切られお富!

歌舞伎から時事ネタまで、世知辛い世の中に毒を撒き散らす!

十月大歌舞伎 夜の部 

2004-10-11 18:44:35 | かぶき讃(劇評)
たまたまチケット取った日に台風直撃とは…。日頃の行いが悪いということか?

①「井伊大老」

 以前も書いたことがあるように、私はいわゆる新歌舞伎が大の苦手。大体、「米百俵」なんていう体制迎合的(小泉迎合的?)な芝居は吉右衛門じゃなかったら意地でも見に行かなかったくらいで…。今回の「井伊大老」も正直困った。

 序幕の芝雀の可愛らしい昌子の方は微笑ましいが、侍たちの当時の政治状況を語る説明的な台詞の詩情の足りなさって苦手だな…。

 二幕目のお静の方の居室の場で、段四郎の仙営禅師、雀右衛門のお静の方、歌江の老女雲の井の登場で俄然芝居が締まって面白くなってくる。段四郎の立派さについては昼の部の方で語ったのでよいとして、歌江という人は古風な女形で私好みの脇役の一人。(役者の声真似のかくし芸の方が有名になってしまったきらいもあるが。)こういう奥女中って今でも老舗の温泉旅館なんかにいそうですもんね。(言い忘れていたけど、昼の部の女按摩役もあだっぽくて良かった。)
 そして雀右衛門。この人は私が勝手に名づける<カワイイ系>女形の総本山。息子の芝雀もカワイイ感じだが、この人はやはり…。齢80を越える老優が可愛らしい女房を演じて、飲めない酒を無理に飲む芝居、「お静も大人になりました。」という台詞のなんと可愛らしいことか。これは映画やテレビではできない芝居ならでは演技力のマジックなのだろう。

 幸四郎の井伊大老は芝居も立派だし台詞もいいが、何か都会育ちの中間管理職、たとえて言うなら課長島耕作みたいに見えてくるのは私だけだろうか。白鸚という役者は何か脂ぎった豪傑のような芝居を見せてくれたものだし、井伊大老も実は苦労人の叩き上げタイプなのだが…。
 しかし、こうした疑問の責任を幸四郎ひとりに背負わせるのも酷な気がする。現在の課長部長クラスのタイプは幸四郎のようなスマートな都会派タイプであり、考えてみれば政治家だって田中角栄でなく小泉純一郎みたいなタイプがもてはやされている訳で、時代の風が「井伊大老」という芝居を変えてしまっているのかもしれない。

 因みにまったく関係ないが、松本白鸚が井伊大老を演じた映画「侍」(岡本喜八監督)のラスト、桜田門外の変の雪のシーンのカット割りは映画史に残るもので必見であることと、桜田門外の変が起こった万延元年三月三日は火山噴火による世界的な異常気象のために雪が降っていたということも書き添えておきましょう。

②「実盛物語」

 前の芝居のモヤモヤを吹き飛ばしてくれた、「これぞ歌舞伎!」という舞台。

 正直なところ、また「実盛物語」か、というのが最初の印象だったが、終わってみればこの日一番楽しんだ舞台だった。この芝居は二枚目役者がかっこよさを見せるためにあるような芝居なので、最近でも勘九郎、菊五郎、新之助(現海老蔵)の舞台を見ていてそれぞれに良かったものの、やっぱり仁左衛門が本命でしょう。

 琵琶湖の畔の長閑な家に起きる古怪な物語。女の片腕が出てくるは、死体がでてくるはですから。
実盛の仁左衛門と瀬尾の左團次、相対する老人九郎助の芦燕。役者も揃って素晴しい掛け合い。なんといっても声のいい仁左衛門と左團次ですしね。

 私の好きなところは、瀬尾と仁惣太が屋敷の外でいわくありげな相談をするところや、太郎吉が葵御前の出産を覗きに行こうとするときの太棹三味線の音色。前者の黙劇の怪しさを演出する音色や後者の太郎吉のやんちゃさを示すリズム感。昔、淀川長治が黒澤明に「時代劇にはクラシックを使わずに邦楽を使うべき。」と言ったという話を思い出す。

 最後に出てくる歌舞伎の馬の名人芸については、千谷道雄著「秀十郎夜話」(冨山房百科文庫)に詳しい。この本は歌舞伎版「忘れられた日本人」(宮本常一著)といいたくなるほどの怪著。


③ 雪暮夜入谷畦道~直侍 

「待っていました!」という感じの演目。というのも、去年の国立劇場の幸四郎の直侍がなんだか今一だったからで(河内山も良くなかったし、補綴も失敗だった。)、今度こそ江戸っ子の情緒あふれる直侍がみられると思っての期待。菊五郎の直侍は花道の出から期待通りで、台詞も傘のさしっぷりもかっこよいし文句なし。お猪口に入ったごみを箸で取ったりするあたり、世話物だなあと思う。ただ蕎麦屋のオヤジ役の山崎権一が流石に市村鶴蔵に比べるとなんだか地味だなという印象。市村鶴蔵という人は音羽屋の家の芸には欠かせない脇役で一度見たら忘れられない役者。最近は高齢のためかなかなか舞台に出てくれないが、こういう名優と比べては悪いのかもしれない。
 
 蕎麦屋を出ての松助の暗闇の丑松と菊五郎の七五調の掛け合いは、松助の調子がちょっと苦みばしりすぎでもうひとつ気持ちよくなかったが、菊五郎の台詞がいいのでとりあえずよし。
 
 さて、いよいよ三千歳の登場。今回は時蔵の三千歳。
私の三千歳という役のイメージは、<助六の揚巻の後日談の女>というもの。要するに、きっぷがよくて凛とした<江戸の女>の代表の、間夫にだけ見せる顔が、三千歳という役だというのが私の勝手な思い込み。(間違っているといわれそうだが。)なので、品無くメロメロになられたりすると、「違うんじゃない!」と言いたくなってしまうのだ。

 で、今回の時蔵の三千歳。前々から思っていたのは、時蔵という人は生粋の江戸っ子のはずなのに、どこか関西風の雰囲気があるということ。廓文章なんかに出てくる関西風の花魁の華やかな痴話喧嘩の雰囲気がちょっと高い声の台詞回しにあって、見栄と意地の江戸の女の雰囲気に乏しいというのか…。出のところからして、病気の養生に来ているにしてはやけに元気な三千歳という感じで、実際には20歳ぐらいで早死にすることが多かったといわれる吉原の遊女の儚い運命が漂ってこない。(この辺の話は上野千鶴子著「性愛論」の中の田中優子との対談に詳しい。)ただ、このひとの良さは、無類の後姿の背中にあって形を決めるところの美しさは流石。でも、雀右衛門の儚さのある三千歳が私のベストだなあ~。

 まあ、いろいろ言ったが、菊五郎のかっこよさは文句なしだし、雪降る情景の叙情をこれほど美しく描いた芝居もないので満足、満足。

 今月は、国立劇場といい歌舞伎座の昼夜といい、いかにも歌舞伎らしい渋くてよい演目ばかりで十分楽しめた。しかし、こういう月が、(わたしの観た日が台風直撃の日だったからとはいえ)満席ではないというのは、心さびしいばかり。芝居好きは堂々と言うべきだろう、「8月、9月より断然面白い!」と。

 最後に、歌舞伎座のHPの<私の初日観劇記>、今月の書き手・映画監督山田洋次氏に一言。
 帰りのタクシーの中で、井伊大老役の幸四郎が自分の映画に出た松たか子の父親である事に気づいたというくだりは、いくらなんでも嘘八百過ぎるだろう。こんな悪い意味で<芝居がかった>感想だけは私は書きたくないものだ!
(でもなぜかこの人と誕生日が一緒なんだよね、わたし。)
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2 コメント

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名脇役 (てぬぐい)
2004-10-12 00:21:33
市村鶴蔵、最近はいつご覧になりましたか。

 :

昨年一月、團十郎の助六に遣手で出演されていたのは記憶にあるのですが。

印象深いのは「髪結新三」の家主女房。声色を真似てみるほどツボにはまりました、「お茶を呑むかいっ」とか。

又五郎・鶴蔵・小山三、大正生まれの方々ですが、いずれも脇を締める力に魅了されます。観る度、ニンマリ嬉しくなってしまいます。

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鶴蔵さん。 (切られお富)
2004-10-13 15:50:51
私も去年の1月から出ていないと思います。

あのときも、あまり元気はなかった』印象ですが…。私も髪結新三の家主女房や浜松屋の番頭なんか、あの人の声じゃないと物足りなく感じてしまいます。

末長く舞台を務めて欲しいですね。
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