うろこ玉絵日記

日々のなにげない一こまを絵日記にしてみました。大阪に近い奈良県在住です。
マウスでかいてまーす。

袴田さん

2014-03-30 | Weblog
再審の扉が開いた。

もしかしたら生きている間は牢獄につながれたまま出てこられないかもしれないと思っていたので
ニュースを聞いたときは電車の中なのに涙が出てきて、困った。



抗告なんて悪あがきはやめなさい、検察よ。


袴田さんが無実だということは多くの証拠が語っている。


袴田さんを有罪にでっちあげた責任の所在をしっかり追及してほしい。
国は、司法は、40年も獄につないだことを謝罪し、今後の生活を補償してほしい。
もう失った時間は取り戻せないけれど


せめて人間らしい、自由な生活を送らせて。
マスコミは一晩で彼をヒーロー扱いして追い回しているけれど、そっとしてあげて。



「主よ、いつまでですか 無実の死刑囚・袴田巌獄中書簡」新教出版社 より引用

一九八三年

「・・・私に対する取調べは人民の尊厳を脅かすものであった。殺しても病気で死んだと報告すればそれまでだ、といっておどし罵声をあびせ棍棒で殴った。
そして、連日二人一組になり三人一組のときもあった。
午前、午後、晩から十一時、引続いて午前二時頃まで交替で蹴ったり殴った。
それが取調べであった。目的は、殺人・放火等犯罪行為をなしていないのにかかわらず、なしたという自白調書をデッチ上げるためだ。
九月上旬であった。私は意識を失って卒倒し、意識をとりもどすと、留置場の汗臭い布団の上であった。
おかしなことに足の指先と手の指先が鋭利なもので突き刺されたような感じだった。
取調官がピンで突ついて意識を取り戻させようとしたものに違いない。


デッチ上げを行った、個人に恨みを持つものではないが、だが、かかる非人間的行為をなさせる代用監獄という土壌はなくなるべきである。
私はこの血臭としたたる血を想像させる監獄の近代史にたいし、今また無実の私を束縛してこの凍りつき錆びつき赤茶け古ぼけた、鉄鎖を対決しなければならなくさせた、歴史は繰り返すという反復作用をみた。
その生証人として存在する自分の悲しみを骨身にしみて実感している。

息子よ、どうか直く清く勇気ある人間に育つように。すべて恐れることはない。
そして、お前の友だちからお前のお父さんはどうしているのだと聞かれたら、こう答えるがよい。
僕の父は不当な鉄鎖と対決しているのだ。

古く野蛮な思惑を押し通そうとする、この時代を象徴する古ぼけた鉄鎖と対決しながら、たくさんの悪魔が死んでいった、その場所で(正義の偉大さを具現しながら)不当の鉄鎖を打ち砕く時まで闘うのだ。」