大阪城の紅葉は最後の力を振り絞って、顔を赤く染めていた。2024年12月20日
大阪城に行く。
寒いせいか、人は少ない。
反して、大阪城内にあるスタバは、満席。
12月も20日ともなるとかなり冷え込む。
大阪城の紅葉は最後の力を振り絞って、顔を赤く染めていた。
大阪城の紅葉は最後の力を振り絞って、顔を赤く染めていた。2024年12月20日
大阪城に行く。
寒いせいか、人は少ない。
反して、大阪城内にあるスタバは、満席。
12月も20日ともなるとかなり冷え込む。
大阪城の紅葉は最後の力を振り絞って、顔を赤く染めていた。
つれ/″\種 上 正徹本 14 第五十二段~第五十四段は法師と児の話)御むろにいみじき児(ちご)ありけるを、いかでさそい いでてあそばむとたくらむ法しの有りて
第五十四段
第五十四段~五十六段
第五十二段~五十三段
第五十二段~五十三段は二話ともに、仁和寺のお坊様の話。
また、第五十四段は御室(京都の御室)の法師の話。
第五十四段の始まりは
御むろにいみじき児(ちご)ありけるを、いかでさそい
いでてあそばむとたくらむ法しの有りて、、、
という文から始まる。
記録、抜ける
『阿波人形浄瑠璃』人形浄瑠璃と、文楽との比較 東大寺公演 2024年
始めて人形浄瑠璃を見た。
民俗学の開設の多くに、人形浄瑠璃は文楽に比べて土着てき要素が強いと記されていたが、まさにそういった場面に出くわした。
東大寺といった近代的なホールで開催された阿波の人形浄瑠璃であったが、
徳島の地元民に根強く密着した味わいを肌で感じた。
まず、真正面の前方から三列は関係者席で、その関係者が満員であった。
人々は親しげに、口々にあいさつを交わされていた。
村で行われているときなどは、酒など交わされていらっしゃるのだろうかと勝手に想像し、ほほえましく感じた。
またわたくしの横にお座りになられた90歳手前のご婦人は、毎年この『阿波人形浄瑠璃』を楽しみにされていらっしゃるという。
「傾城阿波の鳴門 十郎兵衛住家の段」の筋書きを事細かに教えて下さったり、お芝居や阿波踊りの時には、目をしばしばとさせておられた。
徳島のどこそこ(忘れました)でお生まれになり、大阪で40年暮らし、今は奈良に住んでいらっしゃるという。
90歳前のご婦人はお元気で、『阿波人形浄瑠璃』や阿波踊りについていろいろと教えて下さった。
「『阿波踊り』っていうのは、昔子供の頃は、あんな良い恰好をしておられなかったのよ。昔は女の人の長襦袢(着物の下に着る下着の着物)を着て、鉢巻きまいて踊ってられたのよ。(要約)」
なるほど、そうなんだと、納得した。
人形浄瑠璃は土着性が強いと上に書いたが、『阿波人形浄瑠璃』と文楽の違いでも、色々と感じたことがあるので、記録しておきたい。
『阿波人形浄瑠璃』の「傾城阿波の鳴門 十郎兵衛住家の段」は、阿波の方なら知っておられる方も多いのではないか?と感じた。
筋書きは歌舞伎のように単純で、実娘と母が再開するが、父親は分かれた実娘と同じくらいの年齢の娘にたかり、偶然だが、殺してしまう。
この父親の心理状態が、私には理解できないが、阿波の方はまた違った感想を持たれるのであろう、、、
『阿波人形浄瑠璃』は文楽に比べて、土着的だが芝居性が高い。
見得を切る場面や形を作る場面は、歌舞伎さながらで、芝居的に考えるならば、文楽よりもデフォルメが強く、見慣れている。
ただし、こういった山場でさえも、人形浄瑠璃の場合は大向こうはおろか、手をたたく人は一人もいない。
この点にお家、私の考えていた人形浄瑠璃は、期待を裏切ることとなる。
皆が静かにのめりこんで聞いているか、或いは大きな鼾(鼾)をかいて眠っておられた。
不思議なので幕間に、90歳のご婦人に聞いてみた。
「そうやね、手はたたかへんねぇ。お芝居が可哀そうだから。(要約)」
そうなのだ!浄瑠璃は文楽とは違って、山場でも手はたたかないのだ。
そのくせ、あちこちで、カメラや携帯カメラの音が激しい。
歌舞伎が好きな私は山場で高揚した行動をとらない浄瑠璃は、能楽とは違って、物足りない感じがしたというのが本当のところ。
おそらくもう見ることはない浄瑠璃だが、文楽との違いも感じ取ることができ、有意義であった。
一月新春、大阪の国立文楽劇場で文楽が開催されるが、行ってもいいかな、、、と、心が動き始めた。
また、最後に阿波踊りを披露されたが、隣のご婦人は懐かしさに、目をしばしばなさっておられた。
阿波踊りは二度ばかり言ったが、もう一度行きたいなと感じた。
2024年12月7日(土)
「寿二人三番叟」
「傾城阿波の鳴門 十郎兵衛住家の段」
「大仏連」の阿波おどり
太夫/竹本友和嘉
三味線/鶴澤友勇
人形座/青年座・とくしま座
佐藤憲治 徳島県立阿波十郎兵衛屋敷館長
『春日若宮御祭礼 後宴之式能』 『采女』『鵺』狂言『口真似』 2024年12月18日
『春日若宮御祭礼 後宴之式能』に行く。
今年の演目は、『采女』と『鵺』
両曲共に何度となく楽しんだことがあるが、『鵺』の後シテの赤頭はいつもながらに恰好が良い。
歌舞伎の荒事のようで、見ていてドキドキする。
春日大社で見る『采女』も、猿沢の池からほど近く、感情が伝わってくる。
今回の『采女』は抑え気味だったせいか(?)、采女の心情が伝わってくるようで、感情移入をしながら見ていた。
百番集を見れば、ずいぶん前の書き込みをしており、当時の私の心情を思うメモ書きに、今回の『采女』を重ね合わせて味わっていた。
いずれ、今一度、『采女』と『鵺』もしっかりと抑えておきたい。
書物で、天野先生が開設されていればいいのだが、、、
こつぃの相撲は時間が長かったせいか、能楽が始まっても相撲を催されていらっしゃる敷地から、歓声が聞こえていた。
写真は能楽の席を確保し、用の為春日大社を歩いていた時のもの。
相撲は見なかったが一枚だけ、写真撮影をさせていただいたもの。
★能 采女 櫻間右陣 福王和幸 中村宜成 喜多雅人 島田洋海 笛 左鴻泰弘 小鼓 荒木建作 大鼓 井林久登
★狂言 口真似 茂山千五郎 茂山逸平 網谷正美
★能 鵺 金春穂高 福王知登 山下守之 笛 左鴻泰弘 小鼓 荒木建作 大鼓 井林久登 太鼓 前川光範
14時
春日大社御旅所
雨天の場合は春日大社内
写真は春日大社御旅所
ここで毎年12月18日に『春日若宮御祭礼 後宴之式能』が行われる。
つれ/″\種 上 正徹本 13 第五十二段~第五十三段(第五十二段~第五十三段は仁和寺の話。京都の中では、第五十二段~五十三段は語り継がれる場合も多い)
第四十八段~四十九段
第五十二段~五十三段
第五十二段~五十三段
第五十二段~五十三段は二話ともに、仁和寺のお坊様の話。
私は京都市の真ん中の生まれだが、徒然草の中でも特に第五十二段~五十三段の話す機会が多い。
京都の中では、第五十二段~五十三段が一種のしゃれ(?!)のような役割を果たしているともいえるのかもしれない^^
記録、抜ける
おんまつり 2024.12.17 (奈良 春日大社 三条通りにて行列を見る)(10景)
2024年、三条通りにてお練りを見る。
奈良県庁前方出発された御一行は、油阪を通り、JR奈良駅へ。
さらに三条通りをまっすくと春日大社へと向かい、いったん影向の松(ようごうのまつ)の前で舞などを披露し、御祭り中は若宮様のいらっしゃる御旅所へと向かわれる。
影向の松(ようごうのまつ)とは以前にも何度か書いているが、春日大社の一の鳥居を少し進んだ右手にある松。
能舞台の背面に描かれている松は、この松だと言い伝えられている。
奈良の三条通りで楽しませていただいた行列の一部だが、順を追って紹介したい。
おんまつりだが、今はいろいろな芸能が御旅所で行われており、夜なかには かんこうの儀がおこなわれる。
チケットの整理:新春は考玉、、違った二左玉(仁左衛門丈と玉三郎)の芝居を見に行くよ^^
考玉、、違った二左玉(仁左衛門丈と玉三郎)のチケットをとったよ。
一週間ほど遅れての購入なので、好みのお席がなかったよ(笑)
でも、考玉(私にとってはいつまでも考玉)が見られるだけで、幸せ~~~
こりゃりゃ!春から、縁起がええわぇ!!!
十二月
能楽
2025
一月
松竹創業百三十周年 片岡仁左衛門 坂東玉三郎 初春特別公演
京響 1/11
京響定期演奏会 1/18
三月
ヴィバルディ 歌劇『椿姫』3/14
ピアノ シフ・ミーツ・モーツァルト 3/23
松竹創業百三十周年 片岡仁左衛門 坂東玉三郎 初春特別公演
2025年1月11日(土)~26日(日)
午後2時~
大阪松竹座
四世鶴屋南北 作 渥美清太郎
一、於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)
土手のお六 鬼門の喜兵衛 土手のお六 油屋太郎七 番頭善六 山家屋清兵衛 鬼門の喜兵衛 坂東 玉三郎 坂東 彌十郎 片岡 松之助 中村 錦之助 片岡 仁左衛門
二、神田祭(かんだまつり)
鳶頭 芸者 片岡 仁左衛門 坂東 玉三郎
みどころ
一、於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)
江戸は向島で莨屋を営む土手のお六のもとへ、かつてお六が仕えた奥女中の竹川から文が届きます。
そこには、紛失していた御家の重宝である名刀・午王吉光と折紙が油屋にあるとわかったので、取り戻すために必要な100両を工面してほしいとありました。
お六が思案するところへ、亭主の鬼門の喜兵衛が帰ってきます。
実は、喜兵衛はそれらを盗み出した張本人でしたが、その刀はすでに質に入れ、借りた金も使い込んでいました。
河豚にあたった男の死体に細工をして強請りをすることを思いついた二人は油屋に乗り込みますが…。
数々の名作を生み出し「大南北」と称される四世鶴屋南北の『於染久松色読販』は、大坂で起こったお染久松の心中事件の舞台を江戸に移して描かれた作品です。
今回はそのなかの、土手のお六と鬼門の喜兵衛という夫婦の活躍する場面を中心に上演いたします。
“悪婆”と称される役柄で、凄みのあるせりふで啖呵も切る一方、愛嬌もある土手のお六を玉三郎が、そのお六が尽くす、夫で悪の色気に満ちた鬼門の喜兵衛を仁左衛門が勤めます。
退廃的な悪の魅力と後にユーモラスな展開もみどころの人気作にご期待ください。
二、神田祭(かんだまつり)
今日は江戸の庶民が待ちに待った「神田祭」。
祭囃子に浮足立つ江戸の町を背景に、粋な姿の鳶頭と艶やかな芸者が賑やかに、仲睦まじい様子で踊ります。
江戸の情調を賑やかな祭りの風情で描き、清元の舞踊に仕立てたひと幕。仁左衛門の鳶頭と玉三郎の芸者、至高の組み合わせでご覧いただきます。
片岡仁左衛門と坂東玉三郎、息ぴったりの二人でみせる、珠玉の2作品。
大阪松竹座では実に19年ぶりとなる共演
フレデリック・フランソワ・ショパン / NobuyukiTsujii / Chopin: Nocturne Op.9 No.2
NobuyukiTsujii / Chopin: Nocturne Op.9 No.2 May 16th, 2022
先日のバラビーノのピアノのコンサートを思い出して、ショパンを聴いてみる^^
以下はショパンについて(Wikipedia)
▼
フレデリック・フランソワ・ショパン(仏: Frédéric François Chopin 、ポーランド語: Fryderyk Franciszek Chopin
生年未詳(1810年3月1日または2月22日、1809年説もあり[注釈 3]) - 1849年10月17日)
ポーランド出身の、前期ロマン派音楽を代表する作曲家。
当時のヨーロッパにおいてもピアニストとして、また作曲家としても有名だった。
その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、ピアノの詩人とも呼ばれるようになった。
様々な形式・美しい旋律・半音階的和声法などによってピアノの表現様式を拡大し、ピアノ音楽の新しい地平を切り開いていった。
夜想曲やワルツなど、今でも彼の作曲したピアノ曲はクラシック音楽ファン以外にもよく知られている。
これらの情熱的かつダイナミックな曲はクラシックピアノを学ぶ者の憧れであり、大きな目標となっている。
そのためピアノの演奏会において取り上げられることが多い作曲家の一人である。
また、母国ポーランドへの強い愛国心からフランスの作曲家としての側面が強調されることは少ないが、父の出身地で主要な活躍地だった同国の音楽史に占める重要性も無視できない。
映画『THE GREATEST SHOWMAN グレイテスト・ショーマン 』3,8★/5
映画『グレイテスト・ショーマン 』を見た。
概ね感動はしていたが、難しいモティーフだ。
卑屈な鑑賞の仕方だと非難を受けそうだが、次のような感じ方をした。
釈然としない部分がある中、ヒゲ女さまの
「私は親にも見放されていた、存在すら、隠されていたのよ。そして、やっと、家族ができた。(要約)」
という言葉と、ラストの幕占めに胸をなでおろし、やはり感動すべき映画なのだと感じた。
また、各場面の歌やショーは、純粋に楽しめた。
今回も見たという簡単な記録だけで失礼いたします。
2018年
105分
『俵藤太物語絵巻』二度目を読む 4 かの山にむかでといふもの、いできて、野山のけだ物、かうがのうろづく(江河の鱗)をむさぼること、年久し。
P.18 ~19
、、かの山にむかでといふもの、いでき
て、野山のけだ物、かうがのうろづく(江河の鱗)を
むさぼること、年久し。、、、、、、、、、
『俵藤太物語絵巻』
チェスター・ビューティ・ライブラリィ所蔵
2006年
勉誠出版