うん、すごくたいへんだ。でもその場所、車でたくさん走ったとこ。
あたし、毎朝5時半起き。
あたらしい場所になじむのも楽じゃないよ。
時々、夜7時になると
「み~なさん!・・・・」と町内放送がはじまる!
班長さんならびに役員さん住宅管理者のみなさん、回覧板をとりにきてください。
明日は廃品回収日です。
昨日どこそこにお住まいのだれだれさん何歳がおなくなりになりました、お通夜はどこそこ公民館で何時からです。
音量の調節ができないので、いつもラジオのニュースが聞こえないほどの音量でやってくる。
息子とわたしで「み~なさん!・・・」と声色の真似をして遊ぶようになった。
あるときは町の消防サイレンが何分も、空襲警報かっ!と思うくらい鳴り響いた。
時計見たら、午前3時。
み~なさん!火事が、どこそこで発生しました。
火事。うん、すごくたいへんだ。でもその場所、車でたくさん走ったとこ。
あたし、毎朝5時半起き。
あたらしい場所になじむのも楽じゃないよ。
いいかげん、冬のストーブはしまわないとならないので
今日手入れしました。
灯油を抜いて、空焚きしました。
がまん大会だ!と喜ぶうちの子とAちゃんちの子どもたち。
わざわざ、ストーブの前で宿題してました。
また、冬の寒いときまでお休みです。ありがとうね。
今年の夏も、扇風機で乗り越えるぞ~!
今日手入れしました。
灯油を抜いて、空焚きしました。
がまん大会だ!と喜ぶうちの子とAちゃんちの子どもたち。
わざわざ、ストーブの前で宿題してました。
また、冬の寒いときまでお休みです。ありがとうね。
今年の夏も、扇風機で乗り越えるぞ~!
近くの駅前とかには大きく
「毎月11日は人権を確かめあう日」とか
「差別をなくそう」とかかいてある。
娘の通う中学校の目標には
「問題をはじめ、あらゆる差別をなくすための正しい認識を持たせ・・・」
とある。
引っ越してきたとき、やっぱり関東とはちがうのかなーとおもった。
わたしが今までつかってきた「人権」という言葉と、こちらの「人権」という言葉は、ちがうのかな。
わたしの住む香芝市の南にある御所市には、水平社博物館があります。
「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と宣言し、解放運動の原点となった全国の創立から今年で90年です。
この柏原という地からが誕生しました。
このあたりは膠産業で栄えたそうです。
にかわとは、鹿や牛などの骨、角、皮や腱、腸などを水で煮た液を乾燥させて固めたものです。
奈良は墨の産地でも有名ですが、にかわは墨作りにかかせない材料だそうです。
博物館の解説では、この活発で豊かな経済力も、創立の支えとなったとのことでした。
水平社博物館の隣には、神武天皇の神社がありました。
香芝市より東にある橿原市には、橿原神宮があって、神武天皇のお墓といわれる神武御陵があります。
これは江戸時代の終わりごろに場所を決めて作られたものですが
明治時代になって、この御陵を見下ろすところにがあるのはおそれおおい、という理由で昔からあった洞村の人々を移転させたという歴史があります。
家屋から墓地、骨までが警察の監視のもと掘り返され4年間で強制移転させられたそうです。
現在の奈良市にある被差別は戦国時代の終わりごろから興福寺の命により、さまざまな役目をになってきました。
(「なかま」中学校 奈良県人権教育研究会編 より)
その役目(役負担)とは、「下級役人(罪人の処刑)」、「祭礼中の死人やけがれたものの片づけ」
「死んだ鹿の処理」「奉行所の掃除」「犬狩り、犬追い」「鹿の角切り」などだそうです。
ケガレとキヨメ。
なんだろう?
祭礼や、神さまにかかわる仕事だったり
生き物の命にかかわる仕事だったり
不思議な力や技術を持った人たちは、神聖視もされ、差別もされたってことなのかな?
って、なんであるんでしょう?
今身近に差別がないなら、知らなくていいことなのかな?
うーん。難しいけど、でもしりたいです。
「毎月11日は人権を確かめあう日」とか
「差別をなくそう」とかかいてある。
娘の通う中学校の目標には
「問題をはじめ、あらゆる差別をなくすための正しい認識を持たせ・・・」
とある。
引っ越してきたとき、やっぱり関東とはちがうのかなーとおもった。
わたしが今までつかってきた「人権」という言葉と、こちらの「人権」という言葉は、ちがうのかな。
わたしの住む香芝市の南にある御所市には、水平社博物館があります。
「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と宣言し、解放運動の原点となった全国の創立から今年で90年です。
この柏原という地からが誕生しました。
このあたりは膠産業で栄えたそうです。
にかわとは、鹿や牛などの骨、角、皮や腱、腸などを水で煮た液を乾燥させて固めたものです。
奈良は墨の産地でも有名ですが、にかわは墨作りにかかせない材料だそうです。
博物館の解説では、この活発で豊かな経済力も、創立の支えとなったとのことでした。
水平社博物館の隣には、神武天皇の神社がありました。
香芝市より東にある橿原市には、橿原神宮があって、神武天皇のお墓といわれる神武御陵があります。
これは江戸時代の終わりごろに場所を決めて作られたものですが
明治時代になって、この御陵を見下ろすところにがあるのはおそれおおい、という理由で昔からあった洞村の人々を移転させたという歴史があります。
家屋から墓地、骨までが警察の監視のもと掘り返され4年間で強制移転させられたそうです。
現在の奈良市にある被差別は戦国時代の終わりごろから興福寺の命により、さまざまな役目をになってきました。
(「なかま」中学校 奈良県人権教育研究会編 より)
その役目(役負担)とは、「下級役人(罪人の処刑)」、「祭礼中の死人やけがれたものの片づけ」
「死んだ鹿の処理」「奉行所の掃除」「犬狩り、犬追い」「鹿の角切り」などだそうです。
ケガレとキヨメ。
なんだろう?
祭礼や、神さまにかかわる仕事だったり
生き物の命にかかわる仕事だったり
不思議な力や技術を持った人たちは、神聖視もされ、差別もされたってことなのかな?
って、なんであるんでしょう?
今身近に差別がないなら、知らなくていいことなのかな?
うーん。難しいけど、でもしりたいです。
娘いわく
「ぜんぜん神々しくないね!」
ですが
いちおう中宮寺の菩薩さんです・・・。
すいません・・・・。
今日もぶじにお仕事おわりました。
訪問先は
聞くも涙、語るも涙、みたいな境遇の
しんどい人ばかりですが
そんな人生を笑い飛ばすたくましさ、したたかさ、明るさもどっさり持ってるひとたちです。
老、病、死
同じ人生なら笑ってたい!
きてくれてありがとう!
ありがとう、といわれますが
たしかに、わたしもたくさんのものを受け取っています。
「ぜんぜん神々しくないね!」
ですが
いちおう中宮寺の菩薩さんです・・・。
すいません・・・・。
今日もぶじにお仕事おわりました。
訪問先は
聞くも涙、語るも涙、みたいな境遇の
しんどい人ばかりですが
そんな人生を笑い飛ばすたくましさ、したたかさ、明るさもどっさり持ってるひとたちです。
老、病、死
同じ人生なら笑ってたい!
きてくれてありがとう!
ありがとう、といわれますが
たしかに、わたしもたくさんのものを受け取っています。
パソコンが奈良にきてこわれました。
新しいの買って、はじめて一人で設定しました。
途中何回もわかんなくなって、そのたびに娘と、あーでもない、こーでもないとやりながら。
今までは、自転車でいける距離(まあ、30~40分内でいける範囲)に
たくさんの友だちがいて
周りにすんでる人もだいたい把握してて
お気に入りの河原や木陰があって
それがどんなに当たり前のように、安心できていたか
ここにきて、よくわかる。
今の場所が不満なわけじゃない。
とってもわたしたちは恵まれているし
たのしくて、毎日わらってるんだ。
でもいつのまにか「なつかしい」とか「さみしい」とかいう言葉を
つかっちゃいけないんだとこわばった心をもつ自分になっていた。
子どもとくらしてるから、お母さんはそういうこといっちゃいけないと、言いきかせていた。
子どもがさみしいと言うのも、なんかいやな気持ちになっていた。
そうしたら、自分が二人できてしまった。
小田原にももう一人いて、いままでどおりみんなと楽しくやってるわたしがいるんだと思うようになっていた。
そう思ってればいいんじゃない、と放っておいたけど
やっぱり、人に話したら、それは不自然なことだった。
さみしいといって
素直にやっぱりなつかしいといって
たくさん泣いた。
そうしたら、また、わたしはいつもどおり、一人にもどった。
そうしてわたしはいま、どんな気持ちもだいじにしようと思って、ここにかいています。
新しいの買って、はじめて一人で設定しました。
途中何回もわかんなくなって、そのたびに娘と、あーでもない、こーでもないとやりながら。
今までは、自転車でいける距離(まあ、30~40分内でいける範囲)に
たくさんの友だちがいて
周りにすんでる人もだいたい把握してて
お気に入りの河原や木陰があって
それがどんなに当たり前のように、安心できていたか
ここにきて、よくわかる。
今の場所が不満なわけじゃない。
とってもわたしたちは恵まれているし
たのしくて、毎日わらってるんだ。
でもいつのまにか「なつかしい」とか「さみしい」とかいう言葉を
つかっちゃいけないんだとこわばった心をもつ自分になっていた。
子どもとくらしてるから、お母さんはそういうこといっちゃいけないと、言いきかせていた。
子どもがさみしいと言うのも、なんかいやな気持ちになっていた。
そうしたら、自分が二人できてしまった。
小田原にももう一人いて、いままでどおりみんなと楽しくやってるわたしがいるんだと思うようになっていた。
そう思ってればいいんじゃない、と放っておいたけど
やっぱり、人に話したら、それは不自然なことだった。
さみしいといって
素直にやっぱりなつかしいといって
たくさん泣いた。
そうしたら、また、わたしはいつもどおり、一人にもどった。
そうしてわたしはいま、どんな気持ちもだいじにしようと思って、ここにかいています。