京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

ひとりのつぶやき

2025年03月09日 | 日々の暮らしの中で
なんとはなしに周囲を明るく染める気配だったのが、色味を濃くしてきたのを見知れるようになってきた、よそさんの梅。
どんな具合だろうと、この時期は何度か足を向けている。




7日投稿文の最後の一文を削除した。
タイトルにしようとしていた言葉だったから、「置き土産ですね」などと書いて、満タンに満たさなくてもよかったのに念を押してしまった。 
生前河野裕子さんが指摘されていた、短歌の「結句病」が思い出されたことがある。
ただまあ私は、「読んだらわかるでしょ」とばかりに投げ出していて言葉が足りないことを、かつてずいぶん指摘されてきた。べつに強迫観念があったわけではないが、無駄なおしゃべりをしたようだ。

竹中郁さんの『こどもの言いぶん』の前書きにある一節だと、ブログを通じて教えていただいたことがあった。

「書くという作業は、他人に伝えるのが半分以上の目的ではある。
しかし、子供の場合は必ずしも、そうとばかりは限らない。
ひとりのつぶやきのようなものを書くことが、刺激になって、心が応じて成長するのだ。
身体は食べることで成長する。食べて身体を動かすことで成長する。
精神の方は感じて考えて、しかもその上書いて、成長する」

大人の寺子屋エッセーサロンとは別に、小中生対象の作文教室のような場があってもいいなあ…という思いが頭の中をすり抜けた昨日。
人にはものに感じる心がある。その心を、互いの言葉で知り合う。
書くことで自分の内面に向き合うおしゃべりをしてみようではないの。賛同してくれる子たちはいるものかしら。

もやっとした朧な思い…、大きく膨らまないかな???

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置き土産

2025年03月07日 | 日々の暮らしの中で

道すがら、ご近所さん宅の塀越しに2階にも達しようかという白梅を見あげて立ち止まった、
梅は枝ぶりの良さも賞賛されるのではなかったかな。


馥郁とした香りを幾度も吸い込んで、右にまわり左にまわりと眺めた。
古木には古木の佇まいがあるのだからと、我が家の老木の様子見は続く。



昨日、知人がやってきた。おっとりとした話し方をする女性だけど、とてつもない教養を宿している。
私は彼女の問いかけに、高校生だった息子が夏休みに読んでいた『シンドラーのリスト』を借りて読んだことがあるくらいだと答えたが、
「過酷な環境にあっても他人のために他人と一緒に生きることができる強さってどこからくるのかしらね。生きることそのものに思える」てな感じの言葉を残して帰られた。
その言葉を反芻しながら思った。へえ~!と気持ちが動いたら、あれこれ考えまい。この波動に乗ってしまえと。

彼女が話題にしたのは、『あの図書館の彼女たち』(ジャネット・スケスリン・チャール著 高山祥子訳)だった。
1939年、20歳の主人公オディールはパリのアメリカ図書館(ALF 1920年の設立で現在も実在する)に就職する。
パリで初めて書架を公衆に開放した図書館だそうで、登録者の出身国は30ヵ国に渡っていたという。
熱心な利用者からサービスを提供する側に立場を移して働き始めたのは、第2次世界大戦が始まろうとする時代で、やがてパリはナチスに占領される。
そうした中で、望む人すべてに本を届けようとオディールは仲間とともに奔走する…、らしい。それについてはまだ今38ページだから。


物語は、館長との面接後いっきに1983年へと移り、アメリカにいるオディールが描かれる。
この間の経過は今わからないままだが、隣家に住む12歳の少女リリーがオディールに関心を持ちはじめていた。リリーは訪問し、家に招いた。
オディールは問われるままに、パリがどんな街だったかを聞かせ始めた。

どんな人生を歩んでいるのだろうか。不穏な時代が人々の運命を翻弄したことは容易に予想できる。オディールは何を語るだろう。
当分の間、オディールの人生を追いかけそうだ。
それを見越すかのように一粒の種をまいてくださった。
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礼儀正しく、と

2025年03月05日 | 日々の暮らしの中で
曽野綾子さんの訃報を目にした。 93歳。
有吉佐和子さん、瀬戸内寂聴さんとともに「才女時代」の到来と注目された、とある。
一冊の小説も読んでこなかったが、『人生の収穫』『人生の旅路』をずいぶんと昔に読んだことがあった。

2冊の著書の中から、それぞれこの一節を書き写していた。

「自分の内心がどのようであろうと、平静と礼儀を失わないように取り繕え! 心からでなくとも、理性だけでもいいから愛を実行せよ、とキリスト教は教える。心と行動は違っても仕方がない。せめて心と行動とは裏腹でいいから、相手に優しくせよ、と教えているのだ」

「宗教の違いを超えることは、人間的な礼儀である。相手の信仰を何かのために使うことではない。相手の考えや信仰の対象に対して尊敬を払い、その人の心の安らぎを乱そうとは思わないから、私たちはできるのである。」
「根本のところでは立場の違いはある。…かなりものの考え方が違う。違いはあくまで礼儀正しく認め合えばいいのだ。」


さまざまな考えを持つ人の中で生きている。身近な小集団ほど人間関係は狭い。
そんなとき私のように感情が顔に出やすかったり、あまりに主観的な立場や考えを示していると、どことなく不平不満の裏返しに受け取られかねないし、不快感を与えるかもしれない。

嫁いだころ、義母はよく「出しゃばったらあかん」「後ろで見ていたらいんや」と小言めいたひと言をくれたものだった。右から左だった人間でも少しずつ、「わたしは」「わたしは…考えます」とは控えることを身につけていった。
むろん、どのような場でも言うべき時は発言している。思ったこと、感じたこと含めて。

心の内には思っていてもそのように行動、実践できないこと(とき)はある。
だから曽野さんからいただいた言葉は、言うならタカラモノ。

ただ曽野さんはこうも言われていた。
「どこかに欠陥がある体に耐えることは、凡庸な自己修行法だと思える」って。
体を「性格」とも置き換えて、心に刻んでいる。

大切なことは、心にしまうだけでなく、考えていることを自分の生活の上に証していくことなのだと思っている。
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縁に咲く華もある

2025年03月04日 | こんな本も読んでみた
昨年の大河ドラマは(ああ、ドラマだなあ)と思いつつ、途中パスする回もでてきたが、今年の「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺 」は、はるかに興味を持って観ている。江戸の出版文化が作られていく過程が、蔦屋重三郎を通してどう描かれるかに関心がある。


山東京伝のもとに書塾を営む沢田東里が訪れ、越後の鈴木儀三治(俳号・牧之ぼくし)が書き集めた北國の奇談の草稿に目を通してもらえないかと相談をもちかけた。

その絵の巧みさに目を奪われた京伝。
聞けば儀三治は19歳のとき行商で江戸に出た折、沢田東里の父のもとで書の手ほどきを受け、越後にあっては狩野派の門人に絵を学び、俳諧も村人たちと楽しむ男だった。
耕書堂を営む蔦屋重三郎と京伝とは17年にも及ぶ付き合いがあったが、この5月に死んでしまった。どの板元に…。
「承知の助だ。まずは預かってみる」と京伝だったが、さてここからが長い。

京伝、馬琴、玉山、芙蓉、様々な戯作者の手に渡りながらも頓挫が続く。『北越雪譜』刊行まで40年のときを要した。
実に多くの板元や戯作者(その作品名もだが)が登場し、交錯する人間関係、思惑が展開するが、何を機に、どうあって実を結ぶに至るのかと興味を引っぱられる形で読み終えた。

松岡正剛氏によると、鈴木牧之が交流した人士は、交わした往復書簡を貼りつけて綴じた『筆かがみ』というものに丁寧に残しているため、大体がわかるのだという。
また氏は「原画は牧之が描いたが、仕上げは京伝の息子の京山の手が入った」と書いているが、作品中では京山は弟であった。京伝に実子はいなかった。史実の脚色はさほど簡単ではないというが、どうなのだろうか。
それにしても越後と江戸の遠さよ。



夫・吉村昭の死から3年あまり
〈生き残った者のかなしみを描く小説集〉、5作が収められた『遍路みち』(津村節子)。
「私の身辺のことを綴ったものばかりを選び、ほとんど事実に近い」とあとがきにあった。


「楽しいことも 嬉しいことも あったはずなのに…、
 悔いのみ抱いて 生きてゆく遍路みち」

夫の死にまつわる騒動のいきさつなど語られ、自らの軽率を省みている。
十分な介護ができなかった悔い。
作家夫婦の暮らしぶりも垣間見え、情愛など染み入るが、どうあっても苦はなくならないという生きることの事実を深く強く思い知らされ、胸を突いてくる作品だった。一気に読んだ。
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思い出の器

2025年03月03日 | 日々の暮らしの中で
 「折に触れての幸せはおもいだすことばのあること」

と西野文代さんの著書にあった。

娘家族が5年間ほど大阪に住まいを移していたとき。
長女の孫娘が小学校卒業を控えて、家族でやって来た。雛膳づくりに一緒に包丁を持っていたとき、突然、娘の悲鳴にも似た声が上がった。
「あぁ―、ルーカスあぶない! こわれるよ!」
1歳3ヵ月になる第3子が仕丁の人形を払いのけ、赤い毛氈が敷かれた壇上に上がろうとしたのだ。

「あー、あー」としきりに指を指す。
女雛を見ていたのかしら。きれいだよね。
橘の花の黄色い花芯が落ちていた。

ひなあられのつまみ食いはよくあることでも、この雛段に上るという発想はなかったので、
夫と二人の眠りかけたような平素とうって変わった、こらえても笑いがこぼれるひとときを過ごさせてもらっていた。


何かに触れて、普段は眠っている思い出が器のなかから顔をだす。
「人間とは思い出の器」とは福島泰樹さんの言葉だが、古いものの上に新しいものが積み重なっても、けっして器が満杯になることはない。
意識的に忘れ去ったり、こぼし棄てたり、あたためつづけたり、出したりしまったり様々あれど、人は記憶で出来ていると納得する。

折に触れて思いだすことがある、できることは、幸せなのだ。

「あー、あー」とおしゃべりしていた子も3年生になってひと月余りがすぎた。
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春を召しませ

2025年02月28日 | 日々の暮らしの中で
1月は何かと新年の催しごとも多く、尼講の新年会は2月に入ってというのがこれまででした。それが今年は2度の寒波襲来、あわてるなとばかりに思いっきり予定を変更しての月末は、結局月始めの土曜日となりました。明日土曜日は3月の朔日です。
で、尼講さん寄り合って、ひな祭りと洒落込むことにいたしました。


娘の初節句には近所の女の子たちを招き、成長とともに学校友達が集まるようになって、もてなし好きの義母と一緒に、彼女たちの雛会を歓待したのでした。娘が小学校を卒業する春先、若い娘たちの集まりに尼講さんたちを加えてもらおうと義母が発案し、娘の許可もおり、仏さまを背に一堂に会して楽しんだことがありました。

喜々として赤飯を蒸し、ばら寿司を作り、もてなし好きをいかんなく発揮…したのは義母ですが、大きな鉄なべでお汁を炊いて、合間合間に義母の手伝いをするのが私でした。

今日昼から、お当番さんとおしゃべりしながらお汁の具材を切るなどして準備を終え、その間に私は会場も整えたしで、炊きだすのは明日のことです。
仕出し屋さんにお弁当を、洋菓子店にはケーキを届けていただくことにして、ちょっと贅沢な、女の祭り講を勤めます。
私に義母のようなカイショがないのを幸いに、バタバタと動き回らず、時には楽してゆっくり楽しもうのモットーです。


老いても華やぎを忘れたくありません。そうそう、生きている私たちの明るさがなけれなならないのです。雛も多くの人に愛でられて美しさを増すのでは。

夕暮れ時に灯したぼんぼりに雛のお顔はいよいよ白く、気高く映えています。

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春を知らせる

2025年02月26日 | 日々の暮らしの中で
昨日25日は天神さんで北野天満宮に市が立ちました。そして梅花祭。



「梅咲くや白くも濃くも大自在」とは程遠く、ちらほらとほころんではいるものの、まだまだこれから。


京の梅は開花が遅れていると報じています。このところの寒波の影響というよりも、昨夏の厳しい残暑と乾燥が影響しているようです。
天神さんの梅の見ごろも3月中旬ごろと耳にしました。



   白い自由画           丸山薫『北國』より    

「春」という題で
私は子供達に自由画を描かせる
子供達はてんでに絵具を溶くが
塗る色がなくて 途方に暮れる

ただ まっ白な山の幾重りと
ただ まっ白な野の起伏(おきふし)と
うっすらした墨色の陰翳(かげ)の所々に
突刺したような
疎林の枝先だけだ

私はその一枚の空を
淡いコバルト色に彩ってやる
そして 誤って
まだ濡れている枝間に
ぽとり! と黄色を滲ませる

私はすぐに後悔するが
子供達は却ってよろこぶのだ
「あゝ まんさくの花が咲いた」と
子供達はよろこぶのだ


誤って落ちてしまった色に、春を予感する子供たちの喜びよう! 

むか~し昔、中学生と一緒に読んだことがありました。
詩はあまり(ほとんど、かな)読んでこなかった中で、春先にときどき思い出す、好きな詩の一つです。

冬がようやく終わる、と実感します。
我が家の梅もまだまだ小さな蕾のまま。ただ気持ち、色味を濃くしていると言った感じでしょうか。

 

お雛様が売られています

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夢とうつつの境に

2025年02月24日 | 日々の暮らしの中で
来年飾れるかな、という思いだけが雛段を飾る力となり得ている。
せめて一年に一度、この世の空気に触れさせたいと思うのだ。


          箱を出て初雛のまゝ照りたまふ       渡辺水巴

昨年、ハルノ宵子さんの「3.16のお雛様」と題した短いエッセイ(2015年3月9日付け)の切り抜きを偶然にも見つけ、読むことがあった。
宵子さんの父・吉本隆明氏は、この3年前の2012年に87歳で亡くなられている。

吉本家では3月いっぱいはお雛さまを飾っていたそうで、隆明氏が入院中も例年通り、氏が寝所としていた和室の客間に飾ったという。
隆明氏が旅立ったのは3月16日だった。
病院から連れ帰り、まだお雛様が飾ってある客間に布団を敷いて寝かせたそうだ。
葬儀社の人からは片づけを促されたが断って、「赤のお雛さまと白いお花に囲まれ、実に愛でたいお通夜となった」と書いてあった。
それを今年も思い出している。


もともと夢とうつつの境界が曖昧なところがあった、と父親を語っている。
12分の11カ月ほどを暗闇に閉ざされて過ごすお雛様には「現世こそが夢」。
隆明氏の帰りを待っていたお雛様は「いいんじゃないの。私たちはどちら側にいたって夢の中なんだから」と、微笑んでいたらしい。
人が奇異に感じても、そうした日常だった中で最期の時を過ごすのも案外いいのかもしれない。

宵子さんは書いている(『隆明だもの』)。
「お寺には悪いが、どんなに催促されても、四十九日以降、一周忌の法要すらしていない」
「気の済むようにやってくれや」という父の声に従っているのであって、「父への最高の供養だと思っている」と。



娘が家を離れてからは、さすがに3月いっぱいは憚ったが、3日を過ぎてもさらに4日5日と飾ったままなのが例年のことになっていった。吉本家に倣って「思う存分〈現世〉にいていただこう」。
今や我が家の住人二人だって、〈夢とうつつの境界〉をさすらっているも同然かもよ。


午後も3時近くなると雪雲はすっかり遠のき、春の明るさで日差しが差し込んできた。

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人にはそれぞれの事実がある

2025年02月22日 | 映画・観劇
午後2時からという上映開始の20分前にチケット売り場に並ぶということになってしまった。
10分前には入場開始の案内があるので、すでに周辺には人も多く、それもやけに男性が多く詰めている。混んでいるのだ。実際残りの座席は7、8席ほどで、選ぶ余地もなく後方の空きを指定した。


海外の映画祭で13冠と評価された「事実無根」。
冤罪で大学を追われてホームレスになった元教授・大林明彦(村田雄浩さん)が、生き別れた娘・沙耶に会いに来る。
娘のアルバイト先「そのうちcafe」のマスター星孝史(近藤芳正さん)も、映画監督への夢が破れ、過去にDVがあったと妻から一方的に証言されて離婚、3歳で別れたまま15年間も娘と会えないでいる。
マスターの優しさは二人の間に奇妙なつながりを生み、やがて大きくドラマは展開する。

ウソか本当か。事実の捉え方は人によって異なる。
「事実無根というのは、どこにでも存在するのではないか」、
と語る監督の言葉が映画を紹介する記事にあった。
「生活するというのは、他人とともに生き、何かを共有すること。自分も京都で暮らすようになって救われた」と。
人にはそれぞれの事実がある。


人への批判力よりも自分を反省する、顧みる心がほしい。
「責任を自分に痛感する心が失われている」
いつだったか、高田好胤さんの言葉に触れたことが思い起こされる。

過去にとらわれながら生きる男たち、でも生きるには未来を見なくてはならない。それには今を大事に生きることが求められる。
「現実とどう折り合いをつけて人は生きていくのかを描きたいと思いました」と監督は語られている。

クラウドファンディングで集めた資金をもとに京都から全国展開を見据えているという。
近藤芳正さんのおかしみあるひと言がクスッとした笑いを何度も誘う。公園にやってくる子供たちとマスターとの親しみもいい。
「そのうちcafe」は下京区の六条院公園に隣接した実在する店だそうな。
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江戸の戯作 出版事情

2025年02月20日 | 日々の暮らしの中で

毎日寒いこの頃です。寒さで総毛だっているわけではなく、トロール人形というらしいです。
はだかんぼうでは寒そうです。



「一茶さん、ご紹介しますよ、鈴木牧之(ぼくし)さんです。越後塩沢のかたでね、俳人ですよ」
三七、八というところか、屈強の男で、律儀そうな眉だった。縮みの仲買人です、と自己紹介する声音と言葉は、一茶の耳にしたしい越後訛りである。名字帯刀を許された家柄だというが、絵も描き、詩作もし、俳諧にも親しむ。


「実はもうここ七、八年ばかり著述を続けております」
「京伝先生、一九先生、馬琴先生にもお願いしているのですが、皆さんそれぞれにお忙しくて…」
いつかは世に出したい。しかし江戸の出版業界は動いてくれない。

『北越雪譜』を世に出した鈴木牧之と一茶との接点があったのかと、『ひねくれ一茶』(田辺聖子)を読んで記憶に残った(史実を確認してはいない)。

一茶の故郷の信濃では、十一月の初めから白いものがちらちらする、人々は悪いものが降る、寒いものが降る、と口々に言い罵るのだ。やがて、三、四尺も積もれば牛馬のゆき来は、はたと止まり、長い冬が来る。だから初雪を村人はどんなににくむか、〈初雪をいまいましいとゆふべかな〉
などと田辺さんは描いたが、江戸と遠く離れた越後の様子も江戸に知られてはいなかったのだ。
豪雪地帯で人間の生活がどういうふうに宿命を受けているのか。興味深い民俗習俗行事にも触れて綴られた『北越雪譜』は岩波文庫で読める。

「もう7、8年」とあるが、10年をかけて綴ったようだ。
原稿は山東京伝に渡った。知らなかった雪国の風俗に興味をもち、出入りの版元に出版を頼むが無名の作者で利益が出るどうかかわからないと渋られる。(1年間そのままだったので一旦返してもらった、と牧之と一茶の会話にあった)。


どのような過程を経て刊行に至ったのだろう。
ひたすら書いて、刊行までには40年がかかったという。
40年かけて、著書を江戸でベスタセラーにした。
木内昇さんの『雪夢往来』でそれが読めるようだ。
「江戸の出版界に翻弄され続けた」「世に出るまでの風雪」と帯に読める。江戸の戯作者たちのライバル心、出版事情が描かれるようだ。


江戸後期の出版人・蔦屋重三郎を主人公にしたNHKの大河ドラマが始まっているが、この物語は初代蔦屋の没後に始まっているというから大河の関連本とは異なる。


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人をそしらず自慢せず… ちょっと孫話

2025年02月18日 | HALL家の話
        
1/31学校帰りに親友のJ君と魚釣り。クリークで釣り上げました(左) 
一昨日、釣竿を買ってもらったのだとか(右)
昨日は帰宅後に家から近い場所で、大きな魚を釣り上げました。このサイズの違いは竿のせい?


釣ったのは孫のタイラーですが、この魚の名はテイラー(Tailor)と呼ばれ、オーストラリアやニュージーランドではよく知られているようですが日本ではあまり見かけない魚だそうです。

友人やその家族に連れられ、魚釣りの楽しさを覚えはじめたのか。
“肩たたき 激励し合える人がある おお我こそ この世の幸運児~!!”
などと孫Tなら口にしそう…、だけどちょっと古めかしいや。



過日ゴールドコーストで開催された試合で、偶然にも主催者側のカメラマンがこのわずかな瞬間を追ってくれていたようです。

   

シュートを決めたのはチームメイトです。この孫Lのパスを受けて、みごとゴ~~~~ル。
所属するクラブのページにもアップロードされて、親はにっこにこ。応援団もにこにこ。
巧みなボールコントロール。“”華麗なるゴールアシスト”、なんて言って賞賛。もちろん私がです。


なんと言っても、パンパースでお尻を膨らませていた頃からボールを追い、その相手をしたのが私ですからね。

人をそしらず自慢せず…。って自慢してるじゃないの。いえー、自慢じゃないのよ。
思うに、彼らの生き生きした姿が嬉しいのだな。笑ふてくらそ ふふふふふ。
Tylerの、Lukasの、味のある一言が聞きたいなあ。


   そしる風ほめる風をもそのままに 柳になりて南無阿弥陀仏  
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梅が、満開ですよ / 梅の蕾

2025年02月16日 | こんな本も読んでみた

「私の家の庭に植えられている梅が、満開ですよ」

諦めていた診療所の医師・堂前が戻って来た。
歓声をあげたいような村長・村瀬の心の内は、夫人から分けてもらった梅の木が今満開を迎えているという歓びの声掛けとなって表われ、しみじみとするラストだった。
この梅の木は、三陸海岸に近い漁村の診療所に家族で赴任してきた堂前医師の妻が宅配便で苗木を取り寄せ、多くの村の人たちに贈ったものだった。
子どもは学校に馴染み、夫人は村人たちと山野を歩き回り、生活にも十分満足して暮らしていた。けれど夫人は白血病だった。

葬儀は湘南にある妻の実家で営まれた。
葬儀には岩手ナンバーのマイクロバス6台に分乗した200人を超える村人たちが駆けつけた。夜を徹してやって来たのだ。
わずか2年の日々に築かれた縁の深さに、思わず熱い気持ちがこみあげる感動の場面だった。


ブログを通じご紹介いただいた「梅の蕾」は、『遠い幻影』(吉村昭)に収められた12の短編の一つだった。
さほど多くは読んでいないが、そのなかでも短編集は初めてだった。

一篇一篇違うテーマで様々な人生を見せながら、それでいて描かれた世界は人間への慈しみが通底している。
短編だからこそだろう、どの作品もラストの切り上げ方がなんとも巧みだ。いいなあ!と思えて余韻に浸る。氏の優しさに触れるせいでもあろう。
文章も滑らかで、どことなく品?があるのをここであらためて感じていた。

表題作の「遠い幻影」では、印象深い記述に多く触れた。
「死はいつ訪れるかわからないが、漠とした記憶を記憶のままにしておきたくない気持ちがある。この世に生きていた間の事柄は、出来得るかぎりはっきりとさせ、死を迎えたい」


母親の壮絶な死を題材にした著者の私小説「夜の道」が収録されていると知って、同時に買い求めておいた『見えない橋』。今夜はこれを…。

「私の家の庭に植えられている梅が、満開ですよ」
早くこう言いたいものだが老木の蕾はまだまだ小さくてかたい。

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3人6つの手をかざして

2025年02月14日 | 日々の暮らしの中で
何か寄り合うことがあれば炭をおこして二人に一つの火鉢を用意したものだったが、出番はぐっと減った昨今。
二人の間の火鉢自体が熱を放ち、手をかざし合いながら暖をとる光景もまた部屋を暖めるぬくもりがある。


薬缶がシュンシュン音を立てる大火鉢のぐるりで、3人6つの手をかざしおしゃべりにいとまがない。

もっとも、二人はそれぞれに一方通行で、気のすむまで自分のことをしゃべり続けるから話は膨らまない。いるんだよなあ、こういう人。わかっているので必然、一歩下がって聞いている。まあ、ようけようけ喋って気を晴らす。噛み合わない話も、そのこと自体をおかしく聞かせてもらうのだ。
ただ…。

昔から少しも変わらないまま歳だけは80歳になられた感じのTちゃん。
「keiさん、おとうちゃんがな死にそうなんよ」と言いだす。
自分の連れ合いを他人に「おとうちゃん」というのも若いときからだ。けど、今はそんなことより「死にそう」だというTさんの様態が気になる。

入院しているのだが、昨日も今日もTちゃんは孫のピンクの傘を杖代わりにして、どこへ行くのか家のぐるりを歩いている。
「わたしは今年なんと80になるんやわ、keiさん」 会うたびに口にするTちゃん。

どうやらさほど“おとうちゃん”に緊急性はなさそうなのかな。話し半分に聞いてはいるものの、ぞんざいに聞き流せないことだってある。
ぼーっとしていて疲れたような、なんとなく安らいだような…。気を遣うことの要らない心やすさがあるせいかもしれない。

五目豆を炊いた。うまく煮立てて食す楽しみ。
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あなたのものになりますように / 12の贈り物

2025年02月12日 | 日々の暮らしの中で

明日はお客さんごとがあるからと思い、境内の落ち葉を熊手でジャリジャリ、ジャリジャリ、敷き詰めた小砂利を撫でるようにしてかき集めた。小一時間もするころ、左側の背脇から腰に重だる~い疲れを感じて、はいそこまで。
雨もしょぼしょぼしてきた。今夜は本格的な雨になるとかだ。意外と寒い。

今日は初めてカワセミを見た記念日。
賀茂川べりを歩いていて、気づけば葉を落とした小さな木に止まっているではないの。カメラを!と取り出す前に飛び去ってしまった。
塑像のようにじっとたたずんでいるのはこれ。






あなたが生まれた日、
あなたがはじめて小さな息をした瞬間、
世界中がよろこびでいっぱいにみたされました。


絵本の表紙を開いて、もう1枚開くと扉があります。そこから中に入りますと、最初の1文にこうあります。
この1文を読んで、あなたはこの本を読んでみようと思いますか?


ではもう少し。あと2文でこのページは終わります

あなたの誕生をいわって、生きとし生けるすべてのものが、
あなたに12の贈り物をさずけました。
あなたがその贈り物を必要とする日のために。


ご存じの方もいらっしゃるでしょう。
12の贈り物って? そのうちの一つは…。ページをめくってみます。

1番目の贈り物は

あなたには、けっしてかれることのない力の泉があります。
つかれはてこれ以上一歩も前に進めないと思ったときも、
あきらめないでください。


(……後略)
漢字にはすべてルビがふってあります。
『12の贈り物 The Twelve Gifts of Birth』 シャーリーン・コスタンゾ作



『ある日、小林書店で。』由美子さんは親しくなった保険代理店の女性にこの本を薦めてみました。何か響くものがあったのか、彼女は会社の社長にも薦め、…
といったエピソードが語られていたのです。

私はしばらく前に、童話を書く友人から紹介され購入していたのです。以来、孫娘が20歳になったら、あるいは社会人となるときのプレゼントにしたいなと思い続けているのです。
一度だけ、お孫さんが生まれる友人に手渡したことがあります。彼女は娘さんに手渡しました。
人から人へと読み継がれてきた一冊のようです。



「すべてを生かし、生かされ、よろこび、感謝する人生が
 あなたのものになりますように。」
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豆粒みたいな本屋でも

2025年02月10日 | こんな本も読んでみた
風は冷たいが、久しぶりの青空が嬉しい。


若い人が読んでいて、「よかった!」と言った。どうよかったのかな。読んでみることにした『あの日、小林書店で。』。

主人公は、出版社と書店の間をつなぐ「出版取次会社」の新人営業ウーマン・大森里香。
東京生まれの東京育ちが大阪支社に配属が決まり、戸惑う日々に小林書店の由美子さんと出会うことで成長していく物語といえようか。小説とノンフィクション(由美子さんのエピソード)を融合させた作品になっている。

店の前を誰も歩いてないような場所でも、商売は立地だけではないと思って頑張ってきた由美子さん。しかし、そうでないとわかっても移転するわけにはいかない。店の大きさ、売り上げの実績などで入荷する本や冊数には差別があり、個人商店の経営は難しい。
小さな町の本屋を続けるために、どうやって本を売るか、どう伝えたら欲しいと思ってもらえるか。お客さんの顔を思い浮かべながら行動してきた由美子さんの様々な挑戦は里香の心に届き、支えとなっていく。


本をほとんど読んでこなかった里香は、由美子さんに薦められて『百年文庫』(ポプラ社 全100巻)を読み始めていた。
読んだ本が圧倒的に少ない。そういう自分みたいな人には、誰が薦めてくれたらその本を読みたいと思うだろう。
お客さんからお客さんに薦めてもらう。お客さん100人に選者になってもらって、それぞれに1冊の推薦文を書いてもらおう。
里香が初めて立てた企画「百人文庫」は、書店でのフェアとして採用された。
どうやって100人を確保するか。店の売り上げにもつなげたい。準備は進んでいく。

私にはどちらの体験もないが、楽しそうなフェアがかつて実際にあったのを知った。
ほんのまくらフェア」が紀伊国屋書店で、「帯Ⅰグランプリ」がさわや書店フェザン店で開催されている。
本の中身を隠したカバーに「書き出し=まくら」の一文を載せて、それだけを手掛かりに本を選んでもらう。同様に中身を隠し、本のタイトルもだが、帯のキャッチコピーだけを頼りに選んでもらう、という試みだった。

文庫本に挟まれていた栞には、こんな言葉が書かれていた。
「なすべきことをなす
 という勇気と、人の声に私心なく
 耳を傾けるという謙虚さがあったならば、
 知恵はこんこんとわき出て
 くるのである。」            (松下幸之助『大切なこと』)

自分は何を大切にして生きているのか。
泣いて笑ってを積み重ねる日々にも、考え続けて取り組めばきっと道は開けるだろうし、自分ならではの価値あるものを生み出していける。そんなことを考えさせてくれた一冊だった。


コメント (2)
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