昨日は金曜日でしたので、フードバンクさんから物資がくるの(隔週)と
炊き出しと夜回りの日でした。
昼間に、大量のパンとかクッキーとかセロリとかサラダ菜とかグレープフルーツとかフリーズドライご飯とかがやってきます。
これは、当日まで何がくるのかわかりません。
手際よくトラックから荷車に移し
扇町公園に移動します。
まず、梅田の夜回りで配る人数分のパンの袋をつくります。30人分くらいだったか。
そのあと、公園に来た野宿の仲間の人数分のパンの袋。
そして、一列に並んで順々にパンを受け取り、
残った野菜類はまた荷車に積んで、パトロールの代表者のアパートに運びます。
一連の作業は、すべてそこに集まった野宿のなかまたちが行います。
わたしはといえば、公園に行って、みんなが分けるのを眺めながらダンボールをまとめて(それくらいしか出る幕がない)
来た野菜でなにが作れるか考えて、
一緒にアパートまで物資を運ぶのが昼間のお仕事です。
1年前くらいまでは、公園の中に炊事場のついたテントがあったそうです。
しかし、市によって撤去されたからは、代表のアパートに運んだり、料理を作ったりという不便でしんどい作業を余儀なくされています。
荷車は錆び、タイヤはつぶれ・・・誰か荷車新しいのくれませんか(^^)
アパートは古いタイプの狭い階段の2階だし。1口コンロだし。
ここで30人からのおなかを満たすご飯を作るのです。なんとかテント復活ならないのかな・・・。
この日わたしが作ったのは
すき焼き風丼(豚肉、糸こんにゃく、油揚げ、たまねぎ(物資))
サラダ(たまねぎ、サラダ菜、きゅうり(全部物資))
野菜スープ(セロリ、オクラ、ニンジン、たまねぎ、サラダ用野菜セット(全部物資))
かなりがんばって使いましたが、それでもオクラやセロリがけっこう未使用で残りました。
先々週はアボカドが400個くらい来て大騒動でした。まじで。
アパートの床が抜けそうになったり、ネコがおびえたり、夜中に西成の飲食店仲間に運んだりしました。
お米は5升炊きました。1升炊きので4回。5合炊きので2回。
あっという間に18時。炊き出しは19時からです。
18時半になると、階下に仲間たちが迎えにきます。
おわん、箸、お茶、夜回りのパンなどは自転車で。
汁物の入った大なべや炊飯器は手でエッチラオッチラ運びます。途中でこぼしたりしないように。
昨日は19時前の段階ですでに30人近くが並んでいました。
釜ヶ崎などは普通に100人以上並ぶので、小規模ですが、このあたりはドヤ街ではなく、どちらかとオフィス街や住宅地なので
わたしにしたら、みなさんどこに普段寝泊りしてるのかなーと思います。
年齢層は、20代から70代くらいまで。みなさん身ぎれいで、夏らしい薄手のシャツを着ています。
2杯から3杯おかわりしてもらいました。おかずがあっという間になくなってしまいました。こんな早くなくなるとは。
ご飯は1升残ってしまいました。これはわたしが列の長さにびびってご飯を小盛りにしたのが敗因。
なかなか配膳もむずかしい~!
食べながら、あちこちで談笑したり、情報交換したり。
笑い声があがって、ニコニコしてるのがうれしい。
食べ終わると、ごみと器を分けて、ふたたびなべ釜、もろもろ積んでアパートに運びます。
わたしはここでいつも解散。
パトロールのメンバーと、野宿のなかま数人は、このあと21時半から梅田駅や地下街を中心に夜回りをし、
パンを配ります。
長い金曜日なのでした。
待っていてくれて、パンの袋の重みにニコッと笑う人に励まされているとメンバーの一人は教えてくれました。
どんな生活でも、その人が生きているということが全面的に肯定されるべきだ、というこのグループの思いに賛同して
わたしも手伝っています。
炊き出しと夜回りの日でした。
昼間に、大量のパンとかクッキーとかセロリとかサラダ菜とかグレープフルーツとかフリーズドライご飯とかがやってきます。
これは、当日まで何がくるのかわかりません。
手際よくトラックから荷車に移し
扇町公園に移動します。
まず、梅田の夜回りで配る人数分のパンの袋をつくります。30人分くらいだったか。
そのあと、公園に来た野宿の仲間の人数分のパンの袋。
そして、一列に並んで順々にパンを受け取り、
残った野菜類はまた荷車に積んで、パトロールの代表者のアパートに運びます。
一連の作業は、すべてそこに集まった野宿のなかまたちが行います。
わたしはといえば、公園に行って、みんなが分けるのを眺めながらダンボールをまとめて(それくらいしか出る幕がない)
来た野菜でなにが作れるか考えて、
一緒にアパートまで物資を運ぶのが昼間のお仕事です。
1年前くらいまでは、公園の中に炊事場のついたテントがあったそうです。
しかし、市によって撤去されたからは、代表のアパートに運んだり、料理を作ったりという不便でしんどい作業を余儀なくされています。
荷車は錆び、タイヤはつぶれ・・・誰か荷車新しいのくれませんか(^^)
アパートは古いタイプの狭い階段の2階だし。1口コンロだし。
ここで30人からのおなかを満たすご飯を作るのです。なんとかテント復活ならないのかな・・・。
この日わたしが作ったのは
すき焼き風丼(豚肉、糸こんにゃく、油揚げ、たまねぎ(物資))
サラダ(たまねぎ、サラダ菜、きゅうり(全部物資))
野菜スープ(セロリ、オクラ、ニンジン、たまねぎ、サラダ用野菜セット(全部物資))
かなりがんばって使いましたが、それでもオクラやセロリがけっこう未使用で残りました。
先々週はアボカドが400個くらい来て大騒動でした。まじで。
アパートの床が抜けそうになったり、ネコがおびえたり、夜中に西成の飲食店仲間に運んだりしました。
お米は5升炊きました。1升炊きので4回。5合炊きので2回。
あっという間に18時。炊き出しは19時からです。
18時半になると、階下に仲間たちが迎えにきます。
おわん、箸、お茶、夜回りのパンなどは自転車で。
汁物の入った大なべや炊飯器は手でエッチラオッチラ運びます。途中でこぼしたりしないように。
昨日は19時前の段階ですでに30人近くが並んでいました。
釜ヶ崎などは普通に100人以上並ぶので、小規模ですが、このあたりはドヤ街ではなく、どちらかとオフィス街や住宅地なので
わたしにしたら、みなさんどこに普段寝泊りしてるのかなーと思います。
年齢層は、20代から70代くらいまで。みなさん身ぎれいで、夏らしい薄手のシャツを着ています。
2杯から3杯おかわりしてもらいました。おかずがあっという間になくなってしまいました。こんな早くなくなるとは。
ご飯は1升残ってしまいました。これはわたしが列の長さにびびってご飯を小盛りにしたのが敗因。
なかなか配膳もむずかしい~!
食べながら、あちこちで談笑したり、情報交換したり。
笑い声があがって、ニコニコしてるのがうれしい。
食べ終わると、ごみと器を分けて、ふたたびなべ釜、もろもろ積んでアパートに運びます。
わたしはここでいつも解散。
パトロールのメンバーと、野宿のなかま数人は、このあと21時半から梅田駅や地下街を中心に夜回りをし、
パンを配ります。
長い金曜日なのでした。
待っていてくれて、パンの袋の重みにニコッと笑う人に励まされているとメンバーの一人は教えてくれました。
どんな生活でも、その人が生きているということが全面的に肯定されるべきだ、というこのグループの思いに賛同して
わたしも手伝っています。