うろこ玉絵日記

日々のなにげない一こまを絵日記にしてみました。大阪に近い奈良県在住です。
マウスでかいてまーす。

みどりご

2012-04-30 | Weblog
はじめて子どもを産んで
数日後に退院した



健康そのもののわたしには
これが初めての入院


産婦人科は三鷹のアパートから徒歩6分



母が止めるのもきかず
わたしは赤子を抱いて歩いて帰った


平衡感覚が鈍り
定まらないわたしの頭
覚束ない足どり


母は心配そうについて歩いてきた



目にしみる
みどりごのくるまれた白い綿の色
数日のうちに急に伸びて濃くなった木々の緑色


湿気をはらんで
はらんで
あふれおちそうな


五月の曇り空
鳥の声さえ深くて遠い



くらくらする脳みそに
緑色が流れ込んだ



その間もわたしの両方のちぶさからもうとまらない母乳は
フジチャンマミーパットが優秀に吸収し

わたしも赤子も乳のにおいのかたまりみたいになっていただろう





五月は特別な月だ
ほかのどの月よりも



そうめん

2012-04-29 | Weblog
息子がかきました。
奈良も今日は28~29℃まで気温があがったようです。

もくもくと歩いて、買い物をすませたわたしたち。


もくもくと家にたどりつき


手をあらってうがいをし
まな板を出し
ねぎをきざみ
だいこんをおろし
お湯をわかし
そうめんをゆで
つゆをつくり


そうめんをざるにあけ
水であらい


また、もくもくと食べました。




まだ部屋には灯油ストーブが出ています。
まだ灯油も抜いていない。





八部衆

2012-04-27 | Weblog
奈良にきてから2ヶ月半が経ったけど
興福寺と東大寺にはもう3度以上行っているのです。


住まいから、これらのお寺のある最寄の近鉄奈良駅までは
1時間以上かかるのだけど
友人がきたり夫がきたり親がきたりするととりあえずまだここしか案内できるところを知らないので
ここだけ頻度が抜きん出てるんです。

法隆寺とか秋篠寺とかも行きたい。そのうちね。
もっとくわしくなりたいよ。



でも、興福寺の国宝館は、今は何度行ってもいいな、と思ってる。
お寺の建築とか伽藍配置とかじゃなくて、仏像みて楽しむのが好き。



東大寺では、戒壇院の広目天さま(うちではアイドルを呼ぶようにこう呼ぶ)が断トツに好きなんだけど
人を連れていってもすぐ見終わっちゃう。
「ん?これがすきなの?」といわれる。
拝観料が500円かかる。

興福寺の国宝館は、たっぷりいろんなのが観られて600円。

気に入った仏像の前で各々好きにみてすごせる。
いい時代だなー、とこのときばかりは思う。
身分の差もなく、子ども連れでも、仏教徒でなくてもみられるんだもの。



板に彫った十二神将も、金剛力士も、天燈鬼も龍燈鬼も梵天も毎回グッときますが
いまは八部衆さんたちがお気に入りです。

阿修羅、といえば誰もが知ってるスター。
阿修羅を入れた、八人の神さまたちの像が安置されています。



もとはインドの異教の神さまたちだったそうですが、仏教に取り入れられてからは守り神とされているそう。

この神さまたちをつい「この子」と呼んでしまう。
なぜなら、みんな不思議な異形の神々だけど、少年のような顔立ちをしているから。



頭に象をかぶった子。
頭に蛇を巻いた子。
獅子をかぶった子。
角を生やして目がみっつある子・・・などなど。




阿修羅のはりつめた表情にも心うたれるけれど
この、絵にかいた五部浄くんが好きです。

この子だけ、体がうしなわれているのです。
頭にのってるのは、象です。


この像をつくりあげた1300年くらい前の仏師は
なぜ少年の面立ちにしようと考えたのか。
少年みたいだから、どうしても、わたしたち大衆に向けた表向きの表情ではなく
悩みや葛藤を抱えたような内向きの表情にみえてしまう。


今にも動き出しそうなみずみずしさを、今でも放っています。



お土産やさん(ミュージアムショップ)でこの子達の写真買ってこ!と思って
いざ製品化された絵はがきなどをみると、なんかちがう。

わたしがみた表情と、ぜんぜん違う顔で写っている。

たぶん光の当て方とか、撮影の角度とか、微妙な加減で変わるんだろうけれど
「こんなに険しい顔してない」と思って買うのをやめる。



見る人によって、たぶんぜんぜん違う顔で映ってる。
それもまた、仏像のミリョクかも!?











けろっけろ

2012-04-24 | Weblog
娘がかきました。

お隣のおばちゃんは、ガレージにいろんな生き物を飼っていた。
亀、金魚、めだか、ふな、どじょう、それと蛙。

よく見るとアマガエルよりもつやつやして、丸っこい。



ちょっと変わってるやろ。
田んぼでみつけたんや。
クモ食べるんやで、生きてんの。
去年より大きくなったかな。


しーんと動かない蛙。
亀たちはごそごそ動き回り
金魚たちはなにかもらえるかとワイワイ寄ってくる。
薄暗いガレージは苔や流木にかこまれた、ちょっとした森のようでした。

おっちゃんたちの手。

2012-04-20 | Weblog
子どもの頃横浜で建築現場をみながら
「こんな高いビルやマンション作ってるおじさんたちは
この建物ができても、ここでサラリーマンやったりここに住んだりはしないんだろうなー」
と思ってた。
作るひとと、完成したあと中に入るひとの距離を
そのとき、すごく感じたんだ。



昨日は釜ヶ崎で、バザーの手伝いをした。
数百円でシャツやせっけんを売るのだ。
おっちゃんたちの手は、ごつごつして、黒くて、まんまるい。

数時間の間に、いろんな人がきて、かえっていった。




知的障害か精神障害で
ふらふらといろんなものをひきずって野宿を続ける人に
みんなはパンや小銭を手渡す。


シャツが買えない人を連れてきて
自分のお金でシャツを買っていく。


後の人も買えるように、と遠慮して少なめにせっけんを買っていく。


隣に住む人にぴったりの服を見つけたと言って、
長い距離自転車でお金を取りに帰り
また戻ってくる。





「ここのおっちゃんたちは、どん底みてきた人たちだから
本当に人に優しいよ」
長くボランティアに通ってる女性は言った。

なにか手伝えたら、と思って行ったけれど、
これから先、きっとわたしが支えられることも多いんだろうな。

ハロー釜ヶ崎

2012-04-20 | Weblog
交通マナーがめっちゃ悪いとこやで。

大阪でも一番品のないとこや。

うちはニシナリだけでは働きとうないなー思てた。

職場の先輩ヘルパーさんたちは言う。



全国平均で約23パーセントの、65歳以上の割合が
大阪市西成区では約65パーセント。



なんで奈良から働きにきたん?チャレンジャーやな。



釜ヶ崎があるから来ました、なんて言えなかった。



かつては日本で有数の寄せ場であり
この国の建築現場を支えた日雇いのおっちゃんたちの街。
行政のつけた「あいりん」なんて呼ぶ人はいない。

いまでも早朝にはその日の仕事を書きつけたワゴンがあいりんセンターに乗り付け
仕事を得た人々はそれぞれ今日一日の糧を手にいれるが

もう昔ほど仕事はなく
活気や熱気は過去のものらしい。


いまは
生活保護で暮らすおっちゃんや
野宿をしながら暮らすおっちゃんや
高齢者特別清掃事業の仕事をしながら暮らすおっちゃんたちの街。

あちこちにシェルターや宗教団体やNPOの作った相談所や憩いの場や炊き出し所があり
介護事業所の車や自転車が走り回る街。




わたしは西成区で訪問介護の仕事をはじめました。
釜ヶ崎でおっちゃんの集まる場所でボランティアもちょっとだけ。





貧しい暮らしや野宿をしてる人が品がないなんてうそだ。

怖いなんてうそだ。

汚くてだらしないなんてうそだ。

けちで意地汚いなんてうそだ。




やっぱりいらないの

2012-04-18 | Weblog
げんぱつは、やっぱりいらないの。
広島の被ばく者の人たちが「核と人類は共存できない」と言ったこと
ほんとに一番この国の人たちが大事にしなくちゃいけないの。



先月の3.11は、大阪でのさよなら原発のデモに参加してきました。
中之島は、初めて行ったけど古い建造物と川があって
横浜を思い出しました。また今度ゆっくりいってみよ。

前の日に子どもたちとプラカードつくって。
ボール紙を絵の具で真っ黒に塗って
息子はがい骨マークに「お魚たべたい」
娘はキノコマークに「きのこたべたい」

友達が「なんか、食いしん坊みたい」と思わず笑ったけど
息子は行進中キレイな若い女の人に写真撮られたりして、ちょっとごきげん。


デモの前には公会堂で、飯館村で酪農を営まれて、今は伊達市に避難中の酪農家、長谷川健一さんのお話を聴きました。
「ふるさとを離れて、はじめて自分がこんなにふるさとを愛していたことに気づいた」
という言葉に泣けました。

自分はもしかしたら飯館に戻るかもしれない。
でも、子どもや孫はだめだ。
除染したって、放射能は浮遊する。

自分たちの代でこの村を終わりにするしかない。
それから、子どもたちへの差別をなくさないといけない。
収束宣言、再稼動なんてどうかしてる。


ひとつひとつの言葉が、強く心に響きました。





31日の土曜日は奈良の、天の香具山のふもとにある昆虫館に
詩人のアーサー・ビナードさんが講演にきたので、子どもたちといってきました。

余談ですがわたし、香具山って昔の歌に詠まれてるだけで、もう今は無いと思ってた!
香具山だけじゃなくって畝傍山、耳成山と、トリオそろって健在です。


アーサーさんの書いた詩が、
画家、ベン・シャーンの描いた第五福竜丸の被ばくを題材にした絵につけられて出版されたのは6年前ですが
アメリカで学生時代を送っていたとき日本語に出会い、
以来日本にきて、日本語で詩やエッセイを書いています。



最近は「さいたさいた、セシウムがさいた」のタイトルの埼玉での講演が中止に追い込まれました。

講演前に話しかけ、残念でしたと言ったところ、
アーサーさんはぜんぜん気にしてないよ!とニコニコされていました。




アーサーさんが昆虫好きということで今回の講演になったそうですが
虫にかんする言葉から、生き方や言葉の深さを教わっていると
並々ならぬ日本語への愛、昆虫への愛を感じました。

たとえばカマキリ。
英語ではpraying mantis
「祈る予言者」と直訳しますが、あのカマキリの鎌が、祈っている姿に見られたからであり、
木に産み付ける卵の位置でその冬の積雪量をはかることができるので予言者と呼ばれたのだということ。


これが、日本語では「蟷螂」。
アーサーさんはこの漢字に深みと鋭さを感じ
絵であり、音であり、意味がある!圧倒的な多様性、生命力に飛び込みたい!と
中国語よりも雑多な日本語に惹かれ、
今ここにいるのだそう。


言葉を、トンボの複眼のようにさまざまな角度からみることの大切さを僕は昆虫に教わりました。
言葉のめがねをかけかえて見てみてください。


的確で、まるで風景や情景が浮かぶような
それでいてなんとなくふわっとした柔らかい話し方で語りました。



言葉のめがねから、話題は北朝鮮のミサイル問題へ。
英字新聞読みましたか?ドイツは?フランスは?「ロケット」と書いています。
どうして日本はミサイルなんですか?
「いまから撃つよ~」「は~い、いいよ~」
こんな風にアメリカと日本が練習してやっと迎撃できたんです。
奇跡ですよ当たったら。
おかしいでしょ?

会場は笑い(苦笑い?)でいっぱいでした。



あとは日本政府の、この原発事故への対応批判が多かったです。

アーサーさんは、アリをとても尊敬しています。
六本足を最大限に生かした行動力と生活がすばらしいのだそうです。
そして言いました。
アリや昆虫の身になって考えるように、魚の身になる、アワビの身になる。
そう考えることの大切さ。
毎時、何トンもの大量の放射能を含んだ水で海洋を汚染し続けていることを思うこと。

ぼくらは、毎日新聞に書かれるホモ・サピエンス、
アメリカや永田町の下品な人間たちのふるまいばかり見る必要はない。
ぼくたちには、バッタがついている。アリがついている。
みんな仲間なんだ。

日本の原発を推進したい人たちは
自分が生き物だと思っていないんじゃないだろうか?
まるで自分が中性子とかジルコニウムかなにかだと思っているのか?




そんな言葉たちが、みんな体と心に、吸収されていくようでした。
そうだね、わたしは生き物だ。
だから、やっぱり原発も、核兵器も、いらないんだ。
生き物だったら、ほんとにいらないよね。

帰りのサイン会で
「よくがんばったね、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び・・・」
と子どもたちをねぎらってくれました。

だって3時間もの講演会でしたから。予定はかなりオーバーしました。

コミュニティーバスには乗り遅れ、香具山を見ながら、大福駅(おいしそう)まで40分歩いて帰りました・・・・・。












敦化遺棄毒ガス裁判一審判決結果・棄却

2012-04-17 | Weblog
昨日は東京でタイトルの裁判の判決が出ました。

去年娘と行ったり、引っ越す直前に行ったりした
二人の中国の少年が原告になった裁判でした。


わたしは今回行けなかったけれど、友人からメールで
裁判所の出した判決
「棄却、理由は日本政府が結果を回避すべき義務に違反したとまでは
評価できないから」という残念なニュースが伝わりました。

朝日新聞の報道


だったらこの子達はどうして苦しんでいるんだろう?
誰のせいで?


勝手に傷ついて苦しんでいろ、ということなのか?



くやしすぎる。
彼らは控訴するそうです。

東京にはなかなか行けないけれど、応援します。




しゅにえ

2012-04-15 | Weblog
いままでお水取りという名前は聞いたことがありましたが
どんなものかぜんぜんしりませんでした。
説明をどうぞ~HPより。

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東大寺二月堂修二会(お水取り・お松明)

 東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、天平勝宝4年(752)、東大寺開山良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)によってはじめられたと伝えられます。以来一度も途絶えることなく続けられ、平成13年(2001)には1250回を数えました。

 この法会は、現在では3月1日より2週間にわたって行われていますが、もとは旧暦の2月1日から行われていましたので、二月に修する法会という意味をこめて「修二会」と呼ばれるようになりました。また二月堂の名もこのことに由来しています。

 行中の3月12日深夜(13日の午前1時半頃)には、「お水取り」といって、若狭井(わかさい)という井戸から観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式が行われます。また、この行を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりとして、夜毎、大きな松明(たいまつ)に火がともされ、参集した人々をわかせます。このため「修二会」は「お水取り」・「お松明」とも呼ばれるようになりました。

 12月16日(良弁僧正の命日)の朝、翌年の修二会を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる11名の僧侶が発表され、明けて2月20日より別火(べっか)と呼ばれる前行が始まり、3月1日からの本行に備えます。そして3月1日から14日まで、二七ヶ日夜(二週間)の間、二月堂に於て修二会の本行が勤められます。

 「修二会」の法要は、正しくは「十一面悔過(じゅういちめんけか)」といい、十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)を本尊とし、「天下泰平(てんかたいへい)」「五穀豊穣(ごこくほうじょう)」「万民快楽(ばんみんけらく)」などを願って祈りを捧げ、人々に代わって懺悔(さんげ)の行を勤めるものです。前行、本行をあわせてほぼ1ヶ月、準備期間を加えれば3ヶ月にも及ぶ大きな法要となります。


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たまたま3月1日に一人でぶらぶらと東大寺を歩いていたら
今日からだということで、カメラマンが集結、準備の様子をばしゃばしゃと写真撮っていました。
お水取りって、一日だけじゃないんだ♪
ということで一番混雑するという12日ではなく
平日7日に行って、見てきました。

わたしたち母子と、
引っ越す前から励ましてくれ、今もわたしたちにとって心強い友人Aちゃん母子と6人で。

17時ごろ到着しましたが、もうけっこう場所が埋まってました。
階段に腰掛けて、Aちゃんたちが作ってきてくれた菜っ葉入りのおすしを食べながら
19時の開始を待ちました。



一番クライマックスの日ではないにしても
松明が暗い階段を駆け上り、
ごろごろと転がりながら廊下の先まで火の粉を散らして行く景色はとても壮観でした。
おお~、とどよめく観衆のわたしたち。



でも、
昔はこれ2月にやっていたんだよね。
寒いときにやるのがふさわしいかも。
なんで暦を変えたんだろう明治政府は。

1260年前から毎年続けてきた行事。
戦乱のときも、飢饉のときも大戦のときも。そして今原発がこわれました。
ずっと毎年懺悔してきた人間って、なんなんでしょ?すこしはましになってるのかね!?

十一面観音さま、どうですか・・・・。



それから、「これは厳粛な法要です」と何度もお寺の係の人が言ってるのに
大きな声で携帯でおしゃべりする人、
フラッシュで撮影する人。

「フラッシュはやめてください」と何度もいわれてるのに気づかず
「わたしのカメラ光ってますか??」と注意した係の人に聞く女性。


「光ってますよ。ご自分に向けてやってみてください」と諭されてる。


「ぼく、なんか、あんまりよくないと思った」と息子の感想。
ほんとにね。人間はどこへ行く?