土曜は映画をみに、川崎まで行きました。
絵画教室のあと、友人に子どもをあずけて急いでいったのですが
第1部の「自然農法 福岡正信インドへ行く」には間に合いませんでした。
第2部は「アボン 小さい家」フィリピンの山岳民族のお話です。
この二つの映画の監督である今泉さんが、会場となった教会の玄関で出迎えてくれ、空席を案内してくれました。
前日から準備に訪れ、窓に新聞紙や布を貼り付けて即席の映画館を作ったそうです。
映画の前後にはわかりやすく映画の背景や、製作時の思いを語ってくれました。
「フィリピン・ルソン島には、100年前から日本人がやってきていたことは、あまり知られていません」
今泉さんは言います。
フィリピンはスペイン、アメリカ、そして二次大戦中は日本の植民地になってきた歴史をもっていますが、
1900年代初め、アメリカがスペインから譲渡という形でフィリピンを植民地にしたさい、
山岳地帯コルディリエラ地方のバギオに慰安施設(リゾート地みたいなもの?)を作るため、
そこへ続く道路建設に着手しました。
アメリカはあちこちから労働力を集めるわけですが、その中には多くの日本人がいたそうです。
「今はフィリピンの人たちが日本に出稼ぎにきますが、当時は日本もとても貧しく、海外へ出稼ぎに出て行ったのです」
工事が終わったあとも、日本人の男性は現地に残り、フィリピンの女性と家庭を築きます。
バギオは日本人町としてにぎわった時代があるそうです。
しかし、第二次大戦で彼らは日本軍に同行を強制され、多くの命が失われます。
戦後は侵略者である日本人の血をひくということで、激しい差別にさらされ、
コルディリエラの山奥の村でひっそりと、日本の名前を隠して生活を営みます。それは戦後30年も続いたそうです。
この映画の主人公は、日系人であること、また「遅れた」山岳民族であることで
二重の差別を受ける家族たちのお話でした。
山岳の村からバギオへやってきた日系3世の家族は、不法居住地区に家を建ててつましく暮らしているのですが、
子ども3人の食費や学費のために、母親は不法海外あっせん業者の手引きで子どもたちをおいて出稼ぎに行きます。
父親は、村にくらす両親に子どもたちを預けます。
3人の子ども達は、母親の帰りを祈りながら祖父母たちとともに、
牛を育て、山で食べるものをとり、川で体を洗い、のびのびとくらします。
そんな中、子どもたちの母親はパスポート偽造が発覚し、逮捕されてしまいます。
法外な渡航費用の工面に追われる父親と、戸惑いながらも強く、温かく支える祖父母たち。
最後は母親が戻って来るのですが、今度はお父さんが日本へ向かう、というお話です。
こういうふうにストーリーを書くと、とても深刻なのですが、
たしかに厳しい現実が描き出されて、考えさせられるのですが、
映画全体には、豊かでゆったりとした空気が満ちていました。