日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

家族の思いやり

2016-03-12 14:11:57 | 日記
神はわれらの避け所、また力。苦しむ時、そこにある助け。(詩編46篇1節)



昨夜のお証をさせて頂きます。

友人の訃報のハガキが来たのは9日。10日は大阪まで用事で出かけました。11日は家の事等野暮用。午後、
大阪へ行きの少しの疲れがあるし、横になっても目が冴えます。夕食の用意をし、済ませTVを楽しみました。
何故か心が沈みます。ネットの方にレスを書いたりしました。でもヅドンと沈むばかり。
ドライアイで私は涙が出ないのです。友人の死で泣きたい気持ちですが泣けず、逆に落ち込みてこういう
事かしら?と。



隣の息子の家族に会いに行く。「私ね、46歳の時に親友の死に実に悲しかったけど、今回は年のせいか
前より悲しくて落ち込んでるワ。同じ一人子だったし、凄く物分かりの良い友人で妹みたいに思ってくれた
ので余計やろか?」息子はこの前の礼拝メツセージで言われた様に、私を憐れんでください、と祈らな
アカンでと。私はめったに落ち込まないから、と思ってましたが、弱い!

からし種の信仰ということで、嫁や息子と話し、「ほんまにからし種はゴマよりずっと小さい種。我々それ
すら持ってないのでは?」ホントホントからし種位の信仰は持ってると思ってたけどアカン!難儀やね、
人間て、と等はなす。

嫁は上の言葉の詩編から、息子はヨハネの福音書から、もうすぐ高校の孫はネヘミヤから、
紙に書いて渡してくれました。3人とも優しいなぁ。私の家族でいてくれ感謝。
また孫まですっかりクリスチャンになってるので嬉しい驚きでした。

息子家族はこの世的には決して強くはないですが、優しいです。あの我が息子が、信仰心が豊かになって、
いい加減なヤツがいつの間に!?解らないものです。私はすっかり落ち込みは癒されました。
友人がクリスチャンならまた天で会えますが、今回永遠の別れですから、落ち込みました。



上の言葉
(嫁の好きな聖句からです、神様!とより頼む時助けて下さいます。委ねる時、苦しみも受け入れ匿って
下さいます。)