日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

祇園

2015-03-14 09:40:18 | 日記
だれでもわたしのことばを守るなら、その人は決して死を見ることはありません。(ヨハネの福音書8章51節)



ドライアイの検診後、祇園へ寄ることに。と言いますのは北へ向かえば家と反対。祇園や醍醐の勧修寺は家に向かうので気が楽でしょうか。いつ来ても祇園はよくこれだけお茶屋、バー、レストラン、お土産物屋、飲食店、飲み屋さん、と案外広い地域なのにあるものです。夜は大勢でしょうね。私は夜は行った事はないですが。私は殆どメーン通りを歩きますですが、一歩入ると違いますね。



白川です。何度かクラス会や親戚を招待して泊まった事がありました。中の隅々まで京情緒でした。





TV等放映される場所です。



偽舞妓さんや偽奥様の多いこと。京ブームの前は和服の女性はめった見なかったのです。お茶席へ向かう女性位でした。今では!?



京の街は何処もこんな露地があります。そしてローソンまで和風建物になって。



今では飲食店の誘いの多いこと。オバンダイとはヘルシーでは、と入れば狭い所で、窓はナシ。一杯飲み屋さんの感じですが、湯葉うどんの美味しいこと!それにえんどう豆ご飯におぜんも。どこへ行っても京都の味で、出汁にコクがあります。お世話になった知人に美味しいお菓子を買って帰りました。

支えられて

2015-03-12 07:27:55 | 日記
イエスは大声で言われた「誰でも渇いているなら、わたしの元に来て飲みなさい。」(ヨハネの福音書7章17節)




ミツマタも咲きましたが、急に冷たく感じたこの2日。今日は少し寒さも緩む様です。生検での診断書を1昨日もらいました。主治医からではなく、帰ってネットで調べたのですが悪性細胞中でも難病と言われる導管癌とのこと。主治医はホルモン療法と放射線と言ってられます。兎に角難しい病。私も開き直り、充分な事も出来ないけど、介護するから余生を楽しんで生きようね、と告げました。



祈り会で心身が平穏で本人も家族もおられる様に祈って欲しい、と告げました。祈って下さっています。
会った事もある、よくお交わりのあるネット友からも本当に励まされました。家族の病で御苦労して来られたネット友から、普通にしてたら良い。特別扱いすると、本人も苦しみますと。そして旅も撮影も、美味しい物も食べ過ごす方が良い、と言って下さり、本当にそうだ、と納得しました。
繋がりの多い、ネット友からも尊い自分の体験をメール下さいました。他にも多くの方から今迄メールを頂き励まされてきました。医学も進歩して行きますから。感謝ですね。



夫は遺影を作っておくと言い出しましたが、何とセッカチな、と思いましたが、カナダのクリスチャンのネット友は20年前から作ってる、とその写真を送って下さいました。え~~~!20年前となれば、かなり若い。私も作っておこうかな。。。最近ので良いですが。



本人は至って元気。毎日程銭湯に行ったり、庭を触っています。凄くよく食べます。息子も色々調べたり、仕事関係の人の体験を聞いたりしています。母親が1年の命と言われても15年生きたとか。命は解らない。神の御手の中ですね。


同じ風景でも

2015-03-09 12:54:37 | 日記
世はあなたがたを憎むことはできません。しかしわたしを憎んでいます。わたしが、世について、その行いが悪いことをあかしするからです。(ヨハネの福音書7章7節)



暫く遠くへ行けないと予想されますと、今まで宇治なんて!と余り振り向きもしなかったですが、美しさを発見したような気になるものですね。何と勿体ない。我が家は住宅地の中で平凡ですが、宇治橋周辺、宇治川、平等院周辺、天ケ瀬、そこから興聖寺、そして宇治橋までの散歩道。宇治上神社への散歩道。三室戸、黄檗山。あるものですね。



最近新聞に出ましたが、これらの周辺が風致地区になって、家の改築にも景観を損ねない様に制限されるとか。京都市は地区によって、会社の塀も和風にするそうです。看板も3階まで。良い事です。



運転は眼の支障が少々ありますから、ゆっくりなら宇治田原へは行けます。もうそろそろ土筆出るし、サンシュ等綺麗と思います。その内に行かなきゃ。桜の頃もいいでしょう。宇治も桜の名所。楽しみです。



宇治川は清流で、急流ではありますが、余り感動もせず撮っていた気がします。贅沢を無駄にしてました。灯台もと暗し、ってとこでしょうか。



夫は散髪に行って、銭湯へ行きました。相変わらず風呂好きです。

上の御言葉は、聖書は何が真理であり、何が罪かを明らかにしますし、特に独裁者には最も嫌われます。その典型は日本では秀吉や家康による、キリシタン迫害でしょう。でも今の民主主義は聖書からであり、その恩恵をこおむっています。今、イエスを嫌ってるのはイスラムかも。


夫の退院

2015-03-07 13:57:23 | 日記
わたしの父の御心は、子を見て信じる者がみな永遠の命を持つことです。わたしはその人達をひとりひとり終わりの日によみがえらせます。(ヨハネの福音書6章40節)



昨日は7日に夫が退院と決まったと聞き、買い物ついでに時間は限られ40分程宇治川へ車を走らせました。梅の時期ですから梅がないものかと。川縁はないですね。





仕方なく恵心院にないかと入りました。



目に付くのは名前を忘れましたが、俗名「金の成る木」?古木です。名もない寺ですが、花数だけはあります。実に静かなものです。時々観光客が入って来られますが。



水仙はまだ多く咲いています。1月よりは豊かに花をつけ、公園よりは風情を感じます。



今日、夫が退院出来ました。手術せず何とか自分で尿が出て良かったです。でも検査結果がかなりの悪性とか。今は色んな療法があって、ホルモン療法に注射や飲み薬らしいです。来週にもう一つの検査があります。年を取れば進行も遅い。また何等か支障が起きるもの。主に委ね、出来るだけ楽しく、喜んで感謝でもって生きていきたいものです。

息子が一緒に向かえに行ってくれました。嫁も娘も行ってくれました。娘婿も何か手助けしたい気持ちがありありと見えます。息子も娘も色々葛藤もあったのですが、今となっては、、、夫は「今まで自分でやらなきゃ!と思ってたけど、皆に甘えていいのやね。」と言う。私は「もう甘えていいよ。そして神様に頼り、また教会にも行かなきゃ。」と。

美味しいうどんが食べたいというので、うどん屋によりました。帰ってから昨夜娘が自分で作って持って来てくれた”いちご大福”を食べる。見立ては悪いけど、随分と味わいの深いものでした。感謝です。




学び

2015-03-05 18:59:38 | 日記
イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしにくる者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんな時にも、決して渇くことがありません。(ヨハネの福音書6章35節)



肌寒い今日は年1度の女性勉強会が高槻の教会で催され出かけました。入院してる夫には娘に行ってもらい、どうしても私は以前からこの集会のカメラマンの奉仕を頼まれていた為出かけました。久し振りに会う他教会の姉妹に会え、旧交を暖めました。また共に車で行った我が教会の姉妹とも良い交わりが持てました。年と共にこうして出て、会えるのが大きな恵みに感じます。



梅も道で見て、アーあこへ行けば、なんて思いますが、それよりも大きな恵みを頂いています。







講師はO先生。女性ですが、高松から自分で車を運転して来て下さいました。

内容は神様との初めの出会いは”この世はどうして出来たのか?人は何のために生きているのか?”という人生の根本的な問題であり基本からだったとか。何と私の若い時に求めていた疑問と同じです!先生はどうかこれが解りたい!何としても解決したい。大学の仲間にクリスチャン関係がおられ、祈られたとか。信じ、様々な問題に頭をめぐらし、燃えるバプテスマを私に与えて下さい、と祈られたとか。享栄心や醜い妨げになる問題から自分を変えられたいと。その後、神学校へ。

カメラマンの奉仕ですから、アングルや表情等々考えてますから、ゆっくり聞けないのが残念です。また会衆の妨げになってはいけないので、その気使いがあります。 でもこうして今年も参加出来ました。恵みです。



車の中で、日常の証や家庭の事様々楽しく話ました。