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たけしもこういうことを言うようになったんだってことに、関心をもちました。簡単な雑感のみ。
たけし、被災地での空き巣に激怒「あいつら射殺しろよ」
①簡単にいうと、たけしが倫理的なことを言い出したんで、ちょっとビックリしたんですよね。もちろん、被災地での空き巣を肯定する気はないんだけど、たけしって、談志同様、人間の業を肯定する人というか、悪を単純に一刀両断しない人だと思っていたんで、意外性がありました。年取ったってことなんですかね。
②というのも、「日本の被災地は秩序が保たれている」って神話は、ボチボチやめにすべきだと思うんですよ。実際問題、過去の日本の災害地だって、略奪暴行事件は存在していたわけで、メディアが意図的に報道しないとか、地域社会の淫靡な秘密主義で隠ぺいされてたってケースもあるわけでしょ。だいたい、戦後の焼け跡だって、犯罪はいっぱいあったわけだから、安易に「日本人の秩序だった行動は素晴らしい。こういうのは日本人だけだ。」みたいな礼賛に向かうのは、むしろ現実を直視しない日本人の悪い癖だと思いますが・・・。
③ で、格差の広がる今の日本で、非常時に空き巣などの窃盗が起きるのは、十分想定の範囲内なんじゃないでしょうか。また、「みんな顔見知り故に犯罪が起きにくい地方社会」みたいな構図も、共同体の崩壊で崩れつつある。それゆえに、被災地で空き巣が起きるという考察だって考えられなくないですよね。なので、俗情と結託して、「射殺しろ」って、「洞察力浅くないか」ってことなんだけど。
④とはいえ、一種のメデイア自粛的空気に大御所も飲まれているということなのか、いまの「メディアリテラシー」とか「コンプライアンス」だと、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とは言えないということを、象徴的に示しているんですかね。
もっとも、「赤信号~」も「射殺しろ」も大衆迎合という意味では一緒という見方もあると思うんだけど、「赤信号~」は生活ための具体的合理的行動なんであって、「射殺しろ」は自分が空き巣犯を射殺してみせるということではないですよね。つまり、行動する生活者と傍観者という違いがあると思うんだけど、たけしは今やネット的傍観者の味方なんだなと、今回つくづく思いました。ま、エスタブリッシュメントだから、もはや「生活」はしてないんだな。曽野綾子と変わりませんよ。
ま、こんなところで。
PS:ついでだから言っておくと、わたしのささやかなイタリア渡航体験では、イタリア人は見事に信号を守りません。といっても、みんなが渡っているから赤信号を渡っているんじゃなくて、「道は生身の人間の往来中心だ」と思っているんじゃないかってくらい、集団じゃなくても信号を守らない。杖ついてる人も平気で信号無視してました。特にナポリなんか強烈です。でも、こういうのが、生活に根付いた「人間中心主義」なんだと思ったものですよ。もっとも、イタリアって、泥棒も多いことで有名だけどね・・・。(画像はナポリです。)
たけし、被災地での空き巣に激怒「あいつら射殺しろよ」
①簡単にいうと、たけしが倫理的なことを言い出したんで、ちょっとビックリしたんですよね。もちろん、被災地での空き巣を肯定する気はないんだけど、たけしって、談志同様、人間の業を肯定する人というか、悪を単純に一刀両断しない人だと思っていたんで、意外性がありました。年取ったってことなんですかね。
②というのも、「日本の被災地は秩序が保たれている」って神話は、ボチボチやめにすべきだと思うんですよ。実際問題、過去の日本の災害地だって、略奪暴行事件は存在していたわけで、メディアが意図的に報道しないとか、地域社会の淫靡な秘密主義で隠ぺいされてたってケースもあるわけでしょ。だいたい、戦後の焼け跡だって、犯罪はいっぱいあったわけだから、安易に「日本人の秩序だった行動は素晴らしい。こういうのは日本人だけだ。」みたいな礼賛に向かうのは、むしろ現実を直視しない日本人の悪い癖だと思いますが・・・。
③ で、格差の広がる今の日本で、非常時に空き巣などの窃盗が起きるのは、十分想定の範囲内なんじゃないでしょうか。また、「みんな顔見知り故に犯罪が起きにくい地方社会」みたいな構図も、共同体の崩壊で崩れつつある。それゆえに、被災地で空き巣が起きるという考察だって考えられなくないですよね。なので、俗情と結託して、「射殺しろ」って、「洞察力浅くないか」ってことなんだけど。
④とはいえ、一種のメデイア自粛的空気に大御所も飲まれているということなのか、いまの「メディアリテラシー」とか「コンプライアンス」だと、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とは言えないということを、象徴的に示しているんですかね。
もっとも、「赤信号~」も「射殺しろ」も大衆迎合という意味では一緒という見方もあると思うんだけど、「赤信号~」は生活ための具体的合理的行動なんであって、「射殺しろ」は自分が空き巣犯を射殺してみせるということではないですよね。つまり、行動する生活者と傍観者という違いがあると思うんだけど、たけしは今やネット的傍観者の味方なんだなと、今回つくづく思いました。ま、エスタブリッシュメントだから、もはや「生活」はしてないんだな。曽野綾子と変わりませんよ。
ま、こんなところで。
PS:ついでだから言っておくと、わたしのささやかなイタリア渡航体験では、イタリア人は見事に信号を守りません。といっても、みんなが渡っているから赤信号を渡っているんじゃなくて、「道は生身の人間の往来中心だ」と思っているんじゃないかってくらい、集団じゃなくても信号を守らない。杖ついてる人も平気で信号無視してました。特にナポリなんか強烈です。でも、こういうのが、生活に根付いた「人間中心主義」なんだと思ったものですよ。もっとも、イタリアって、泥棒も多いことで有名だけどね・・・。(画像はナポリです。)
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