うろこ玉絵日記

日々のなにげない一こまを絵日記にしてみました。大阪に近い奈良県在住です。
マウスでかいてまーす。

だれかおしえてほしい。

2011-05-22 | Weblog
「あなたって、ほんとに、何になりたいかわからないわ」

そういってきれいな服を着込んだ友人はタクシーに乗って行ってしまった。

わたしは
そうだな、ほんとうにわたしは何になりたいかわからないな、と両手を拡げ
これ、この通り、資格も地位も名声もなければ、上昇志向もない
自分がどこに行きたいかもわからない、と独りごとを言う
という夢をみました。


3月11日で世界は変わりましたが
わたしそのものの、生きる姿勢は、あまり変化がないようです。
今まで通り、身の回りの人と生き物の命を大事にする。
なんて教室の後ろにでも貼られていそうな、「もくひょう」ですが。




いろいろ考えてしまったことがあります。
なぜこの国のえらいひとたちは、ひとの命を大事にしないのだろうということ。
政府からも、東電からも、テレビに出る学者や研究者と呼ばれる人からも
「あなたの命が大切だ」というメッセージを受け取ることはできません。
そして、情報はいつも嘘ばかり。


なぜ人々はまるで戦時中のような動きをするのかということ。
今は治安維持法もなければ、言論統制もなければ、
ファシズムの嵐が吹き荒れているわけでもなく、
一応天皇は象徴になっていて
わたしたちは戦争が終わって民主主義の国ですよ、
これからは色んなことを自分たちで決めていけるのですよ、と習ったはずなのに

一致団結のなかに
うまく隠されているもの、それがとてもいやな感じがする。



以前、戦中派の友人が
「戦争が終わったからといって、なにも変わったわけではない。
雇い主が変わっただけ」と言いました。
それをわたしは半信半疑で聞いていました。

やっぱり、なーんにも、変わってないんだなー、と激しく失望しています。
絶望はするな、と友人が言うので、絶望とは書きません。

でも、ほんとうに、今わたしの住む世界とは、なんなんだと
がっくり膝をつきたくなるのです。


戦争が過去起こってなくても、今こういう行動したの?
それとも、昔からずっとずっと、同じなのかなー。



病み上がりでちょっとぼーっとした頭で書いてみました。
いま感じてること忘れないように。








裁判傍聴してきました。

2011-05-17 | Weblog
昨日は裁判の傍聴に!初体験!

今日は長文だぞ~覚悟~。





運動会の代休で中学が休みだった娘と二人で・・・・。

わー、ほんと?ママと東京だってー、とルンルン身支度していた娘には、なかなか言えなかった。
「あのさ、東京いくけど、裁判傍聴に行っていい?」


「・・・・・いいよ。」
やっぱりひと癖あったか、といった表情。



東京地方裁判所は、霞が関にあります。
ほんとうは東京高等・地方・簡易裁判所合同庁舎というみたいです。


新橋で友人と待ち合わせ。
線路沿いにある東電本社前を通って行きました。
機動隊の車が何台も停まり、テレビ局の車から長いコードが社屋につながっていました。



裁判がはじまるのは、11時半からですが
ちょっと早い時間に着いたので、すぐそばの弁護士会館の1階で、
自動販売機でカップのミルクティーを買って、椅子にすわって時間をつぶします。
60円くらいで買えるのです。

娘は
「こんなとこ社会見学してる中学生なんかいないよー」
と表情を硬くしています。




11時過ぎに裁判所へ。
巨大な建物です。あ、ここテレビでよく映ってる?と思うエントランス。
「勝訴」!ワー!とか「不当判決」!ブー!とかね。
でも、わたしたちが入ったのは裏の入り口ですから、よく報道で映るのは正面かもしれません。


建物にはいるとすぐ、持ち物を警備員さんに預け
空港のようにチェックされます。

エレベーターで7階まで。

しんとした廊下はつるつる、ぬめぬめしていて病院のようでした。
娘と「なんかこわいね」とぼそぼそ話していたら
「こんなとこで裁判やると、自分がすごい悪い人に思えるでしょ」
と友人が言いました。




この日わたしたちが傍聴したのは、二人の中国人少年を原告に旧日本軍の捨てた毒ガス弾による被害を訴えている
敦化事件でした。


くわしくはこちら

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 敦化事件とは

敦化事件は,2004年7月23日,中国吉林省敦化の郊外の村を流れる小川で遊んでいた少年2人が旧日本軍が遺棄した毒ガス弾を拾い上げ漏れた毒ガス液に被毒した事件です。

 裁判の経過

2008年1月17日 東京地方裁判所に提訴

2008年6月22日 第1回口頭弁論

2008年8月25日 第2回口頭弁論

敦化事件とは,北朝鮮との国境に近い吉林省敦化(トンカ,中国語読みでトゥンホヮ)の郊外の小川で遊んでいた周くん(1992年生まれ)と劉くん(1996年生まれ)が,2004年7月23日,偶然拾った毒ガス弾から漏れた毒ガス液を体につけてしまい被害にあった事件です。

 夏休みの初日2004年7月23日、敦化郊外の蓮花泡林場(昔は馬鹿溝といいました)というところに流れる小川で、幼なじみの劉くん、周くん、あと二人の少年が裸で水遊びをしていました。
そこで周くんが偶然土手に刺さっている砲弾を見つけ、引き抜いて拾って小枝で泥をこそげ取ったり砲弾の穴をほじくり返したりして遊んだ後砲弾を持ち運んだときに、周くんの太ももに毒ガス液が砲弾の弾頭の穴から数滴流れ落ちたのです。
 そして、周くんが砲弾の穴を小枝でほじくり返しているときに、小枝についた毒ガス液がはねて、劉くんの脚にもついてしまったのです。劉君は足についた毒ガス液を右手で拭いてしまい、毒ガス液が手にべっとりと付いてしまいました。

 周君は家に帰ってから針で刺すような痛みに襲われ、水疱が脚にいくつもできました。劉君も水疱が脚にできたほか、毒ガス液がついた右手は指が腫れ上がり、真っ黒になってしまいました。
周君と劉君は敦化市立病院に61日間入院し、水疱をつぶして薬を塗ったり、点滴を打ったりという治療をしました。
 周君も劉君も、チチハルの被害者と同様に、風邪を引きやすくなったり、持久力がなくなって走れなくなりまわりのお友達と一緒に遊んだり体育の授業を受けたりすることができなくなっています。集中力がなくなって成績も落ちています。
 本人たちはとてもけなげですが,親たちはこの病気がどんどんひどくなるのではないか,これからもいろいろな症状が出るのではないかととても不安に思っています。


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周さん今年19歳。劉さん今年15歳。
裁判が始まってから、数回彼らや彼らの親族は支援者の助けを借りて来日、
裁判所での意見陳述を行ったり、医師の診察を受けたりしているそうです。

もう今年は2011年ですから、3年もこの裁判を闘っていることになります。

わたしたちが行った昨日は、ご本人はいなくて、
原告である少年の弁護団と、被告である国とのあいだのやりとりを、裁判官が仲立ちするというかたちで3~40分で終わりました。
法廷は7階の小さな部屋。
それでも傍聴は30人以上いたでしょうか。




チチハルの事件は敦化よりも規模が大きく被害者は40人以上、注目度も大きいのか、
1階の大きな法廷でひらかれることが多いそうです。

チチハル事件

(2003年8月4日、中国黒龍江省チチハル市内において、団地の地下駐車場建設現場から5つのドラム缶が掘り出され、中から漏れた液体が周辺の土を真っ黒に染めていました。掘り出された時点では、これが何の液体なのかわかるはずもありません。ドラム缶の撤去作業や、真っ黒な土の上で作業は続けられました。その場所で、15人がドラム缶や土から液体を浴びてしまいました。

  さらに、工事現場の従業員が、くず鉄の再利用をする目的で、このドラム缶を近くの廃品回収所に持ち込んだ結果、ドラム缶を解体する作業に参加した10人が液体を浴びてしまいました。
  ドラム缶は、無害化処理のために化学工場へ運ばれましたが、この化学工場でも、1人がドラム缶に近づき、被害にあいました。)





昨日の裁判では、
「毒ガスの被害によって、周君と劉君にどのような被害が生じたか(損害論といいます)の主張に入」ったそうです。
敦化で被害を及ぼした毒ガス、イペリットとルイサイトの特性や症例を国側に準備書類として渡し、
わたしたち傍聴者にはその抜粋が配られました。

まず60年以上経過してもなお、人への凄まじい殺傷能力を持ち続けているという毒性に驚嘆します。
通常の毒ガスは、吸引や吸入によって被害を生じさせますが
イペリットは「死の霧」と呼ばれ、空気中にあるだけで皮膚から吸収されます。
体中の血液をめぐり、長い潜伏期間を経て、呼吸器、免疫機能、神経、皮膚、眼、内臓などさまざまに
複合して、継続して、進行していくという深刻なものです。

強烈な発がん性物質であり、一度被毒、被曝すればその後治癒する気配はなく、
永久的に症状が継続、悪化していく可能性が指摘されています。


これらの毒ガスは、どれだけ敵にひどい打撃を与えるかという観点からしか研究されていないので
これといった治療法が確立されていないのだそうです。





どちらの裁判も、多くの健康被害を訴えたり、戦後補償を訴えたりする裁判と同じく
長く、険しい道です。

僕らこんなこと、何年もやってんの。地味でしょ。と友人らが言うように
本当に地道で、なかなか注目もされない取り組みです。
それでも関わっている支援者や弁護士さんらは活気にあふれ、目を光らせていました。



この被害は、中国だけでなく、日本国内でも起きています。
国内での毒ガスの生産、保有34か所。廃棄、遺棄44か所。被災発見823件。
うち被災62件においては死者11名、負傷者355名、不明者多数、ということです。


まだ、この数値にでていない、埋もれた被害が国内でも中国でもたくさんあることと思います。
ただの怠け病とか、原因不明の病気で片付けられていることとかありそうです。

最近では、茨城県神栖市、毒ガスの「あか剤」のヒ素が地下水を汚染、
井戸水を飲んだ地域住民数百人がヒ素中毒。
現在公害等調整委員会に提訴していますが、生活支援、医療支援が必要です。


海軍毒ガス工場跡地(高座郡寒川町)では
2002年に被災した元作業員が後遺症に苦しみながら国、企業を相手に提訴の準備をしています。
わたしはこれにとても関心があります。
できれば始めから追っていきたいです。




今の原発震災の被害も、これからどうなるか想像できないわたしですが
ずっと前から気になっていた裁判でしたので、足を運べてよかったです。
今後も注目していきます。


五月晴れというのがぴったりな、新緑あふれる日比谷公園でお昼ごはんを食べました。
娘は「あー、緊張したー!」と言ってました。
傍聴してるときも、髪の毛いじったり、爪をいじったりしていたのは、緊張していたからなのね。
ぶらぶら、散策して、買い物して帰ってきました。



これから先、子どもたちが原告になる未来なんてぜったいやだ。

そのためにわたしはどうしたらいいんだろうなーと考えます。








緑は萌える

2011-05-14 | Weblog
ここ小田原の稲の苗も、陽と雨をあびてすくすく育つ。かわいいよ。


わたしたち、今年もお米を作れるのかしら、と田んぼ仲間と少し話す。


アヤメも、シャクヤクも、ラベンダーも、コゴメウツギも、みんなうつくしい。






うたって~

2011-05-11 | Weblog
わたしはカラオケには行っても年1回くらいで、
友だちに誘われなきゃ行きませんが
歌うのは大好きです。


デイサービスではご高齢者と一緒に、いろんな歌を歌います。
童謡も楽しいですけど
やっぱり昔の歌謡曲のほうが受けがいいです。

「青い山脈」若く明るい歌声に~
「人生の並木道」泣くな妹よ妹よ泣くな~
「鐘の鳴る丘」緑の丘の赤い屋根~
「港町十三番地」長い旅路の~航海終え~て~
「星影のワルツ」別れるこ~と~は辛い~け~ど~

これらはみんなデイで覚えました!
昔の歌はいい歌だね~、と、おばあちゃまがた。うんうん。



先週の土曜日は、田んぼ仲間のほいさんそふぃさん宅で飲み会。
ギター生演奏(byほいさん)でわーわー歌いました。
途中で一人眠り二人眠り・・・最後にはギタリストも眠った!!こら!

キャンディーズ、ピンクレディー、井上陽水、サザン、
サンボマスター、BEGIN、プリプリ、松田聖子などなど・・・
もうこれでもかってくらいうたったよ!
おばあちゃんたち知らない歌。



わたしたちがいつも美味しい豚肉をいただく、
養豚を営む相原さんらの立ち上げた被災地ボランティアグループ
フロムあしがらのメンバーの皆さんは
昨日から名取市と南相馬市に入りました。
元気で帰ってきてくれることを心から願っています。
現地でも、みんなで夜でも朝でも、ほんの少しの合間にでも歌っていたらいいな、と思ってこの記事を書きました。




現地でのようすはここからみられます。
たくさんの方々が支えてくださっていることに、感激しています。





どんな未来がお望み?

2011-05-05 | Weblog
震災後、原発で作業する人たちの自己造血幹細胞保存の計画の報道を読み、
もうぜったいやってほしい、国で費用も負担したらいいのに、と思っていました。

まだすすんでいなかったのですね。

池田香代子さんのブログで知りました。
このブログで紹介された原発作業員およびご家族、国民のみなさまへは、とてもわかりやすい心のこもった文章です。

ちょっと注文をつけるなら、日本語で所在地や連絡先を書いてくれたらもっとよかった。


どんな人たちが働いているんでしょう?
英雄のようにたたえて、でもたたえるだけでその人たちが困った時に面倒みないのは
多くの人が重ね合わせているように、前の戦争で戦わされた人たちといっしょだよ。


知り合いは、以前静岡にいたときに浜岡原発の事故が起こり
後始末に静岡駅周辺の野宿者たちが駆り出されたと手紙をくれました。
のちに彼らになにかあっても、責任をとりたくないから、それに都合のよい人たちを使ったのでしょう。



今の福島ではどんな人たちが携わっているのかはわからないけど
物質的に豊かな暮らしのために健康も生活も損なう人を作るシステムには、わたしはもう乗らないで生きて行きたいよ。