うろこ玉絵日記

日々のなにげない一こまを絵日記にしてみました。大阪に近い奈良県在住です。
マウスでかいてまーす。

512

2014-05-17 | Weblog
5月12日に記す


今日は初めてわたしがにんげんを産み落とした日なのです。もうかれこれ16年前のことです。

予定日を過ぎても胎児は下のほうに降りてこない、子宮口も固いということで、こちらに相談もなく勝手に手術日を決められた。産婦人科医の都合。なかば強引に産まされたといってもいい。

陣痛促進剤を注射され、膣にはバルーンを入れられ、それを破裂させ(?記憶が不鮮明)痛みの波を機械が数値化し、人工的に起こされた陣痛でもうヨレヨレ。髪の毛ふりみだしパジャマははだけたまま看護師らに抱えられて分娩台に載せられた。まな板の上の妊婦。

お尻の内側にずんずんと大きな鉄の球を当てられてるような感覚になってくる。胎児の頭。人の話もろくに聞けない混乱状態の中でいきみたいですかと聞かれて、ああこれが「いきむ」ということなのねと思いいたる。

気づくと医師と看護師が二人がかりでわたしの体に半分乗っかって、ぎゅうぎゅうお腹を押している。すごい形相だなあと思う。力仕事。

かけ声に合わせていきんで下さいと言われて始めは素直にしたがった。もう息を止めて痛みをこらえることもないんだと自分を解放していきんだ。目がくらんで、星が散った。「あーあ」「間違ってる」「かけ声に合わせないから」嘆息まじりの医師と看護師たちの声。

いきみ方がおかしいと言われた。顔じゅうの血管が切れたらしい。産後しばらくは顔から首にかけて赤い細かい斑点が消えなかった。

「頭が見えてますよ」「もう少し」かあっと膣の入り口が熱くなった。えー、これ以上拡がるの嘘でしょーと思った途端、火箸を当てられたような鋭い感覚が走った。会陰を医師に切開されていた。しゃきんっ!って音が聞こえた(ような気がした)。

次の瞬間には娘がずるんと(引きずり出されたという表現がぴったり)目の前にぶら下げられた。なんだか肌が蒼白だった。(あとでそれを義母に話すと、それは、ほら、わたくしが色白だからとのたまった)だけど元気よく泣いたからほっとした。

「君にはもうフルコースだよ」と医師が笑った。すみませんと思った。いきみ方が無茶苦茶で、あちこちに裂傷ができたらしく糸で縫われた。黒くて太い糸。多分麻酔してない。わたしは無事に生まれた安堵感と、なんか脳から物質がばんばん出てたのでテンションがハイになった。なんでもおかしかった。

赤ん坊はその夜だけ別の部屋に寝かされた。わたしはテンションがMAXのまま相部屋のベッドに戻された。ハサミで切開された傷、数ヶ所の裂傷、縫われてつれた箇所、それらが個別に、テンポの違うリズムではげしく脈打って、うるさくて眠れなかった。

次の日になると気分がひどく落ち込んで、冷静になった。静かになった頭でわたしは考えた。分娩というのは、わたしの力と赤ちゃんの力で産むものではないのか。何故産婦人科医の都合で。これは手術だ。何故わたしの体にハサミを入れた。主導権はわたしには全くなかった…

そんなふつふつと沸いてくるやりきれない思いをよそに、新生児の娘は不思議な生き物で、小さくて、柔らかくて、表情豊かで、ユニークだった。

だからってあまり「自然に産むこと」だけにこだわってもよくないと思う。昔は出産時に母親も赤ちゃんも命を落とすことが多かったのだから、より安全に、無事に産むために外科的な処置を施すことも必要だ。

なんでも自然自然て、出来ない人を責めるなよ。

それでもわたしは健康だったし、骨盤もしっかりしてたし、医師にはもう少し、焦らないで待っていて欲しかった。

お母さんは強いんだから、辛抱できるんだから、忍耐できるんだから、って押し付けすぎ。痛いもんは痛いし、ひどい扱いを受ければずっと傷は残る。「産褥」とか「悪露」とかそういう穢れ思想的なといったらいいのか・・・出産にまつわるネガティブな言葉遣いも好きじゃない。

とゆうわけで、息子のときは自宅で産んだんでした。

娘が幼稚園にあがったときお産について話す会をひらいたことがあった。「わたしのお産は悲惨すぎて、今思い出しても涙がでる」「いま子育てがうまくいってないのはお産が思い通りにいかなかったからだ」そう思っている人が少なくなくてびっくりした(・-・;)




とゆうわけ。と  ゆ  うわけ。